人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[東京BL編] 久しぶりに古巣へ

7月19日(水)、久しぶりに東京バイリンガルクラブの例会に参加した。もちろんエリアガバナーとしてである。私の担当であるエリア1は江戸、はま、武蔵、東京バイリンガルの4クラブだったが、江戸と武蔵は所属クラブのため、対外的なエリアガバナーとしての活動はこれが初めてと言ってよかった。東京バイリンガルは私が初めて退会したクラブでもあるため、正直若干の気後れもあったが、仕事と割り切った。

クラブ訪問は2月の武蔵との合同例会以来になったが、その時よりさらに会員数に変動があり、新しい顔ぶれも目に付いた。会長は井口氏。既に新年度の役員会も実施済みで、私もその議事録を拝見したが、新会員獲得に関する話し合いがほとんどのようであった。

今回の訪問は主にエリアコンテスト開催の要望を伝えることであった。エリア1は江戸が全日本スピーチ、武蔵が全日本論評コンテストを運営するため、エリアコンテストについては、はまか東京バイリンガルへ依頼するほかなかったが、最終的にはまと東京バイリンガル合同による運営ということで決着がついた。理由は東京バイリンガルだけでは人数が少ないためである。ただ、エリアコンテストは英語のみのため、実質的には英語のエリアコンテストを成立させるために、日本語クラブが協力するという図式になることは目に見えていた。エリアコンテストはまだ先の話だったが、日本語クラブから出場者を募るという作業が発生する懸念をこの時から既に感じていた。
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# by inv-pyramid | 2009-11-23 23:52 | 2000年後半

[D76P編] ディストリクト、始動す

7月29日(土)、浦和にてディストリクト76Pの第1回役員会(EC Meeting)が開催された。ディストリクト体制になって初めての集まりであり、今期の役員一同が初めて顔を合わせた日でもあった。その顔ぶれは次の通りであった(敬称略)。

ディストリクトガバナー 稲垣
ディストリクト副ガバナー教育訓練担当 佐々木
ディストリクト副ガバナーマーケティング担当 大町
ディストリクトPR担当役員 加藤
ディストリクト書記 斉藤
ディストリクト会計 梅本
ディビジョンAガバナー 大嶋
ディビジョンBガバナー 山中
エリア1ガバナー 小原
エリア2ガバナー ソーリー
エリア3ガバナー 松崎
エリア4ガバナー 岡本
エリア5ガバナー 稲継
エリア51ガバナー 嶋田
エリア52ガバナー モー
エリア53ガバナー 田丸
ディストリクト前ガバナー キルパラニ

ディビジョンAは東日本地区でエリア1~5を管轄し、ディビジョンBは西日本地区でエリア51~53を管轄した。またエリア1とエリア51は日本語とバイリンガルクラブで構成されるエリアとなった。この時点での全国のクラブ数は43であった。

役員会に先立って、教育訓練担当副ガバナーの佐々木氏による審査員トレーニングのワークショップが行なわれた。ディストリクトレベルでの同ワークショップはもちろんこれが初めてで、ケーススタディーを用いながらの分かりやすいものであった。

続いてが役員会の会合である。記念すべきディストリクトの初会合では何が話し合われたのか。主な議題は次の通りであった。

1.年間主催行事の決定

年間を通してのコンテスト、役員研修等の日程についてはこの時点で80%程度決定していた。今期はまだ準ディストリクトで初年度ということもあり、JTC時代のやり方がほぼ踏襲された。コンテストはスピーチ、論評、テーブルトピックス、ユーモアスピーチの4つでスピーチ以外はワークショップを併設、ディベートはワークショップのみ開催、他に審査員トレーニングワークショップ、秋季及び春季大会、役員研修会である。ほら吹き(Tall Tales)はなし。

2.新設クラブの報告

7月にキーフォースクラブがチャーターされたのでその報告。

3.コンテスト運営方法の確認

コンテストはディビジョンコンテストは割愛し、クラブ、エリア、ディスリクトコンテストの順で開催。ただし、エリアコンテストの実施は全日本スピーチコンテストのみで、他のコンテストはクラブとディストリクトのみを実施。日本語については、エリア、ディビジョンとも割愛

4.秋季大会日程の発表

秋季大会は11月26日(日)に代々木のオリンピックセンターで開催。内容はディストリクト役員会、クラブ設立及び再建ワークショップ、役員研修、及び評議会で、まだコンテストを併設する形ではなかった。

