人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

梅雨に入会

雨の季節を待って、というわけではないが、3回ほど例会をパスして、6月の最初の例会で入会宣言、続く6月21日の第124回例会にて晴れて江戸クラブに入会した。折りしもトーストマスターズの年度終わりだったのだが、もちろんそんなことは知らない。

3回目の見学から入会まで間が空いたのは、単純にお金の問題だった。当時の入会金は3000円、会費は半年分前払いで6000円と現在と変わらない。物価も本部納入金も値上がりしているのに、10年以上も据え置き(実際は一時5000円に値下げしている)というのはひとえに千駄ヶ谷社教館が無料だからだが、それにしてもサラリーマンが1回でポンと出すには1万円弱という金額は大きい。これは価値観の問題だろうが、私には大金であり、そんなお金を出して入会してから先、コンスタントに続けられるかどうか微妙な心理が働いたのは確かである。現在の私からすれば全くの杞憂であるが、誰でも最初に入会を考えるときはそんなものではないだろうか、とも思う。

最古参メンバーの大嶋女史などは、もう来ないかと思っていたそうだ。まあ連続して見学に来ていた人間がぷつりと来なくなったのだから、それはそうだろう。今でも時々そういう人を見かける。江戸クラブの会長は大嶋氏から朴氏へとバトンタッチされようとしていた。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-07-23 21:42 | 1994年

3度目の正直

1994年4月5日。3回目の例会見学は、3度目の正直で今度こそ通常例会だった。第120回である。この頃はまだパソコンやワープロなどはそれほど普及しておらず、手書きのプログラムも結構多かった。それが段々と文書のワープロ化が進んでくると、時には手書きのプログラムはけしからん、と仰る御仁も出てくる有様で、10年ほどしか違わないのに、今の世とは隔世の感すらある。

プログラムの進行は、トーストマスターズの標準通り、テーブルトピック、スピーチ、論評、という流れだったが、今夜のちょっといい話がなんと総合論評の後に行われていた。ちょっといい話は例会の最初の方で会の堅い雰囲気を和ませるために行われるショートスピーチ、というのが定説になっている現在からするとかなり違和感があるかも知れない。しかし当時の私には初めて触れるトーストマスターズの通常プログラムであり、こんなものなのかな、と思うしかなかった。当時会長だった大嶋氏が基本マニュアル#8説得力を持って話せで、「日本語スピーチに必要性はあるのか」というスピーチをされていたのが興味深い。

この頃はゲストは3回まで見学が許されることになっていた。3度目の正直で入会するか否かを決めるわけである。私の腹は決まっていた。しかし入会するにはもう少し時間が必要だった。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-07-04 23:08 | 1994年

社教館まつり

江戸クラブは1994年当時は既に千駄ヶ谷社会教育館(以下、社教館)で月2回の例会をしていた。社教館というのは、都内の各区に存在する、公民館とはまた違った性格の施設で、区民が自主的に社会教育活動を行うことを支援する施設という位置づけを持っている。貸し会議室が無料というところがポイントだが、これには条件があり、団体登録をし、なおかつ構成員の半数以上がその社教館が存在する区の在住、在勤、在学者でなければならない。ちなみに千駄ヶ谷社教館は渋谷区の施設である。それまで会場を転々としていた江戸クラブがなぜ千駄ヶ谷に拠点を移したのかといえば、それは当時の会員だった中野氏という方が千駄ヶ谷在住だったからだ。

登録団体となったからには、ただ会議室を借りるのではなく、地域活動にも参加して社教館への印象をよくしておく必要がある、という意図があったかどうか定かではないが、当時の江戸クラブは社教館が毎年3月に行っている、「社教館まつり」という登録団体の活動発表の場、つまり文化祭のようなものにも参加していた。

スピーチコンテスト、ディベートと続いてさらに社教館まつりでのデモ例会と、1ヶ月の間に3度も特別な例会を行うことのできるエネルギッシュなものが当時の江戸クラブにはあった。クラブを支える中心メンバーの志の高さ、とでも言うのだろうか。それが私が入会を決める一つの要因になったことは間違いない。後に私が会長になった時、私もまた社教館まつりに参加し、デモ例会を行ったのは、この頃の江戸クラブに対するリスペクトがあったからかも知れない。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-06-20 01:12 | 1994年

