人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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晩秋のハイキング

11月23日には、今年2回目の野外イベントが開催された。高尾山へのハイキングである。今回の幹事は私で、スピーチの中で山が趣味であるということを話したからか、何となくじゃあ次は山へという流れになり、近場の高尾山へ出かけることになった。

勤労感謝の日で秋もだいぶ深まっていたが、穏やかな良い天気で紅葉もまだ十分楽しめた。登り下りとも徒歩コースだったが、女性陣は下りはリフトを使用していた。山頂では、山上ミーティングと称して例会も行った。ポットでお茶を沸かして、テーブルトピックなどに講じていた。正味1時間の例会だったが、場所を選ばずこのようなことができるのがトーストマスターズのよいところだろう。またそういうことが楽しめるメンバーが集まっているのがトーストマスターズだとも言える。ハイキングイベントはこの後もしばらくは毎年続けられた。
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# by inv-pyramid | 2006-08-21 18:32 | 1994年

ぼくの美しい人だから

10月に入って、横浜のランドマークタワーにて、はまクラブとの合同例会が開催された。私にとって初めての合同例会である。はまクラブは江戸クラブの創立メンバーの一人である飯牟礼氏や横浜クラブの有志が中心となって創立された関東で2番目の日本語クラブで、当時は横浜クラブと同じ関内の「ヨーク」という集会施設で、毎月第1土曜に横浜クラブの例会の後、16時30分から例会を行っていた。ヨークでの例会は場所の狭さもあるが、江戸クラブのコの字型の机の配列とは異なる、机なしで椅子をランダムに並べただけのシンプルなスタイルで、横浜という港町の空気も手伝って幾分カジュアルな感じのするものだった。

今回は合同例会ということもあり、ランドマークタワーの13階にある横浜市の施設「フォーラムよこはま」で開催された。ここは90年代はコンテストやワークショップ、総会などでよく利用されていた場所で、最近はTMの会員数が増えたためかあまり利用されなくなったが、ランドマークタワーの中層階で眺めもよく、食事は階下のデリやレストラン街などが利用できてとてもよい場所だった。

合同例会は10月15日の夜開催だったが、20数名は集まっただろうか。特にはまクラブの方はまさにはまの黄金期を飾った面々が集まっていた。表題はその時の私のスピーチ題名で、同名映画をモチーフに自分の年上の人との恋愛体験を綴った。今でも時々スピーチに織り交ぜているが、熱意を示せという課題に即した内容だった。やはり自分がスピーチをやった回というのはよく覚えている。2次会は地下の崎陽軒で盛況に行われた。
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# by inv-pyramid | 2006-08-19 15:12 | 1994年

江戸川でハゼ釣り

江戸クラブだから江戸川でハゼ釣り、というわけでもないが、この年の9月10日には野外企画として東京湾でのハゼ釣りが企画された。これは当時江戸会員だった山本氏のツテによるもので、会費一人¥9500で釣り船をチャーターし、東京湾へハゼ釣りに繰り出すという趣向。午前中はハゼ釣りを楽しみ、午後は釣ったハゼを天ぷらにして船上で酒宴に講じた。

釣り船屋は東西線の南砂町を下りて車で少し移動した荒川の川沿いにあり、ここから釣り船に乗り込んで東京湾を千葉方面に移動、左手には今はなきザウスも見え、やがて江戸川の入り江を少し入ったところで停泊した。ハゼ釣りのスポットらしく他にも何艘かの釣り船が停泊していた。

当日は9月にも関わらず朝からカンカン照りで、早朝から江戸はま合わせて10名程度が参加した。ハゼ釣りは私を含めてほとんどの人が初めてらしく、屋根などない釣り船の上で日焼けしながら、みな釣りに講じた。後半からはこれにビール焼けが加わったが、たまにはこのような変わったイベントも楽しいものである。クラブに活力がなければこのようなイベントは企画されず、また参加者が集まるはずもない。そいいう意味で当時はまさにクラブに活力があった。あるいはまだ景気がよかった頃だからかも知れないが。
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# by inv-pyramid | 2006-08-19 14:45 | 1994年

