人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

<   2009年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧

[東海編] 再びハイウェイバスに乗って

6月10日(土)の午後、東海クラブ例会に再び参加した。前回訪問時と同じく、翌日が全日本スピーチコンテストのため、その合間を縫っての参加であった。しかも今回は台湾のメンバーが来日し、翌日春日井クラブと合同例会を持つことにもなっていて、その歓迎会がこの日の夜に行なわれることになっていた。私は前回と同じく東名ハイウェイバスに乗ること6時間で名古屋入りした。2度目なので要領もわかり、小牧インターを出てすぐのバス停で降りて地下鉄に乗り換え、会場の名古屋芸術創造センターへ向かった。それでも入室は10分遅れであった。
b0108857_23325067.jpg

この日はビジネスセッションが長目に取ってあり、私が入ると会長の加藤氏がまだ壇上で司会をしていた。次期役員選挙の最中なのだった。次期会長は爽やか系の石川氏で、後に東京へ転勤となる渡辺氏は広報担当。武蔵同様チャーターしたばかりなので、勢いを感じた。前回とは半数ほどメンバーの顔ぶれが変わっており、初対面の方もいた。初夏ということもあり、服装も半袖なのでリラックスした雰囲気で会が進行していた。テーブルトピックスでは私にも夏の話題が振られた。
b0108857_23331290.jpg

この日のスピーチは3人であったが、内一人が名古屋地区にこの人有り、という名物会員の嶋田氏で、またもやOHPを使ったワークショップ風スピーチ。「聴衆を引きつけよう」ということで、ベタースピーカーシリーズのプログラムを、上級マニュアル・知らせるためのスピーチで行なうという、2重構造の内容であった。今回はオリジナルでない、TMの資料に基づいた内容だったが、TMのマニュアルにどの様な物があるのか知らない身にとってはとても有意義な内容であった。先輩会員のあるべき姿を垣間見た気がした。

論評では、今回初顔合わせとなる西村氏が登場。聞けば翌日のコンテストに出場されるとのことで、同じく出場する身としては手の内を見せない程度に話をした。

例会終了後は会場を移して台湾のメンバーと合流した。今回は太平洋クラブの方々が中心で、黄氏や陳氏など訪台時にお世話になった方々とも再会した。キルパラニ氏も前夜から名古屋入りしており、翌日のことなどそっちのけで盛り上がっていた。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-04-09 23:38 | 2000年前半

[武蔵編] まぼろしの優勝~エリア2スピーチコンテスト

5月28日(日)、つくばでエリア2スピーチコンテストが行なわれた。無論英語のコンテストである。JTC時代はまだ英語クラブと日本語クラブが混在したエリア編成のため、武蔵はつくばや埼玉、ICF千葉といった英語クラブと同じエリアに所属していた。そしてエリア2スピーチコンテストに武蔵からも出場者を出すことになっていた。

このコンテストに先立ち、つくばの林氏より私宛にコンテスト出場要請のメールが届いていた。出場者が少ないので、誰か出る人はいないか、ということであった。当時の武蔵クラブは日本語クラブであっても、外国人や帰国子女、英語教師などの会員が多数いたので、英語コンテストへの出場に応じることは問題なかった。またチャーターした年度なので、スピーチ課題6まで完了していなくても出場できるメリットもあった。とはいえそこは日本語クラブ、応じる方がいなかった。会場がつくばということでちょっと遠方ということもあったと思う。まだつくばエクスプレスも開業していない時代である。結局、入会したばかりのイードリス氏が出場することになった。

当日は私の車で、イードリス、梅本、私の3人が武蔵浦和に集合し、外環から常磐自動車道を経てつくば入りした。つくばは出張で気象研などによく出入りしていたので、道順などはよく知っていた。会場はつくばの国際会議場エポカルつくばの会議室。我々は近くの駐車場に車を停めて、会場入りした。出場者は4名で、イードリス氏の他にはコール氏(つくば)、立麻氏(ICF千葉)、斉藤氏(さくら)。日本語クラブを混ぜて4名という所に
運営クラブの裏事情が垣間見えた。司会に根木氏、審査委員長にヤングマン氏。

イードリス氏のスピーチは冒頭からボリュームたっぷりで "Amazing Grace" を歌うところから始まった。ここでまず聴衆の度肝を抜き、本題の携帯電話によるコミュニケーションの問題へと繋いでいった。これでは他の出場者も圧倒されてしまうだろう。結果はもちろん優勝。コール氏が2位であった。
b0108857_22522680.jpg

さあ、これで次は神戸の最終ステージ、どうやって行こうか、などの算段をしながら帰路に着いたが、後日予想外の結果が待ち受けていた。イードリス氏はチャーターメンバーではなく、スピーチもアイスブレーカーしか終わっていないため、出場資格無しということであった。私は当時はまだコンテストルールにさほど精通しておらず、梅本氏が出場資格に問題無しという判断を下していたので、イードリス氏をコンテストへ送り出したのだったが、結局その年度にチャーターしたクラブの出場資格を読み違えていたのだった。つまり、当該年度の7月1日以降にチャーターしたクラブのチャーターメンバーのみが、スピーチ課題6が修了していなくてもコンテストに出場できる、というのが正規のルールであるが、これを7月1日以降にチャーターしたクラブのメンバーは当該年度のコンテストに出場可と解釈したのである。後で聞いた話では、この事実は審査委員長のヤングマン氏は知っていたが、コンテストではそのまま通したということであった。

このコンテストルールの解釈を巡っては、私と林氏との間でメールで何度もやり取りしたが、拉致が明かないので最後はキルパラニガバナーの裁定により、イードリス氏には次のレベルへの出場権はなし、ということで決着した。つまりエリア2コンテストでは出場資格がなかったものの、コンテスト中に異議申し立てがなかったので、エリア2コンテストの結果は覆さず、次のレベルへの出場資格のみを剥奪するということである。ルール通りならこの判定は正しい。この結果、2位のコール氏と3位の立麻氏の全日本スピーチコンテスト出場が決まった。

私にとっては苦い経験となったが、同時にコンテストルールへ目を向けるきっかけにもなった。現在でも未だにルール無用のコンテストが行なわれていたり、ルールの解釈を巡っての場外乱闘(?)が行なわれているのを見るにつけ、私が目を光らせているのもご理解頂けることと思う。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-04-09 21:46 | 2000年前半