人気ブログランキング |


人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 東京...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

2007年 01月 07日 ( 2 )

伏線

1997年は今にして思えば翌年以降の活動への伏線が色々とあったと思う。例えば私は96年11月から97年12月までマニュアルの課題スピーチはしていない。その1年間にしたスピーチといえば、2回のクラブ内コンテストでのスピーチのみである。例会には毎回出席していたが、新人の台頭と教育担当による役の割り当ての重複などにより、たまたま私にスピーチのお鉢が回ってこなかった、としか思えない状況であった。ちなみにこの年の9月の半期更新時の実績は、会員数23、男性15、女性8で、内休会は6、新人12である。実に半数がこの年の新入会員で、毎回のスピーチの課題も#1~3あたりになることが多かった。私は翌年東京バイリンガルクラブへ入会することになるが、それはスピーチをする機会を求めてという部分もあった。会員数が多くなるということは、クラブとしては活性化にもつながるが、同時に役の割り当て、とりわけスピーチの機会が減ることをも意味する。近年クラブ数の増加と共に、2つ以上のクラブへ所属する人が増えている傾向はまさにそれが理由である。

東京バイリンガルクラブへは既に大嶋夫妻が入会していた。東京バイリンガルの面々が度々江戸クラブを訪れ、活動の情報が入る機会が多くなったことで、私も興味を持ち始めていた。9月にははまクラブとの合同例会の機会があったが、ここでも東京バイリンガルのパイザー会長(後の武蔵クラブ会長)がスピーチをしたりと、東京バイリンガルのメンバーとの交流が俄かに加速し始めていた。ちなみに大嶋T氏はこの年のはまクラブ会長もされていた。江戸への出席率が落ちたことから、土曜開催のはまクラブへ入会したとのことで、後に完全移籍することになる。大嶋T氏は横浜クラブや東西クラブにも参加されていた。野島氏も大嶋T氏の後を追うようにはまクラブへ入会した。

この様に古参会員は新たなる活動の場を他クラブへ求めるようになった。TMの逆ピラミッドの理念からすれば、古参会員は新会員を守り立てるべく下からサポートする立場に回るのが本来あるべき姿であるが、その境地に達するには今しばらくの猶予が必要であった。まだマニュアルへの取り組みも日本語マニュアルの範囲に留まっていた時代である。TMの理念を理解するには、更なるTMマニュアルへの取り組みとそのための情報の入手が不可欠だった。
by inv-pyramid | 2007-01-07 23:49 | 1997年

流れる水は腐らず

7月1日はトーストマスターズの年度始めである。この年は1日がちょうど第1火曜日で、年度始めの日がクラブの年度初回例会となった。第190回である。奇しくもこの日は香港が英国から返還された日でもあった。

年度初めの恒例行事は新役員就任式である。この日はJTC日本語教育担当副会長として、東京バイリンガルクラブのマッキンタイア氏が同クラブの町田氏を伴ってゲスト参加され、就任式の進行を務めた。他のゲストとしては有楽町クラブから名を改めたさくらクラブより梶谷氏(後に入会)、韓国人2名、日本人3名の参加があり、新旧役員も揃っていたので、大人数での例会となった。

新会長は私より半年遅れで入会された庄司氏で、営業部長という要職にあり、またお住まいが湘南方面で遠方だったにも関わらず、熱心に参加されていた。会長職を務められてからは、仕事が現場関係になられたとの事で、例会に顔を見せることも少なくなったが、2000年の全日本スピーチコンテストでは見事優勝を飾っている。庄司氏のスピーチは声の抑揚のつけ方が独特で、年長者らしく聞かせる内容が多く、それでいてあまり説教臭さがない所が持ち味で、私の目指すスタイルの一つだった。10代目の会長であった。

この翌年度に私が会長になるわけだが、この日のテーブルトピックで私に対して「もし新会長に指名されたら」という出題が出されている。これも何かの因縁だろうか。もちろんこの時は自分が会長になるなどとは思っていない。ただ前にも書いた通り、この頃は会員の入れ替えが激しく、江戸クラブ黎明期のメンバーは大嶋R氏のみで、私が入会した頃のメンバーも数名しか残っておらず、初期の江戸クラブの残り香を漂わせながら、会の中心が次の世代へ移行しつつある時期であり、このまま残っていればいずれは私にもお鉢が回ってくることは必然とも言えた。

「流れる水は腐らず」という形容がこの時期には相応しい。翌年度以降はさらなる激変が待ち受けていたのだから。
by inv-pyramid | 2007-01-07 22:11 | 1997年