風に吹かれて

私の初スピーチは9月の第128回例会で行われた。入会後4回目の例会でのことであるから、順番としてはそれなりの順番だと思う。少なくとも当時はみなそれくらいの順番でスピーチをしていた。

「風に吹かれて」というのは、その時の私のスピーチの題名であるが、やり方としてまず題を書いた紙を5枚用意し、それを司会者に1枚引いて貰ってその題でのスピーチをした。この手法は上級マニュアル・特別なスピーチ#1の即興スピーチにもあるやり方だが、私はそれをアイスブレーカーで行った。もちろん入会したばかりで、上級マニュアルにそんな課題があることは知らない。ただ、人と違ったことをやりたいという私の天邪鬼精神が発揮されただけのことである。

もっとも題が5つあるとはいっても、そのどれもが同じスピーチに結びつく内容だったので、さほど難しいものではなかった。内容は私が今でも時々スピーチに織り交ぜている社会人としての2年間の空白期間の体験を綴ったもので、メモは使わなかった。体験を話しているので、メモに頼らなくとも話はできた。それよりも印象に残っているのは、この時の部屋が料理室だったということで、初スピーチが料理室というのも何やら面白い。また料理室は声の反響がすごく、スピーチが響き渡るので、通常の会議室で行う時とはまた違った感じがするのが特徴だった。

この回はゲストも多く、NW誌系ゲストが3名、JTC(日本トーストマスターズ評議会。現在のディストリクト76のこと)の役員だった斎藤氏や井上氏も参加されていた。
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# by inv-pyramid | 2006-08-15 10:57 | 1994年

やまのてクラブ前史

話が前後するが、私は江戸クラブに入会してすぐ、やまのてクラブにも参加していた。これは現在中目黒を拠点に活動しているやまのてクラブではなく、そのルーツとも言える旧やまのてクラブのことである。当時は代々木の集会施設で月1回例会を行う日本語のみのクラブだった。

旧やまのてクラブは江戸クラブの浪川氏(現在は東海クラブ)、久田氏を中心に日本語クラブのさらなる発展を願って結成され、1993年1月から活動を開始していた。名前の由来は山手線の沿線各駅に一つずつ日本語クラブがあったら、という理想を反映したもので、最盛期の会員数は12名。惜しくもチャーターには至らなかったが、江戸クラブのメンバーも適宜応援して、約20回ほどの例会を行った。結局最後の方は会員が3名になってしまい、解散という結末を迎えてしまった。

私は江戸クラブとは微妙に雰囲気の異なるこの旧やまのてクラブが好きで、毎回参加していた。そして解散ということになった時、いつかこのクラブを再興したいと思い始めていた。後に他のクラブの設立に参加して、クラブ設立の手順を覚えながら、2001年になってようやくバイリンガルクラブとして現在のやまのてクラブを立ち上げるに至ったのだから、まさに執念である。現在のやまのてクラブについての話は、またいずれ述べたい。なお、旧やまのてクラブの備品の一部は解散時に私が預かり、現在のやまのてクラブに一部を引き継いでいる。
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# by inv-pyramid | 2006-08-14 12:52 | 1994年

能鑑賞

8月の江戸クラブのイベントでは、能鑑賞が行われた。これは江戸会員の中野氏の知り合いが能役者で、その子供が初舞台を踏むということで中野氏にもチケットが配られた関係で、江戸のイベントとして行われたもので、10名ぐらいが参加したと思う。渋谷の観世能楽堂で行われた。私はそれまで能鑑賞などしたこともなく、この日が初体験だった。トーストマスターズから派生したつながりの広さを実感することとなった。

