人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[横浜&武蔵編] D76P論評WS&コンテスト打合せ(その2)

Leader-ship の打合せ後、同じ場所で横浜と武蔵による全日本論評ワークショップ及びコンテストの打合せが行なわれた。参加者は稲垣、加藤、小原が引き続きで、新たに花田、岡野両氏が加わった。今回はワークショップの打合せがほとんどで、ワークショップ担当である花田、加藤の両氏を中心として内容を詰めた。全体の進行としては花田氏が受け持ち、ポイントで加藤氏がコメントを挟む形になるようであった。またモデルスピーチによる論評では良い論評、悪い論評それぞれのモデル論評者を出し、この内日本語の良い論評者を私が受け持つことになった。

運営に関しては、武蔵はあまり人を出せないので、事務的なことに関しては横浜にお任せすることで合意していた。パーティーは当初中華街ということになっていたが、後に会場となる横浜人形の家近辺のレストランに変更された。コンテストは1カ月後に迫っていたが、準備は良好に進められていた。
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by inv-pyramid | 2010-04-30 23:35 | 2000年後半

[Leader-ship編] リーダーシップの秘訣は日々の思いやりから

9月16日(土)14時30分より、東京国際フォーラム地下のカフェテリアで、土曜日トーストマスターズクラブを創る会の第2回打ち合わせが行われた。参加者は稲垣、小林Sの両氏と私、そして新たに武蔵の加藤氏と湘南の大町氏が加わることになった。

第2回の最初の議題はクラブ名の決定であった。事前にメールのやり取りでいくつかの候補を出し、最終的に投票で決めることになっていた。結果としては、小林S氏案の "Leadership Toastmasters Club" が採択された。シンプルで良いというのがその理由であった。コンセプトは「全ての人はリーダーとしての才能を既に持ち備えている。でもそれに気がつかない人は多い。トーストマスターのリーダーシップトラックは、その持前の隠れた才能を引き出してゆき、より充実した人間関係の中に自分自身の存在を感じられる、そしてさらなる前進と飛躍が可能になることをサポートする」、ということになった。

Club Theme: "The heart of Leadership is in everyday communication"
標語:「リーダーシップの秘訣は日々の思いやりから」

私は "Leadership" だけではTMの謳い文句である「コミュニケーションとリーダーシップ」からの引用そのままなので、もう少し捻りのある名称にしたかったが、多数決なので仕方がなかった。せめてその名称に何らかの意味を持たせたかったので、自分の中では "Leader-ship"、つまり「リーダー(たちが乗る)船」という気持ちでいた。だから、このブログ上での標記は、"Leader-ship" ということにしておく。

クラブ名に続き、宣伝方法の具体策が話し合われた。地域的には東京、北関東を対象としていたので、広域に渡っての広報活動をする必要があった。そのためまず連絡先は小林S氏宅とし、ホームページを稲垣氏が作成することになった。新聞、雑誌への対応としては稲垣氏がソーリー氏に英字新聞への記事掲載を依頼することとした。その他スーパーマーケットの掲示板にビラを掲示することが決まった。

エリアについては暫定でエリア2とした。ソーリー氏が新たにメンバーとして加わることになっていたからである。入会金3200円、半年会費4800円とした。これは当初月1回での開催としていたからだ。この日の打ち合わせでクラブの骨子がほとんど決定した。初例会は11月11日(土)であった。
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by inv-pyramid | 2010-04-30 14:51 | 2000年後半

[D76P編] 第1回ディビジョンA評議会

9月15日(金)11時より、神保町にあるスピーキングエッセイの事務所で、ディビジョンAの第1回評議会が行われた。参加者は稲垣ディストリクトガバナー、大嶋TディビジョンAガバナー、ソーリーエリア2ガバナー、松崎エリア3ガバナー、岡本エリア4ガバナーの各氏とエリア1ガバナーの私。当時のディビジョンAは5エリアで、もう一人エリア5ガバナーに稲継氏が就任されていたが、関西圏にお住いのため不参加であった。何故関西の稲継氏がエリア5ガバナーだったのかといえば、東京フェニックスに所属されていたからであった。当時の東京フェニックスはTM界の重鎮が集まる上級クラブで、東京フェニックス以外のエリア5のクラブはみな東日本の地方クラブであり、東京フェニックスがそれらをサポートするという構図であった。スピーキングエッセイの事務所はJTC時代より、大嶋R氏の好意で幾度か各種会合の場所として使われていた。

トーストマスターズではディストリクトのみならず、ディビジョン、エリアそれぞれでも評議会を持つことになっているので、この会合はそれを実践した格好であった。ちなみにディビジョン評議会はディビジョン役員と各エリアガバナーのみで構成される。今回の議題は、これから行なわれる各コンテストとワークショップの運営方法をどうするか協議することであった。とりわけJTC時代と異なる点がコンテスト収入の扱いで、基本的には収益があった場合はディストリクトへ入れることになっていたが、各クラブにはその考えがまだ浸透していないため、その方針を周知させる必要がある、ということになった。

私は参加者全員とは面識はあったが、ソーリー氏、岡本氏と密に言葉を交わすのはこの日が初めてであった。このお二方とはその後、様々な局面でご一緒させて頂くことになるので、この日がお互いをトーストマスターとして認識した日であったと思う。

会合はソーリー氏が参加されているため英語で行われていたが、私は日本語しか出来ないため、私が話す時は日本語にさせて貰った。9月のこの時期では各エリアガバナーともまだクラブ訪問をしている最中という所だったが、岡本氏は少し抜きんでていて、各クラブ3役とエリア評議会を構成されていたり、鎌倉クラブの設立準備に入られたりしていた。

この日は小1時間ほどの会合の後、昼食を取って解散した。
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by inv-pyramid | 2010-04-30 14:49 | 2000年後半

