人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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スピーチコンテスト初挑戦

1995年6月6日の第143回例会では、全日本スピーチコンテストのクラブ内予選が行われた。最近はインハウスコンテストなどと呼ばれることが多くなってきたが、この頃はクラブ内予選という呼び方が一般的だった。インハウスコンテストという呼び方は英語クラブからの影響だろうが、TMのマニュアルにはインハウスコンテストという呼称は実はどこにもない。正しくはスピーチコンテストのクラブレベル、もしくはクラブスピーチコンテストである。日本語クラブなのだから、せめて日本語らしく呼び習わしたいものである。

それはさておき、私はこのクラブ内予選に初出場した。私はこの時点までにでちょうど6回のスピーチを終えていた。ただこの頃は日本がまだ正式なTMの一地区ではなかったこともあり、日本語クラブでは基本マニュアルを4まで終えていればよかった。予選への出場者は4名で、私のスピーチは「雪山の掟」なる題の山ネタ。ピッケルなどの小道具を使って、山での遭難体験を話した。優勝は唯一の女性出場者の田辺氏で題が「戦争と平和」。一部の審査委員の話では私のスピーチが1位という声もあったようではあるが、まだまだ上手な方が多く、毎年の様に全国大会へ出場するようになるのはまだ先の話だった。
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# by inv-pyramid | 2006-09-17 00:26 | 1995年

新たなる潮流

1995年といえば、ウインドウズ95が発売された年である。それまでパソコンといえばPC98が圧倒的多数で、しかしそれでもパソコンユーザーはまだまだ少なかった。江戸クラブでも例会プログラムは手書きとワープロでの作成が半々ぐらいで、またワープロも現在の用に多数の書体を使えるものではなかったので、画一的で平板な文字によるものが多かった。本格的なインターネットの活用は次のウインドウズ98の到来まで待つ必要があった。今日のようなメールでのやりとりなどまだまだ考えられない時代だった。

江戸クラブのメンバー構成も微妙に変わりつつあった。創立初期は外国人会員が多かったわけだが、外国人は徐々に減り始め日本人主体のクラブになりつつあった。私の入会時で外国人は3人、この時点では会長の朴氏一人になっていた。代わって台頭してきたのが女性会員である。これはやはり前年の日経ウーマン誌への広報効果が大きく、95年に入ってからは例会の男女比の割合が、4:6、5:5、6:4など、女性が占める割合が増えてきた。女性の社会進出がクローズアップされていた当時の社会情勢をよく反映しているとも言える。

女性が増えると会の雰囲気も変わるもので、特にスピーチなどは女性好みのネタが多かった。比較的多い話題が結婚ネタで、自分の見合い話経験や結婚します、しました宣言をスピーチの中でする方もいた。私はこの状況に少なからず危機感を覚えていた。次年度の役員構成が女性5、男性2となったことでその思いはさらに強くなった。このまま女性主体のクラブになるのではないかと思えたほどである。新たなる潮流の訪れを予感した。
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# by inv-pyramid | 2006-09-16 23:59 | 1995年

ディベートワークショップ、その日

かくして1995年4月16日の日曜日、紆余曲折を経てJTCイベントとしてのディベートワークショップが千駄ヶ谷社教館で開催された。江戸、はまのメンバーを中心に名古屋や熊本からも有志が参加した。JTC役員としては当時のガバナー斎藤氏(現田園都市クラブ)、井上氏(現青山ランチクラブ)らが参加された。

ワークショップは3本立ての構成で行われた。まず最初は井上氏による講演。よく行われる二人一組になってのペアディベートを全員で行った。続いてはモデルディベート「熊本市を日本の首都にすべきである」。江戸メンバーの大嶋氏と間中氏の1対1による掛け合い的なディベートは、ユーモアを交えながらディベートの流れを分かりやすくする意図があった。