番組は、舞囃子、狂言、能の順で、能の演目は「邯鄲(かんたん)」。総上演時間1時間30分で、日本の古典芸能に触れる機会としては良かったが、鑑賞に慣れていないので意味も分からず、ただその雰囲気に飲まれていた。しかしこういう機会でもなければ私などはまず観に行かないので、貴重な時間ではあった。何しろこの手のイベントは後にも先にもこれきりとなったのだから。
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# by inv-pyramid | 2006-08-14 03:15 | 1994年

NW誌への記事掲載と運命の出会いその2

入会した年だから色々とあったのか、1994年というのがそういうタイミングだったのかよくわからないが、この年はPR活動もこまめに行われていた。インターネットなどまだ一般化されていない時代だから、もっぱら新聞雑誌などのメディアへの記事掲載である。その一つが日経ウーマン誌への記事掲載で、小さい囲み記事ながら、女性向け雑誌ということで、女性からの問い合わせが殺到した。最終的に100名弱の問い合わせがあったのだから、まずまずの成果だったのではないだろうか。

そのNW誌を見て来ましたという女性ゲストの方が、私が初の役割を担った回の次の例会に見学に来ていた。NW誌系ゲスト第1号で小柄で感じのいい方だったが、ゲスト感想で大嶋夫妻の関係に言及するなど鋭い質問もされていた。入会希望とのことだったが、やはり江戸クラブのコアなメンバーがスピーチをしていたので、後で考え直したのか2度と来なかった。この回では新役員就任式も行っていた。

そしてこの次の8月の例会にもまたNW誌系ゲストが2人来て、その内の一人は後に入会した。この回では、テーブルトピックと論評のクラブコンテストが行われたが、その最後にゲストへもテーブルトピックが振られた。「天国と地獄とどちらへ行きたいか」という出題に対して、「地獄」と答えていたのが妙に印象に残ったその人が、後に私の伴侶となるのだが、これも一つの運命の出会いだろう。

この回で私はちょっといい話をした。「トーストマスターズに入ったワケ」という題で、なぜか原稿まで作っている。後の私のスピーチスタイルからは創造もできないが、まだスピーチに対して真摯に取り組んでいたのだろう。やはり入会した年というのは色々とあるものなのだろうか。
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# by inv-pyramid | 2006-08-14 02:51 | 1994年

聴能言語士と運命の出会い

私が江戸クラブに入会した1994年というのは、例会以外のイベントが非常に多い年だった。元来好奇心旺盛な私はそのどれもに参加した。トーストマスターズをベースとして、色々な世界を知るきっかけとなったその最初のイベントが、大宮で開催された「日本聴能言語士総会ワークショップ」。聴能言語士(現在は言語療法士)とは、障害があって言語機能が正常に働かない人の言語治療に携わる医療技術者のことで、その総会が大宮で開かれていた。なぜその総会に江戸クラブが参加したのかといえば、当時筑波クラブのメンバーで、新たに浦和に埼玉クラブを立ち上げようとしていた梅本氏がその聴能言語士で、その総会にトーストマスターズのワークショップを組み込むことを企画されたからだった。ワークショップには江戸クラブ、はまクラブの日本語クラブの面々を中心として、ディベートの井上氏などの英語クラブの有力者も参加していた。

このワークショップに参加するまで私は聴能言語士のことなどまるで知らず、大いに勉強になった。また江戸以外の日本語クラブであるはまクラブの面々と会うのも初めてのことで、はまクラブの人たちともこれ以降よく付き合うようになった。そして梅本氏との出会いは、この後のことを考えると正に運命の出会いで、梅本氏とは数年後武蔵の設立で一緒に活動することになるのだが、この時はもちろんそんな展開になるとは思いもよらなかった。

