人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[横浜編] 何処でやるのか論評コンテスト

6月のJTC総会で、2000年秋の全日本論評コンテストの運営は、英語が横浜、日本語が武蔵と決まっていたが、合同でやるかどうかの意思確認はまだ取れていなかった。江戸と東京は春のスピーチコンテストを合同で行う旨既に確認しており、私も他のコンテストも日英合同で行うのが規定路線だと思っていた。しかし論評コンテストについては横浜の思惑が不明だったので、武蔵代表及びエリアガバナーとして、横浜の年度初例会に乗り込むことにした。

実際に行ったのは7月15日(土)の2回目の例会だった。はまクラブの例会は何度も参加しているが、横浜クラブの例会は初めてだった。ただ、横浜のメンバーには顔馴染みが何人かいるので、それほど構えることはなかった。横浜のこの年度の会長は、以前日本語のテーブルトピックスコンテストにも出場されたことのある岡野氏で、例会最後に論評コンテスト合同開催の件を切り出すと、特に想定されていなかったようなので、私がディストリクト体制になったので合同で行う流れにある旨告げたところ、了解して頂いた。横浜では既に会場として10月21日土曜で横浜人形の家を押さえているとのことで、実行委員長は花田氏とのことであった。

この日は後日武蔵と合同で打合せをする約束を取り付けて終わった。これが武蔵と横浜が合同で開催する全日本論評コンテストの始まりであった。
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by inv-pyramid | 2009-08-20 00:23 | 2000年後半

[武蔵編] 炎天下のバーベキュー大会

7月20日(水)、海の日にこの年のバーベキュー大会が行われた。場所は前年までの秋が瀬公園から、武蔵会員の高橋M氏が園長を努める小百合幼稚園の園庭に移された。当初は7月か8月の開催ということで、時期が未定だったが、7月の方がよいという多数意見で夏休み初日のこの日に決定した。会場は高橋M氏の好意による提供で、閑静な住宅街と里山に囲まれた環境の良い場所であった。
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当日はバーベキューの用具類はあるとのことなので、セッティングは高橋M氏にお任せし、食材を私の方である程度準備して車で運び、後は現地調達。朝から日差しが強く、炎天下でのバーベキュー大会が必至となった。参加者は、私と高橋家、梅本家、能勢家、近藤、佐藤、加藤、梶村の各氏。家族参加が多いのが武蔵のイベントの特徴であった。太陽と炎の熱で汗だくになりながら、一同ビール片手にバーベキューを楽しんでいた。私はもちろん涙のノンアルコール。
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帰る頃には日差しも和らぎ、後片付けをして現地解散。浦和方面へ帰る電車組を車に乗せて帰路へと着いた。この後、バーベキュー大会は小百合幼稚園で行われることになった。
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by inv-pyramid | 2009-08-19 23:59 | 2000年後半

[武蔵編] ボーリング大会で結束!?

武蔵クラブの新年度初例会は7月13日だったが、それより前の7月2日に行われたボーリング大会で新年度が幕を開けた。当時の武蔵は親睦行事に関しては意思決定が早く、7月中にはバーベキュー大会の予定も組まれていた。都会のクラブでは親睦行事が全く行われない場合もあるが、郊外の地域クラブではこの手の話は割りとまとまり易いものである。

ボーリング大会は初めての開催で、これは武蔵浦和の隣の中浦和にボーリング場があったこともあるが、飲食を伴わないこの手のイベントを行いたという一部の声に応えての企画であった。参加者は比較的近所の会員が中心で、梅本氏のご子息の学友の参加などもあった。大人と子供が混ざっているため、2ゲームで行われた。結果は優勝が梅本氏、2位が能勢氏、3位が高橋M氏。私はその次の4位であった。新会長の佐藤氏が子供用の景品なども色々と用意して気を配っていた。終了後は隣接のファミレスで2次会。

ボーリングをする機会はすっかり減ったが、気分転換にたまの開催も良いものである。最近は親睦行事一つ行うにも動議だ何だと時間をかけてしまう傾向もあるが、サクっと有志で気軽に行えばよいと思う。

7月は親睦行事に挟まれて例会を行ったようなものだが、13日の第42回例会では、こちらも私が音頭を取って新役員就任式を行った。
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by inv-pyramid | 2009-08-14 11:39 | 2000年後半

[江戸編] 役員会はプロヴァンスの香り

7月22日(土)に江戸クラブ今期初の役員会を持った。場所は新宿西口の某南仏レストラン。池田氏のチョイスであった。新宿西口は学生時代にサークルの集会でよく集った所なので、私にとっては半分庭みたいな所だったが、この店は初めてだった。新宿西口に12時集合で、私と池田氏の他は、常石氏と榊原氏。副会長以上の参加となった。