そして最後にこの日のハイライト「日本政府は安楽死を立法化すべきである」。この論題は元々はディベートコンテスト用に設定されたもので、出場予定クラブは既に色々な情報を集めたりの準備をしていたので、それを生かす形となった。江戸クラブ田辺、豊田組対はまクラブ飯牟礼、太田組の論戦は流石に準備万端で見事なものだった。奇しくも女性組対男性組となったので女性、男性双方の考え方の違いも反映された。

都合3時間強のワークショップとなったが、ディベートへの理解を深めるには十分過ぎるほど濃厚なイベントとなった。日曜は休みというらむろを特別に開けてもらってのもつ鍋パーティーで2次会が行われた。
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# by inv-pyramid | 2006-09-11 22:01 | 1995年

トーストマスターズとディベートその2

ディベートコンテストの論題にはどのようなものが選ばれていたのだろうか。以下は当時の資料からの抜粋である。

1991年 「日本政府はPKO(国連平和維持活動)に自衛隊を参加させるべきである」
1992年 「医師は患者にガンを告知するべき」
1993年 「日本政府は1994年中に関税を撤廃し食用米の輸入を自由化すべきである」

いかにも当時の時代背景が偲ばれる論題ばかりである。テーマとしては少々硬い気もするが、コンテストの論題としては誰もが理解している内容で、かつその時代の話題であり、資料収集が容易なものが厳選された。結果として、時事問題ばかりになってくるわけである。論題選びには「日本の論点」などの出版物がよく利用された。私も1995年のコンテスト実行委員になった時、この論題選びにまず時間を費やした記憶がある。ディベートコンテストでは、定義が明確にできるものでなければならないという前提があり、曖昧な論題では論点が明確にならず、審査も難しいというわけである。「日本政府が」などの主語が入っているのはそのためだ。

ディベートコンテストにはそれ用の審査用紙が用意されており、肯定側、否定側の論点を分析評価できるようになっている。このコンテストの難しいところはその進め方である。出場チーム全てが同じ論題でのディベートを競うため、トーナメント方式が採用される。A、Bチームの勝者とC、Dチームの勝者が決勝に進めば、また同じ論題でのディベートを行う。1回の論戦で40分程度の時間がかかりるので、4チームのコンテストであれば都合3回のディベートが行われる。この状況を楽しめるか、苦痛と感じるかである。

2000年3月に名古屋で行われたコンテストを最後に、以降行われていないのは(英語は除く)、ディストリクト体制になって年2回のコンテスト制となり、クラブ、エリアと勝ち上がりで行われる現在のシステムにそぐわないからだと思うが、折をみてまたやってみるのもいいかも知れない。トーストマスターズが決して個人スピーチ研鑽のためだけの場ではない、ということを実感するためにも。
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# by inv-pyramid | 2006-09-10 00:18 | 1995年

トーストマスターズとディベート

1990年代、ディストリクト76つまり日本地区がまだ日本トーストマスターズ評議会、略してJTCと呼ばれていた時代はディベートに関するイベントが盛んに行われていた。それは一つにはディベート研究所を主宰されていた井上氏の存在もあるだろうし、ディベート好きな会員が多かった、否その様な活動をすることが目的でトーストマスターズに入ってきた人が多かった、ということもあるだろう。江戸クラブにもその様な論客が結構いた。手元の資料には「クラブの会員数が増えてくると討論会が重要になってきます。クラブ内での意見交換ばかりでなく、討論の題目として現代に関わる重要な問題などを選ぶことによって、他のクラブの人々と共に問題点に対する知的な意見を作り出し、自分のものとしていくことができます」とある。つまり討論のトレーニングの一環としてディベートが位置づけられていたわけである。

ちなみにトーストマスターズのマニュアルにもディベートハンドブックなるものが用意されているが、トーストマスターズ全体の中での位置づけはそれほど大きくはない。それはアメリカでは学校教育の中でディベート教育も行われ、日常的に行われているからだろうか。日本でも主として教育団体を中心としたディベート協議会などがあり、普及活動が行われている。トーストマスターズのメンバーには教員の方も多いので、その様なメンバーが中心となって、ディベートコンテストやワークショップが毎年行われてきたという側面もあると思う。