肝心のワークショップだが、トーストマスターズの説明に始まり、モデル例会を行った後、「聴能言語士の仕事にトーストマスターズをどう生かせるか」をテーマとしたグループディスカッションの実習を行った。ここでの私の役割はまたもえーとカウンターだった。トーストマスターズの活動は、言語士のみなさんには好意的に受け止められたが、自分たちとの仕事との関連という点では、似て非なるものという感想を述べられた方が多かった。それは言語士の仕事が患者の話を聴く方に重点が置かれているかららしく、自分が話す方が主体のトーストマスターズとはちょっと違うと思われたからかも知れない。

しかしながら、今でもこうしてあの時のことを鮮明に覚えているということは、私にとってとても有意義なひとときであったに違いない。
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# by inv-pyramid | 2006-08-14 02:05 | 1994年

あせらずに

かくして、私の江戸クラブでの活動がスタートした。1994年7月5日、第125回例会がその記念すべき初日で、奇しくもトーストマスターズの新年度からのスタートとなった。江戸クラブは朴新会長の下で、役員もフレッシュかつ個性的なメンバーで活気があった。

「あせらずに」というのは、私の入会後の初の役割である今夜の言葉で私が準備した言葉である。トーストマスターズには入会したけれども、あせらずにマイペースで行こう、という気持ちを込めたかどうかはもう忘れた。スピーチの上手な人が多いので気後れしないで行こう、と思っていたのかも知れない。当時は今夜の言葉とえーとカウンターがセットになっていた。この頃は、新入会員が担当する最初の役割はえーとカウンター/今夜の言葉と相場が決まっていて、最初のスピーチをするのは入会して2,3回後の例会で行うのが通例だった。

最近は入会初日に初スピーチを行う風潮があり、入会前のゲストにスピーチをさせたり、ゲストに初スピーチをさせることを条件に入会させたりする傾向もあるが、それは本来のやり方ではない。何しろマニュアルが手元にないのだから。マニュアルにも新入会員には然るべき手順を踏んでから初スピーチをして貰うように書いてある。トーストマスターズの例会でのスピーチはマニュアルの課題とその目標に沿って行うのが基本なのだから、マニュアルがない状態でスピーチをするというのは、既にトーストマスターズでのスピーチではない。然るべき手順を踏む、ということは古きよき時代の逸話ではなく、基本の基なのだ。

入会当時はそれが当たり前だと思っていた。最初に入会したクラブでの体験というのは、それが原体験となるのだから、そこからの刷り込みも大いにある。今も昔も江戸クラブ入会当時の体験は、私とってのスタンダードなのである。
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# by inv-pyramid | 2006-08-14 01:21 | 1994年

モツ鍋の記憶

晴れて江戸クラブに入会した私は、2次会にも参加するようになった。会社は当時から目黒だったので、例会の日は行きは行き易かったが、帰りは相模原だったので、2次会に参加すると深夜帰宅になってしまうため、2次会にはまだ不参加だった。

当時の流行は「モツ鍋」。現在のもみじ茶屋と猪八戒の中間あたりの地下に「らむろ」というちょっと小洒落たモツ鍋レストランがあり、当時の江戸クラブの行きつけの2次会場だった。大嶋氏や朴氏などはもちろんマスターと顔馴染みで、いくつかの料理の後、モツ鍋で締めるのが、この頃の江戸クラブの2次会の流儀だった。

その後、モツ鍋ブームも下火となり、らむろもいつの間にか閉店していた。らむろなき後は、しばらくもみじ茶屋で2次会をしていた。ここはらむろが健在の頃もらむろが満員などの時の第2会場だったが、とにかく料理が出るのが遅く、メンバーの間では不評だった。

たまに社教館と代々木を結ぶ商店街通りの方へ繰り出すこともあり、地中海料理の「十番亭」やタイ料理店、イタリア料理店などで2次会をすることもあった。十番亭は一時期忘年会場としてよく利用していた。そうこうしている内に猪八戒が開店し、現在に至っている。
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# by inv-pyramid | 2006-07-23 22:07 | 1994年