レストランでランチをつつきながら本題に入る。議題は大きく分けて4つで、勧誘、例会運営、クラブ運営、そして今後の企画であった。勧誘については、大きな目玉としてホームページ作成があった。当時江戸にはまだホームページがなく、会長の常石氏が手探りで立ち上げられていた。このホームページは現在ではもうアクセスすることはできないが、素人が作ったものとしてはよく出来ていた。まだブログ等の簡易ツールが流行る前の話である。

例会運営での焦点の一つはどたキャン対策。人数の少ないクラブではどたキャンは致命的であるが、この頃はまだ誰もが携帯を持っている時代ではない。私も持っていなかった。キャンセルの場合はできるだけ早く連絡を入れることを再確認した。また年間表彰について初めて討議され、年間表彰時にトーストグッズを贈呈することに決まった。

今後の企画としては、料理ヨガ教室、合同例会、リベンジスピーチ大会、ディベート、講演会などの案が挙がった。全てが実現したわけではなかったが、クラブ再建へ向けての意気込みが感じられる役員会であった。
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by inv-pyramid | 2009-08-14 00:31 | 2000年後半

[江戸編] 夏のときめき

7月18日の江戸クラブ第253回例会は忘れられない日である。「あの人」が見学に来られた日だからだ。あの人とは高橋N氏。2005年春季大会では日本語コンテスト委員長、2007年全日本スピーチコンテストでは優勝にも輝いた高橋N氏の、江戸クラブ初回訪問がこの日であった。

数多くのゲスト訪問者の中で、見学初日のことを鮮明に覚えている人物はそれほど多くはない。高橋N氏は私にとってはその数少ない一人だが、見学のタイミングがあまりにも絶妙だった。その日は、その頃の常態として少人数だったこと、私がディスカッションリーダーで「クラブ再建計画」をテーマに話していたこと、などゲストにとってはあまりよい印象を与える例会はなかった。高橋N氏は例会開始後に現れたが、第1印象としては、場違いな人が来たな、という感じであった。悪い意味ではなく、クールな微笑と夏らしく涼しげな出で立ちで、個人的にはむしろ好印象であった。要するに「××に鶴」という感じで目立っていた。

トーストマスターズを何処で知ったのか、ということについては、少し前に日経新聞に掲載されたコラムの記事を読んで日経に問い合わせ、江戸クラブのことを知って来たとのことだった。

この日は、この日唯一の女性会員池田氏が今夜のトーストマスターだったが、高橋N氏にはテーブルトピックスと、クラブ再建計画のディスカッションに参加して頂いた。ディスカッションは2グループに分かれて、再建のアイディアとして、合同例会やマスコミへのアピールなどが出された。初の見学時に、いきなりこのような話し合いに参加させられるゲストの気持ちというのは、どんなものなのだろうか。少人数だけならまだしも、再建計画である。高橋N氏は職業柄、トーストマスターズには興味があるようだったが、この日の表情から入会するかどうかまでは読み取れなかった。
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by inv-pyramid | 2009-08-13 23:25 | 2000年後半

[江戸編] 土砂降りの開幕

2000年7月1日は日本のトーストマスターズにとって歴史的な日である。この日、日本のTMは準ディストリクト76Pとして、トーストマスターズインターナショナルのディストリクトの一つとなった。たったそれだけのこと、変化を感じることもまだあまりなかったが、しかし確実に変わったのだ。

そして3日後の7月4日は江戸クラブの新年度初例会だったが、何と土砂降りで歩くこともままならないほどであった。当時私は千駄ヶ谷社教館へは代々木駅から歩いて行っていたが、代々木駅改札前でしばし躊躇していた。傘を持っていないのである。暫し考えた末、駅前の画材店でビニール傘を買って歩いた。こんな大雨では人も集まらないだろうと思っていたが、例会には6人が参加。その内の一人に、紅一点として片塰氏が参加されていたのがとりわけ嬉しかった。小さいお子様のいる主婦なので、この天気ではまず来ないだろうと思っていたからだ。

例会はまず新役員就任式でスタート。私がエリアガバナーなので、そのまま仕切った。新役員で参加していたのは私を含めて4名。今期の会長は常石氏。教育担当が私で、会員担当が榊原氏という顔ぶれであった。そして書記係の砂川氏が今夜のトーストマスターを務めていた。スピーチは2本で、内1本が私の「ネパールトレッキングの真実」。ネパールトレッキングの内幕について述べた情報を伝えるスピーチだったが、大雨で不参加となった他の会員のスピーチの代役だった。

例会後に雨が上がり、少ないメンバーで2次会へと向かった。再起へ向けての初日に土砂降りの洗礼を受けた格好だが、この様な日でも集まる人がいるということに、江戸もまだまだ捨てたものではないと感じた。
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by inv-pyramid | 2009-08-03 22:48 | 2000年後半