ディベートの洗礼

さて、初見学に続けて3月の第3火曜日の例会も見学した。手元の控えでは119回例会とある。今回はディベート勉強会。前回のスピーチコンテストに続いて2回連続での特別プログラムである。最近の例会の風潮として、スピーチマラソンなど個人の課題スピーチばかりを進める傾向が目に付くが、当時は何回かに1回は特別なプログラムがあった。それはまだ、日本のトーストマスターズが国際本部から正式な地区として認められていなかったという時代背景もあるだろう。正式な地区、日本支部として認定された現在では、それに伴い上級トーストマスターを年間数百人も認定せよ、というノルマが課せられるため、勢い個人のスピーチプロジェクトの消化が例会の活動の中心になる。それを否定はしないが、トーストマスターズのプログラムはもっと幅広い。昔の方が柔軟に活動できていたように思うのは私だけだろうか。

話が横道にそれたが、この日私はディベートというものを目の当たりにした。2組のチームがある論題に対して肯定側と否定側に分かれ、立論、尋問、最終弁論という流れで論陣を張る論戦の場。いかにも訴訟社会のアメリカで発達したような議論の手法は、私の目には新鮮に映った。この日の論題は「日本政府は1994年に関税を撤廃し、食用米の輸入を自由化すべきである」。当時の時代背景が偲ばれる。大嶋夫妻に野島、鹿野といった当時の江戸の論客たちによる舌戦は熱がこもり、これがディベートか、と見る者を納得させる迫力があった。と同時に最後に審査で肯定側、否定側どちらかが勝利を収めるという終わり方には釈然としないものも感じた。しかしこれは法廷などで最後に判決が下されることを考えればしごく当然なことなのだろう。2つのチームがそれぞれの意見を戦わせ、最後は第3者が判定を下す。この日以後、私はトーストマスターズにおいて何度かディベートに関わることになる。その記念すべき初日がこの日となった。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-06-08 00:30 | 1994年

なぜ、江戸なのか

私と江戸クラブとの出会いは1994年であるが、江戸クラブ自体は1988年から活動を始めていた。江戸クラブは関東の日本語クラブとしては歴史が古いが、江戸クラブが活動を始めた時には、既に愛知県に名古屋、春日井、愛知の3クラブが、また熊本県に熊本クラブが存在していた。ここでは江戸クラブ誕生のいきさつについて少し触れておきたい。

日本で一番古いトーストマスターズといえば、東京クラブと福岡クラブの2つの英語クラブで、ほぼ同時期に設立され50年以上の歴史を持っている。江戸クラブはその東京クラブから枝分かれしたクラブである。当時東京クラブに在籍していた外国人が日本語の勉強のために外国人のための日本語のクラブを作りたい、というのが話の始まりで、それに賛同した日本人の協力を得て、活動が始まったとのこと。ちなみに私は現在宇都宮で新クラブの立ち上げに奔走しているが、この江戸クラブの発起人とも言えるアメリカ人が宇都宮近辺で英語を教えているという事実を最近知った。

というわけで設立当初は外国人会員の方が多かったそうで、今の江戸クラブの状況からすれば信じられないだろう。後に私が設立に関わった武蔵クラブも同じような経緯を持っている。「江戸」という名前の由来は母体となった東京クラブに対するもので、外国人の日本文化への想いも反映されているのだろう。例会も東京クラブが大手町の三井物産ビルで行われていたのに対して、江戸クラブは博報堂の会議室で行われていた。千駄ヶ谷に移ったのはずっと後の話で、その間は場所を転々としていた。その間のいきさつは、私が編集した江戸トーストマスターズクラブ15周年記念誌にまとめてあるので、ここでは省略するが、活動を開始して正式なトーストマスターズクラブとして、アメリカの国際本部の認証(チャーター)を受けたのは、1年後の1989年のことである。であるから私が始めて見学に訪れた時は、認証後5年目のことになる。その時点での外国人会員はアジア人も含めて3名だった。

クラブも5年を経過すると顔ぶれも変わるもので、創立時のメンバーはほとんど残っていなかった。しかし、私も知らない創立時のメンバーとは以後時折顔を合わせる機会が何度かあった。私も江戸クラブ創立時の資料、とりわけクラブ認定証については折に触れ探しているが、未だに見つからない。それだけ、このようなクラブを長年に渡り維持するということは大変なことなのだと思う。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-06-04 02:16 | 1994年以前

1994年、江戸・東京。

手元の記録では1994年3月1日とある。恐らくまだ寒い夕刻、私は千駄ヶ谷駅の改札を出たはずである。左手に東京体育館を見ながら、江戸クラブの例会会場である千駄ヶ谷社教館を目指した。まさかこの日から数年間、ここに通うなどとはまだ思っていなかった。もちろん逆ピラミッドの理念などは、この時点ではこれっぽちも頭の中にはない。鳩の森神社、もみじ茶屋のある5差路の風景は、現在とほぼ同じだった。