5.教育訓練目標の発表

教育訓練副ガバナーによる年間の教育訓練プログラムの確認、卓越ディストリクトプログラム(DDP)の目標ポイント設定、各クラブの卓越クラブプログラム(DCP)の達成基準の確認、及び教育委員会の活動内容の発表。

6.年間予算

年間予算の発表。ちなみに予算総額は約50万円。役員の交通費補助などは微々たるものであった。

7.国際本部への発注品の報告

コンテストに使用するトロフィーや賞状などの発注品の報告。

準ディストリクトになったとはいえ、初年度はまだ体制固めの段階でJTC時代の名残も残していた。しかし、年次大会の年2回開催や主催コンテストの制限、DDPなどの導入は紛れもなくディストリクトへの移行を示しており、稲垣ガバナーのリーダーシップが大いに期待される所であった。
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# by inv-pyramid | 2009-11-23 21:58 | 2000年後半

[さくら編] Sakura Toastmasters Hospital

「さくらエアライン」例会という心地よいベテランの味を見せ付けられた後を受けて、次の今夜のトーストマスター役が私になっていた。私はP藤山氏のやり方をそのまま踏襲することにした。このような例会はたまにやるからよいのであって、連続となるとどうかな、というところもあったが、気心の知れたさくらのメンバーなら乗ってくるだろうと思った。

7月26日の例会がそれで、私のテーマは病院。「さくらトーストマスターズホスピタル」というわけである。私は病院関係者ではないので、流石に小道具まで病院の備品で揃えることはできない。プログラムと配役までの演出に留めることになった。設定はある病棟の一日。私の役は院長で、スピーカーが患者、論評者が医師、文法係は看護師で、総合論評者が医局長という所か。誰が見ても当時高視聴率だっ医療ドラマ「ER」をモチーフにしているのは明らか。ERネタはTMの何かで一度やりたいと思っていたので、図らずもそれが実った格好になった。

この手の例会は結局「ごっこ」遊びということなのだろう。トーストマスターズ自体がある種のごっこ遊びであるからにして、それをより楽しむための一つの手法だと思えばよいと思う。
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# by inv-pyramid | 2009-09-13 19:57 | 2000年後半

[さくら編] Sakura Toastmasters Airlines

P藤山氏は流石に経験のあるトーストマスターで、さくらクラブに色々なアイディアを持ち込まれたが、その一つが例会にある舞台を設定をして楽しむというもの。これは、所謂「バックワードミーティング(逆順例会)」や「グラブバッグミーティング(即興例会)」などの例会のやり方を設定するものではなく、例会自体を演劇の舞台の様に演出するものであった。

7月12日の年度初例会で、入会早々今夜のトーストマスターを務めることになったP藤山氏は、その前の例会で次回例会はさくらクラブを一つの航空機に見立てて、その機内を舞台(例会)にした例会を行うと宣言、その通りに準備されてきた。これは、当時某航空会社の日本支社長を務められていた氏ならではの発想なのはもちろんだが、小道具も半端ではなく、「さくらエアライン」機内用の便箋があったり、行き先の観光案内パンフレットがあったり(もちろん人数分)と手が込んでいた。更には足りない配役を東京クラブのメンバーで補うなどのサービスもあった。ここまでやられては、さくらのメンバーもとことん付き合うしかなく、P藤山機長の機内アナウンスに従って、つかの間のフライトを楽しんだ。

個人がコスプレをしたり、会場を飾り付けたりといった例会は過去にも例があるが、例会全体を演出するというのは、メンバーの意思統一が図れていないとなかなか出来ることではない。それをいとも簡単にやってしまわれらた所に経験値の違いが表れていた。
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# by inv-pyramid | 2009-09-13 19:51 | 2000年後半

[横浜編] 何処でやるのか論評コンテスト

6月のJTC総会で、2000年秋の全日本論評コンテストの運営は、英語が横浜、日本語が武蔵と決まっていたが、合同でやるかどうかの意思確認はまだ取れていなかった。江戸と東京は春のスピーチコンテストを合同で行う旨既に確認しており、私も他のコンテストも日英合同で行うのが規定路線だと思っていた。しかし論評コンテストについては横浜の思惑が不明だったので、武蔵代表及びエリアガバナーとして、横浜の年度初例会に乗り込むことにした。