この頃はまだ日本語クラブも数が少なかった(関東2、中部3、九州1※正クラブのみ)ので、どのクラブも毎年必ず何かのコンテストを運営していた。その中で江戸クラブは実に3回もディベートコンテスト、ワークショップを運営していた。ディベートコンテストは事前に論題を決め、それに関する定義付けや資料の収集など準備が大変であり、なおかつメンバーのディベートに関する認識を高めるため、ディベートのやり方の勉強などもしていたので手間がかかった。一部のディベート好き会員に引っ張られていた面もある。しかしそれでも何度もこのイベントを運営したということは、クラブにとっては貴重な財産になっていたのかも知れない。コンテスト運営もディベートも初心者の私としては、ただ半信半疑でついていくだけだった。
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# by inv-pyramid | 2006-09-07 23:50 | 1995年

1995年、阪神淡路大震災、そして...

1995年といえばまず想起されるのが阪神淡路大震災である。トーストマスターズもこの震災とは無関係ではなかった。当時関西にはチャーターを目指していた日本語クラブが一つあった。西宮クラブである。元ディストリクトガバナーの稲継氏も所属していたこのクラブと江戸クラブは、この年の3月に西宮でのディベートコンテストの開催を予定していた。私は大嶋氏や佐藤氏と共にこのイベントの実行委員として、昨年から色々と準備を始めていた。その矢先の事件というか災害がこの阪神淡路大震災だった。この震災の影響で、西宮クラブが押さえていた会場が被災し、西宮クラブ事態も活動を休止する事態に追い込まれた。天変地異を前にしては誰もトーストマスターズどころではない。

協議の結果、ディベートコンテストはディベートワークショップと形を変え、江戸クラブ主体でこの年の4月に千駄ヶ谷社教館で開催されることになった。この件を始まりとして、江戸クラブの流れが少しずつ変わり始めたのがこの1995年という年だった。創立から7年が経とうとしていた。
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# by inv-pyramid | 2006-09-07 23:10 | 1995年

自分らしさ

「個性が良く出ていました。らしいスピーチで聞いていて楽しかったです」「やっぱり男は夢を追い求める事が大切ですよね」「いつも誰もが思っていたりすることで共感できました」...これらは私が基本#3「スピーチを組み立てよ」の課題で披露したスピーチに対するコメントである。小椋桂の歌に乗せて自分と友人の生き方を比較しながら、夢を追うということをテーマとした内容だった。私のスピーチはこの手の内容が多いので、長年この活動をしていると、いただくコメントも似た内容のものが多い。つまり「その人らしい」スピーチということである。

入会してまだ3回目のスピーチであるのに、「らしいスピーチ」と言われるのも変な気もするが、トーストマスターズというのはある部分自分をさらけ出す場でもあるので、つき合いが短くとも「その人らしさ」を感じさせる空気があるのは確かである。これがもう少しつき合いが進むと、その人のスピーチの傾向というものがよくわかってくる。この頃のメンバーでも結婚ネタの多いT氏や会社員生活の悲哀話の好きなK氏、社会的な事象についての独特の突っ込みが持ち味のM氏など、その人が話せばああ成程と思わせたものだ。

スピーチには人生観や価値観、己の哲学、美学といったものが著しく反映される。それらが凝縮された5分から7分の時間は、まさに自分らしさが表現される舞台である。同時に自分らしさを取り戻す場でもある、とも言える。今日までこの活動を続けているのは、そんな自分らしさを追求しているからかも知れない。
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# by inv-pyramid | 2006-09-05 23:19 | 1994年

1994年のクリスマス

翌週の12月20日がこの年、1994年の江戸最終例会で、恒例のクリスマス会となった。最近は忘年会として行われることの方が多いが、この頃はまだクリスマス会と称して、最終例会を行っていた。