[さくら編] 大物TMまさかの入会

6月14日(水)例会より、さくらクラブに大物会員が入会された。JTC前ガバナーで東京の会員でもあるP藤山氏である。入会のきっかけは少し前に行われたさくらと東京との合同例会にあったと思うが、スピーチの機会が減っているので、人数の少ないさくらならスピーチもし易いだろう、というお考えもあったようである。実際、入会所初日となったこの日も、得意の手品を交えての実演スピーチをされていた。

続く6月28日例会にはご子息を伴っての参加。芸能界入りを考えているというご子息もテーブルトピックスにも参加し、積極的であった。P藤山氏はさくらクラブに色々なアイディアを持ち込んで、例会を盛り上げられた。それはやはり経験のある会員だからできることであり、大いに学ぶ所もあったのだが、さくらでの活動期間は1年程度に留まった。

28日は役員選挙も行われ、次期会長には児玉氏が再登板されることになった。私は引き続きの会場係であった。
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by inv-pyramid | 2009-08-03 09:59 | 2000年前半

[JTC編] 或いはグランドキャニオンへの入り口

大阪の知人宅で泥酔した翌朝、気分も優れぬまま、再び西神オリエンタルホテルへと向かった。翌21日は役員研修会とJTC総会が行われた。午前中は日本語と英語クラブに分かれての役員研修会。若干遅刻した。既に梅本氏による各役員の役割等の説明が始まっていた。参加者は10名にも満たなかった。英語コンテストとの併設、しかも関西での開催とあってはそれもまた致し方のないことであった。梅本氏による研修は武蔵の事例を取り入れての説明で、分かりやすくまとめられていた。

そして午後からはJTC総会が行われた。JTCとして最後の総会となるため、重要な議題がいくつもあった。キルパラニガバナーの挨拶と共に、冒頭でまずJTCが準ディストリクトとなる申請が国際本部へなされ、7月1日からディストリクト76Pとなることが報告された。これがこの年度最大の実績であった。続いては今年度にチャーターされたクラブ、武蔵、東海、東神戸の報告。次年度に設立予定のクラブとして、筑波バイリンガル、京都、徳島が紹介されている。周年記念としては、岩国10周年、沖縄15周年、厚木座間30周年、東京50周年などが紹介された。

広報活動の著しい実績としては、広報担当の稲継氏によるディストリクト76P用の新ドメインの設置、及びホットラインとしての専用電話番号の提供が挙げられた。稲継氏はホームページの立ち上げに特に尽力され、そのためのワークショップも開かれていた。会計報告では、会計役員の藤山C氏より年間の報告と、準ディストリクトになって変わることとして、今までは国際本部からの資金援助はなかったが、準ディストリクトになると運営資金は本部からの拠出となる旨、説明がされた。

休憩を挟んで、焦点となる準ディストリクト後のエリア編成に関する協議が行なわれた。JTC案はディビジョン制が導入による、2ディビジョン、8エリアの編成で、構成は次の通りであった。

ディビジョンA(東日本地区)
エリア1:江戸、はま、武蔵、東京バイリンガル、(筑波バイリンガル)
エリア2:東京、関東、ブレックファスト、ICF千葉、キーフォース、筑波
エリア3:ACCJ、さくら、東西、福生、西東京、埼玉、イーストウェスト
エリア4:厚木座間、田園都市、三笠、湘南、横浜
エリア5:札幌、新潟、仙台、東京フェニックス

ディビジョンB(西日本地区)
エリア51:愛知、東海、春日井、肥後、熊本、名古屋
エリア52:沖縄、パシフィックパールズ、福岡、大宰府、北九州、飯塚
エリア53:東神戸、関西、大阪、岩国、岡山

全43クラブである。東京フェニックスとキーフォースはこの時点ではまだチャーター申請中で、次年度にチャーターされる予定であった。この頃はまだ沖縄にも2つのクラブがあった。所属クラブが60になると準地区から正地区になるとのことであった。

コンテストについては、総会までに全てが決定していた。従来まで行われていたディベート及びほらふきコンテストは開催なしで、残る4つが正式コンテストとして残されれた。これはディストリクトが開催できるコンテストは年間4つまでという規定のためであった。但しこの解釈については、意見の分かれる部分もあった。ディビジョンコンテストはまだ行なわれず、英語はエリアコンテストとディストリクトコンテスト、日本語はディストリクトコンテストのみという従来の方式が維持された。

そして最大の焦点、役員選挙である。ディストリクトガバナーには、指名委員会選出の候補者として稲垣氏、対立候補として筑波の林氏が立候補されていた。結果は稲垣氏が当選。教育訓練担当副ガバナーには埼玉の佐々木氏、マーケティング担当副ガバナーに大町氏、ディビジョンAガバナーは大嶋T氏、同Bガバナーには山中氏が選出された。私はエリア1ガバナーで、もう一つの日本語バイリンガルエリアであるエリア51のガバナーには嶋田氏が任命された。