初めて訪れた江戸クラブでは、スピーチコンテストのクラブ内予選を行っていた。トーストマスターズでは毎年5月に全国のクラブが集まり、全日本スピーチコンテスト(現在は国際スピーチコンテスト)を開催している。その第1関門がクラブでのコンテストだった。審査員には、今をときめく井上氏が名を連ねていた。この頃はまだ日本語クラブにもよく顔を出されていた。

例会は千駄ヶ谷社教館の2階中会議室だった。現在もここで同じように例会が行われていることを考えると、感慨深いものがある。私は窓側の席に座った。クラブコンテストでは7、8人のメンバーが次々にスピーチを披露していた。大嶋、朴、間中、鹿野の各氏など当時の江戸クラブを支えていた方々は一人一人が個性的で、私はただ圧倒された。カルチャーショックと場違いな所へ来たという思い、そして興味深さとがない交ぜになった気持ちでトーストマスターズとの邂逅は終わった。

この時はまだ、江戸クラブ以外に他のトーストマスターズがあること、英語のクラブがあることなどは知らなかった。初めて参加したクラブが日本語クラブだったということは、その後の私の歩みを考えると、幸せなことだったのかも知れない。今も昔も私にとっては、トーストマスターズ=日本語クラブ、否、母国語クラブなのだから。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-06-01 01:09 | 1994年

その人の名を知らず

1994年以前、インターネットはまだ一部の人のものだった。携帯電話、パソコンも今ほど普及しておらず、メールといえばパソコン通信で行っていた時代である。もちろんトーストマスターズのことなど知らない。

その頃私は朝日新聞が主催していた無料ネット、サイエンスネットのユーザーだった。ネットでは時折オフ会と称してユーザー同士がネットの外で集まることがある。私はそのオフ会で、今ブレイク中のラズロ氏と出会った。自称芸術家の彼は日本語を母語としないスピーカーの会、SPEAK!を主催していた。日本語を母語としない人、つまり外国人が毎回テーマを決めて日本語でディスカッションする会で、彼の誘いを受けて私はしばらくその会に参加していた。後で知ったことだが、この時彼は江戸トーストマスターズクラブの会員でもあった。

このSPEAK!にパターソン氏というアメリカ人が参加していた。彼はSPEAK!を抜けたがっていて、代わりに見つけたのが江戸トーストマスターズクラブ(以下、江戸クラブ)だった。私はしばらく後、彼から江戸クラブに誘われた。私はまだトーストマスターズのことを知らなかった。彼は私にいくつかの江戸クラブの案内チラシをくれた。チラシから、この会が日本語のスピーチ勉強会であること、会合を千駄ヶ谷で行っていることなどを知った。運命の歯車が回り始めた瞬間だった。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-05-30 00:56 | 1994年以前

逆ピラミッド、それは・・・

「逆ピラミッド」-それは、トーストマスターズの理念であり、聖地である。私にとっては心の故郷と言えるかもしれない。「人前で話す」、たったそれだけの活動を通して、人と人が交流し、そして励まし合うことができる、トーストマスターズクラブにはそんな魅力がある。ここでは、この活動に身を投じている一人の人間、つまり私の視点を通して、逆ピラミッドへと未だ至らぬ軌跡をつづりたい。

逆ピラミッドとは、人間関係のあり方を示す一つの形である。普通、一つの組織の構造を考えた時、指導者を頂点として、階層的に広がり、底辺に一般の構成員を置く形を「ピラミッド型」と呼んでいるが、逆ピラミッド型は文字通りこれとは逆の考え方をしている。つまり、経験の浅い人間が、頂点ならぬ頂辺に位置し、経験を積んだ者ほど下層へと下がり、頂辺に位置する者を支援するという考え方である。

実は、人は誰でもこの逆ピラミッドの人間関係の中で生きている、とも言える。人はこの世に生を受けた時、まず母親の腕に抱かれる。母の腕の中で横になって抱かれている赤ん坊こそ逆ピラミッドの頂辺であり、その赤ん坊を下から支えている母の腕が、逆ピラミッドの底点である。そしていつしかその関係は、母に抱かれた記憶とともに心の奥底へと深く沈んでいく。

逆ピラミッドへ至る道とは、忘れかけた心の望郷へと還っていく旅路であるとも言えよう。だからこそ私にはそれが心の故郷に思えるのだ。そんな気持ちにさせてくれたトーストマスターズとは、一体どのような集まりなのだろうか。
[PR]
# by inv-pyramid | 2006-05-29 18:27 | 1994年以前