[はま編] 横浜でもミニディベート

有楽町での会場予約の後、横浜の産業貿易センタービルへ向かった。エリアガバナーとしてのはまクラブ訪問である。この日の用事はこれがメインであった。はま例会は16時30分からだったので、その前に同じ場所で例会を行なっている横浜クラブにも参加した。論評コンテスト関係の用事は特になかったので、例会を楽しむことにした。

横浜の例会後、約30分の間を置いて、はま例会。この日は9月17日に名古屋で開催されるディストリクトのディベートワークショップへ向けて、ミニディベートワークショップを中心とした例会構成だった。山下会長による開会後、テーブルトピックスで軽くウォームアップした後、いよいよディベートワークショップが始まった。司会は太田氏。最初にディベートの特徴を説明し、二人一組でのペアディベート。ペアディベートはTMのマニュアルではテーブルトピックスのやり方の一つとして紹介されている。論題は「同姓同士の結婚を見とめるべきである」で、立論、反駁、最終弁論を肯定、否定に分かれて繰り返した。

その後、江戸でも行なっているミニディベートの要領で、肯定側、否定側、審査員に分かれて、「携帯電話は乗り物の中では使うべきではない」という論題で、論陣を張った。私は審査員役で、ディベート後は総合論評も担当した。エリアガバナー目線での論評となった。

この年度はエリアガバナーだったことから、はまの例会にはよく参加した。教育担当は大嶋T氏で、プログラムの企画には独自性もあった。また後に Leadership でもご一緒させて頂くことになる小林H氏も参加されていた。
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by inv-pyramid | 2010-04-30 03:08 | 2000年後半

[Leader-ship編] 名無しで会場予約 

9月2日(土)、新設する土曜日クラブの会場予約のため、有楽町の東京都生涯学習センターを訪れた。ここは前にも述べたが、今はもう閉鎖されている。しかし当時はその立地条件の良さから、トーストマスターズでもあちこちのクラブが利用していた。私も既に江戸で登録していたし、さくらでも使っていた。また「トーストマスターズインターナショナル」名義でLGETの佐々木氏も登録されていた。

新設クラブの会場をどこにするかの話になった時、焦点になったのは利便性の良さ、であった。それはこのクラブが都心初の土曜日クラブというコンセプトを掲げており、遠方からの参加者も想定していたからである。とりわけ中心メンバーとなる小林S氏、稲垣氏は神奈川から、私は埼玉からの参加のため、妥協点としてやはり東京駅近辺という考えがあった。その点で当時としては、この東京国際フォーラム地下の東京都生涯学習センターは有力候補であった。

11月に第1回例会を行なう予定だったので、ここを利用するためには2ヶ月前の9月に予約する必要があった。そこでこの日に私が赴いたのだが、まだクラブ名が決まっていない。利用するには団体登録が必要だったが、名前が無いので登録ができない。トーストマスターズ名義では既に佐々木氏が登録されていたので、重複するわけにも行かないため、とりあえず佐々木氏が登録しているトーストマスターズインターナショナルの名称で予約を入れた。土曜日の午前中は比較的利用者が少なかったため、すんなり取ることができた。クラブ名については、小林S氏より「Leadership TMC」はどうか、という案が出ていたが、この時点ではまだ後日投票で決めることにしていた。
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by inv-pyramid | 2010-04-30 02:20 | 2000年後半

[D76P編] ディストリクト初のニューズレター

8月27日(日)、ディストリクト76Pになってからの初のニューズレターが発行された。JTC時代ももちろんニューズレターは発行されていたが、発行体制は年度によってまちまちで、年1回のこともあれば、数回発行されることもあった。稲垣体制になってからは少なくとも季刊を目指していた。またこの年度は、言語のバイリンガル化を極力図ろう、という意識があり、ニューズレターもほぼ全ての記事が日英バイリンガルで書かれていた。これは役員の3分の1程度が日本語またはバイリンガルクラブのメンバーだったことも一因としてある。但し、まだまだ試行錯誤の面もあり、レイアウトなどについては注文をつける方もあった。

D76Pニューズレター初号の内容は、巻頭がまず稲垣ガバナーの挨拶。続いて、同じく稲垣氏によるディストリクト体制になっての組織、逆ピラミッドの理念を図解で説明。ディストリクトになって年間の活動や評議会がどう変わるかを述べられていた。その次はビジョンコミッティからの挨拶として、議長のキルパラニ氏がビジョンコミッティのこれまでの経緯と今後の活動方針を述べられた。ビジョンコミッティはJTCを準ディストリクトに昇格(TM流に言えば降格)させるために設置されたものであるため、その役割は一区切りついていたが、今後はスピーカーズビューローや新クラブの支援、日本語教材の提供などを目的とした活動をするとのことであった。

後半は年間の活動予定、そして新クラブ、設立中クラブの紹介。チャーターされたクラブとして、座間アーティキュレーターズクラブ(Zama Articulators Club)が紹介されている所に一つの時代を感じる。これは米軍の座間キャンプに突如としてできた英語クラブで、D76Pになってからは初のチャーターであった。残念ながら短命に終わり、現在は存在しない。米軍施設内のクラブにはよくあることである。また設立中クラブとして徳島、鶴ヶ島が紹介されている。最後の頁はエリア52ガバナーのモー氏の自己紹介。

この年度はD76Pのホームページが出来た年でもあり、その紹介も少しされている。現在は広報活動もホームページが主になり、印刷媒体の発行などはなくなったが、折に触れ見返すことができるのが紙媒体の良い所だろう。僅か10年前のことなのに、今となってはただ懐かしいだけである。
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by inv-pyramid | 2010-04-26 23:14 | 2000年後半