私が関係するクラブは、秋の論評コンテストを英語が横浜、日本語を武蔵が運営。春のスピーチコンテストは英語が東京で日本語を江戸が担当することになっていた。春のコンテストについては、東京と江戸で共催する合意は取れていたので、その場で東京の新会長福井氏に挨拶した。

かくしてJTCはその役割を終え、ディストリクト76Pへと移行する体制となった。それは逆ピラミッドに例えれば、グランドキャニオンの入り口に立ったようなものであった。
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by inv-pyramid | 2009-08-01 11:26 | 2000年前半

[関西編] コンテストは西へ

6月28日(土)、神戸の西神オリエンタルホテルで、英語の全日本スピーチコンテストが開催された。運営は関西クラブで、関西圏での初の全日本スピーチコンテストということであった。同時にJTC時代の本当に最後の全日本スピーチコンテストということでもあった。私は英語だけの全日本コンテスト参加は初めてで、武蔵会長として登録していた。これまでの私のTMイベントでの地方参加は、日本語クラブのある名古屋と熊本のみで、大阪、神戸といった地域とは縁がなかった。次年度はエリアガバナーでもあるし、関西圏のTMの方々とも交流を深めていこうという気持ちが働いていた。クラブを超えた活動の一つであった。

当日は羽田から伊丹へと飛行機で向かい、伊丹から神戸へは高速バスを使用した。伊丹で東京バイリンガル会長の石津氏と合流し、途中までご一緒させて頂いた。会場の西神オリエンタルホテルは、三宮から地下鉄に乗って終点の西神中央駅に隣接した場所にあった。神戸からは少し離れていて、30分ぐらいかかった。当時は淡路花博が淡路島で開催されていたこともあり、コンテストの案内には観光案内として淡路花博のチラシも同封されていた。

コンテストは午後からホテルの宴会場で行われた。当然のことながら日本語クラブからの参加はほとんどなく、面識のある顔ぶれとしてはバイリンガルクラブである名古屋の方々などを散見する程度であった。知り合いも少ないので私は後ろの方で座った。キルパラニJTCガバナー、野村エリア4ガバナーの挨拶に続いて、神戸市長の挨拶があった。基調講演は神戸大学のDr.ウィリス氏による、" Serendipity, Creolization, and Hybridity-New Words for a New Japan " なる講演。言語の多様化を説かれていたようだが、「クレオール化」などの専門用語を理解していないと呑み込めない内容なので、話半分で聞いていた。

コンテストの出場者は全11名。当時は6エリアで各2名ずつだったが、1エリアのみ1名のみが出場。ほとんどは既知の顔ぶれで、丸山、ギボンズ、ヤングマン、立麻、カーツ、新井、コール氏などが出場していた。さくらクラブで一緒だった丸山氏や新井氏が出場されていたのが個人的には新鮮だった。優勝は東京のカーツ氏、2位がコール氏で因縁の筑波から出場、3位が地元関西の上田氏。関西クラブ会長の佐藤K氏の挨拶で閉会となった。

この後パーティーが行われたが、私は大阪に戻ってネパールトレッキングで知り合った方のお宅にお邪魔していた。当時大阪勤務だった担当ツアコンの方も交えて、ひどく泥酔した夜になった。
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by inv-pyramid | 2009-08-01 09:46 | 2000年前半

[武蔵編] クラブを超えて

6月22日(木)は武蔵クラブの第41回例会であった。武蔵もこの日が年度末最終例会で、例会後には納会も予定されていた。その前の第40回例会では役員選挙が実施されており、新会長に佐藤氏、教育担当に近藤K氏という女性コンビに舵取りを任せることになった。私はと言えば、江戸と武蔵の両クラブでの会長を終え、肩の荷を下ろすところだったが、この前後に次期エリアガバナー就任を打診され、担当エリアが日本語とバイリンガルクラブのみのエリアになることを確認した上で、就任を承諾していた。サクセスフルクラブシリーズのマニュアルにある、クラブを超えて行く生活が正に始まることになったのである。JTCがディストリクト76Pになるのと同時に私もクラブ会長からエリアガバナーへの転換点に立つことになった。

武蔵の第40回の司会者は高木氏、第41回の司会者が太田氏という女子大生会員が担当、新会員に日系アメリカ人女性の仁科氏を迎えるなど、若き女性会員の台頭著しいこと、また滑川氏や今井氏のような年配の方々も健在で、参加者の年齢層がさらに幅広いものになっていた。クラブとしてのバランスがほどよく整っていた時期であった。
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by inv-pyramid | 2009-08-01 01:36 | 2000年前半