実際に行ったのは7月15日(土)の2回目の例会だった。はまクラブの例会は何度も参加しているが、横浜クラブの例会は初めてだった。ただ、横浜のメンバーには顔馴染みが何人かいるので、それほど構えることはなかった。横浜のこの年度の会長は、以前日本語のテーブルトピックスコンテストにも出場されたことのある岡野氏で、例会最後に論評コンテスト合同開催の件を切り出すと、特に想定されていなかったようなので、私がディストリクト体制になったので合同で行う流れにある旨告げたところ、了解して頂いた。横浜では既に会場として10月21日土曜で横浜人形の家を押さえているとのことで、実行委員長は花田氏とのことであった。

この日は後日武蔵と合同で打合せをする約束を取り付けて終わった。これが武蔵と横浜が合同で開催する全日本論評コンテストの始まりであった。
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# by inv-pyramid | 2009-08-20 00:23 | 2000年後半

[武蔵編] 炎天下のバーベキュー大会

7月20日(水)、海の日にこの年のバーベキュー大会が行われた。場所は前年までの秋が瀬公園から、武蔵会員の高橋M氏が園長を努める小百合幼稚園の園庭に移された。当初は7月か8月の開催ということで、時期が未定だったが、7月の方がよいという多数意見で夏休み初日のこの日に決定した。会場は高橋M氏の好意による提供で、閑静な住宅街と里山に囲まれた環境の良い場所であった。
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当日はバーベキューの用具類はあるとのことなので、セッティングは高橋M氏にお任せし、食材を私の方である程度準備して車で運び、後は現地調達。朝から日差しが強く、炎天下でのバーベキュー大会が必至となった。参加者は、私と高橋家、梅本家、能勢家、近藤、佐藤、加藤、梶村の各氏。家族参加が多いのが武蔵のイベントの特徴であった。太陽と炎の熱で汗だくになりながら、一同ビール片手にバーベキューを楽しんでいた。私はもちろん涙のノンアルコール。
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帰る頃には日差しも和らぎ、後片付けをして現地解散。浦和方面へ帰る電車組を車に乗せて帰路へと着いた。この後、バーベキュー大会は小百合幼稚園で行われることになった。
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# by inv-pyramid | 2009-08-19 23:59 | 2000年後半

[武蔵編] ボーリング大会で結束!?

武蔵クラブの新年度初例会は7月13日だったが、それより前の7月2日に行われたボーリング大会で新年度が幕を開けた。当時の武蔵は親睦行事に関しては意思決定が早く、7月中にはバーベキュー大会の予定も組まれていた。都会のクラブでは親睦行事が全く行われない場合もあるが、郊外の地域クラブではこの手の話は割りとまとまり易いものである。

ボーリング大会は初めての開催で、これは武蔵浦和の隣の中浦和にボーリング場があったこともあるが、飲食を伴わないこの手のイベントを行いたという一部の声に応えての企画であった。参加者は比較的近所の会員が中心で、梅本氏のご子息の学友の参加などもあった。大人と子供が混ざっているため、2ゲームで行われた。結果は優勝が梅本氏、2位が能勢氏、3位が高橋M氏。私はその次の4位であった。新会長の佐藤氏が子供用の景品なども色々と用意して気を配っていた。終了後は隣接のファミレスで2次会。

ボーリングをする機会はすっかり減ったが、気分転換にたまの開催も良いものである。最近は親睦行事一つ行うにも動議だ何だと時間をかけてしまう傾向もあるが、サクっと有志で気軽に行えばよいと思う。

7月は親睦行事に挟まれて例会を行ったようなものだが、13日の第42回例会では、こちらも私が音頭を取って新役員就任式を行った。
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# by inv-pyramid | 2009-08-14 11:39 | 2000年後半

[江戸編] 役員会はプロヴァンスの香り

7月22日(土)に江戸クラブ今期初の役員会を持った。場所は新宿西口の某南仏レストラン。池田氏のチョイスであった。新宿西口は学生時代にサークルの集会でよく集った所なので、私にとっては半分庭みたいな所だったが、この店は初めてだった。新宿西口に12時集合で、私と池田氏の他は、常石氏と榊原氏。副会長以上の参加となった。

レストランでランチをつつきながら本題に入る。議題は大きく分けて4つで、勧誘、例会運営、クラブ運営、そして今後の企画であった。勧誘については、大きな目玉としてホームページ作成があった。当時江戸にはまだホームページがなく、会長の常石氏が手探りで立ち上げられていた。このホームページは現在ではもうアクセスすることはできないが、素人が作ったものとしてはよく出来ていた。まだブログ等の簡易ツールが流行る前の話である。