クリスマス会なのでプログラムもそれに見合った内容である。曰く、例会のハイライトは全員指名のテーブルトピックスであり、また一人いくらと決めての交換プレゼントの用意など。お茶とお菓子も用意された。その中で私の役割はテーブルトピックスマスター。クリスマスネタのオンパレードで、ラジカセを持ち込みクリスマスソングに引っ掛けた出題や、その前週に観た映画「34丁目の奇跡」を素材としたサンタクロースにまつわる出題を考えた。テーブルトピックのネタというのは面白いもので、何年も参加していると毎年同じ時期に同じような話題が出るのが常といってもよい。花見ネタだったり梅雨ネタだったり秋の味覚ネタだったりと、季節感があるのが日本のクラブでのテーブルトピックの特徴かも知れない。考えることはみな同じ、というところか。

この回は、出張で東京へいらした浪川氏(現東海クラブ)、やまのての鎌田氏(同じく現東海クラブ)などのゲスト参加もあり、千駄ヶ谷社教館でのひと時の後はいつものらむろに流れて、モツ鍋での忘年会となった。
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# by inv-pyramid | 2006-09-01 12:55 | 1994年

第3エリア合同クリスマス会

この年の12月17日、横浜の桜木町にてJTCこと日本トーストマスターズ評議会第3エリア、つまりエリア3所属クラブによる合同クリスマス会が行われた。1994年当時の日本地区はまだ正式な地区でなく、その他の地区(クラブ番号の頭にUがつく)扱いで、ディビジョンという概念もなく、全国を5つのエリアに分けていた。エリア3は、はま、横浜、田園都市、三笠、湘南、厚木座間の6クラブで構成されていて、平たく言えば神奈川エリアである。これは現在のエリア32に相当する。昔も今も神奈川エリアは所属クラブにあまり変動がなく、横のつながりが他のエリアに比べて非常に強いのが特徴である。故にこのようなエリア内イベントもよく開催されていた。

江戸クラブは当時はエリア1所属だったが、はまクラブとの横のつながりから、この合同クリスマス会にも招待され有志が参加した。私はこの時が初めての英語クラブとの邂逅だった。ギター伴奏で歌を歌ったり、各クラブのメンバーによるスピーチの披露があったりと盛りだくさんで、英語のスピーチを聞いたのもこれが初めて。クラブ間の横のつながりの良さを感じたひと時だった。今と比べるとまだどこか牧歌的で、それはまだ各クラブともそれほど人数が多くなかったからこそ、このようにエリア合同でまとまることができたのだと思う。
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# by inv-pyramid | 2006-08-29 02:09 | 1994年

初めての論評

12月に入って初めて論評をした。この時点でスピーチは既に3回行っていたので、マニュアルにも書いてある、論評はスピーチを3回行ってからという基準は満たしていた。論評は基本的に即興スピーチであるから、通常のスピーチよりはやはり難しい。ただ、いい論評が出来る時は、スピーチも得てして上手なスピーチであることが多い。上手なスピーチというと一見改善点がなく隙のないスピーチのように聞こえるが、実はそうではなく、論理的でわかりやすく自然と耳を傾けやすく、しっかり聞くことができるスピーチということである。これが何を言ってるのかわからないスピーチだと、聞いていても耳を傾けられないので、聞く力が半減してしまうのである。

この回私が論評したのは、釣り船幹事の山本氏による基本マニュアル5番目の声を豊かにのスピーチだった。山本氏は私が始めて江戸クラブを見学した時にコンテストスピーチをされていて、その時の題「言い切ることが大切だ」は今でも記憶の中に残っている。やはりスピーチの時の印象が強いといつまでも頭の中に残ってしまうものだろうか。

論評者の私にコメントを寄せていただいた方がいて、コメント用紙を見ると好意的なことが書いてあるので、恐らくいい論評だったのあろう。コメント用紙といえば、入会時から毎回の様に私にコメントを寄せてくれる方がいて、小さな役割の時でも何か一言書いてくれたものだが、毎回励みになった。新会員に対する心配りとして、忘れてはならない事の一つだと思う。
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# by inv-pyramid | 2006-08-25 05:11 | 1994年