例会運営での焦点の一つはどたキャン対策。人数の少ないクラブではどたキャンは致命的であるが、この頃はまだ誰もが携帯を持っている時代ではない。私も持っていなかった。キャンセルの場合はできるだけ早く連絡を入れることを再確認した。また年間表彰について初めて討議され、年間表彰時にトーストグッズを贈呈することに決まった。

今後の企画としては、料理ヨガ教室、合同例会、リベンジスピーチ大会、ディベート、講演会などの案が挙がった。全てが実現したわけではなかったが、クラブ再建へ向けての意気込みが感じられる役員会であった。
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# by inv-pyramid | 2009-08-14 00:31 | 2000年後半

[江戸編] 夏のときめき

7月18日の江戸クラブ第253回例会は忘れられない日である。「あの人」が見学に来られた日だからだ。あの人とは高橋N氏。2005年春季大会では日本語コンテスト委員長、2007年全日本スピーチコンテストでは優勝にも輝いた高橋N氏の、江戸クラブ初回訪問がこの日であった。

数多くのゲスト訪問者の中で、見学初日のことを鮮明に覚えている人物はそれほど多くはない。高橋N氏は私にとってはその数少ない一人だが、見学のタイミングがあまりにも絶妙だった。その日は、その頃の常態として少人数だったこと、私がディスカッションリーダーで「クラブ再建計画」をテーマに話していたこと、などゲストにとってはあまりよい印象を与える例会はなかった。高橋N氏は例会開始後に現れたが、第1印象としては、場違いな人が来たな、という感じであった。悪い意味ではなく、クールな微笑と夏らしく涼しげな出で立ちで、個人的にはむしろ好印象であった。要するに「××に鶴」という感じで目立っていた。

トーストマスターズを何処で知ったのか、ということについては、少し前に日経新聞に掲載されたコラムの記事を読んで日経に問い合わせ、江戸クラブのことを知って来たとのことだった。

この日は、この日唯一の女性会員池田氏が今夜のトーストマスターだったが、高橋N氏にはテーブルトピックスと、クラブ再建計画のディスカッションに参加して頂いた。ディスカッションは2グループに分かれて、再建のアイディアとして、合同例会やマスコミへのアピールなどが出された。初の見学時に、いきなりこのような話し合いに参加させられるゲストの気持ちというのは、どんなものなのだろうか。少人数だけならまだしも、再建計画である。高橋N氏は職業柄、トーストマスターズには興味があるようだったが、この日の表情から入会するかどうかまでは読み取れなかった。
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# by inv-pyramid | 2009-08-13 23:25 | 2000年後半

[江戸編] 土砂降りの開幕

2000年7月1日は日本のトーストマスターズにとって歴史的な日である。この日、日本のTMは準ディストリクト76Pとして、トーストマスターズインターナショナルのディストリクトの一つとなった。たったそれだけのこと、変化を感じることもまだあまりなかったが、しかし確実に変わったのだ。

そして3日後の7月4日は江戸クラブの新年度初例会だったが、何と土砂降りで歩くこともままならないほどであった。当時私は千駄ヶ谷社教館へは代々木駅から歩いて行っていたが、代々木駅改札前でしばし躊躇していた。傘を持っていないのである。暫し考えた末、駅前の画材店でビニール傘を買って歩いた。こんな大雨では人も集まらないだろうと思っていたが、例会には6人が参加。その内の一人に、紅一点として片塰氏が参加されていたのがとりわけ嬉しかった。小さいお子様のいる主婦なので、この天気ではまず来ないだろうと思っていたからだ。

例会はまず新役員就任式でスタート。私がエリアガバナーなので、そのまま仕切った。新役員で参加していたのは私を含めて4名。今期の会長は常石氏。教育担当が私で、会員担当が榊原氏という顔ぶれであった。そして書記係の砂川氏が今夜のトーストマスターを務めていた。スピーチは2本で、内1本が私の「ネパールトレッキングの真実」。ネパールトレッキングの内幕について述べた情報を伝えるスピーチだったが、大雨で不参加となった他の会員のスピーチの代役だった。

例会後に雨が上がり、少ないメンバーで2次会へと向かった。再起へ向けての初日に土砂降りの洗礼を受けた格好だが、この様な日でも集まる人がいるということに、江戸もまだまだ捨てたものではないと感じた。
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# by inv-pyramid | 2009-08-03 22:48 | 2000年後半