人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[武蔵編] 東京バイリンガルと初の合同例会

大宮西高での社会人講師の日の夜、武蔵と東京バイリンガルとの合同例会が行われた。場所は東京バイリンガルの当時の本拠地、東京国際フォーラム地下の東京都生涯学習センターの会議室であった。武蔵にとっては初めての合同例会で、相手が東京バイリンガルというのも、立ち上げ時に私やパイザー氏などが関わっているので自然な成り行きであった。

この話は最初東京バイリンガルの石津会長から持ちかけられ、有楽町開催というのも当時はまだ武蔵のメンバーも東京周辺の方が多かったので、特に反対意見もなく決まった。私にとっては久しぶりの東京バイリンガルの面々との邂逅だったが、当日行って驚いたのは両クラブ合わせての参加者が約20名であったこと。特に東京バイリンガルは私が退会してからまだ半年しか経っていなかったにも関わらずメンバーが激減したようで、一つの勢力を保っていた外国人会員も3名しか残っていなかった。内一人は江戸から移籍した小俣S氏であった。

司会は東京バイリンガルの中心メンバーである町田氏。この方がいなければ東京バイリンガルは成立しないというほどの方であったが、結局は後に退会されてゆく。私はテーブルトピック担当で、その日に行われた社会人講師ネタで出題した。スピーチは両クラブから2名ずつで、武蔵が加藤氏と滑川氏、東京バイリンガルがマッキンタイア氏と小俣S氏。加藤氏の壁に頭をぶつけるパフォーマンスのスピーチが体を張ったスピーチとして印象に残っている。

論評は武蔵が梅本氏、佐藤氏、渡辺N氏、東京バイリンガルが大嶋R氏。東京バイリンガルはコール氏の名前があったが欠席されたので、渡辺N氏が急遽入った。総合論評は会長の石津氏が行った。東京バイリンガルの参加者を見ていると、私が会員だった頃から残っているコアなメンバーがほとんどで、日本語だけの例会だったから、曜日が木曜だったからということも考えられた。しかしこの後の会員数の減少には歯止めが掛からず、長い長いトンネルへと潜り込んでいった。
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by inv-pyramid | 2008-07-26 16:29 | 2000年前半

[武蔵編] 束の間、教壇に立つ

2月18日の木曜午後、私は社会人講師として大宮西高校の教壇に立っていた。高校1年生を相手に、「地域の社会人から生き方を学ぶ」という趣旨の下、私の生き方についてスピーチするためであった。なぜこのようなことになったのか言えば、それは武蔵クラブの会員に同校教員だった近藤K氏がいたからである。進路指導の一環として、社会人講師を招いてロングホームルームの時間に「私の生き方」や「私の高校時代」などのテーマで話をしてもらうという企画があるので、武蔵からもどなたかにお越しいただけないか、ということで私にお鉢が回ってきたのであった。

トーストマスターズでいくら人前で話す練習をしているからといって、私のような一般の会社員には外部でスピーチをする機会などそうそうあるものではない。平日なので休みを取る必要があるが、好奇心も手伝って私はこの話を引き受けることにした。1年生は8クラスあり、内2クラスが女子クラス。社会人講師は1クラス2人づつで合計16人、一人の持ち時間は20分ということだった。20分のスピーチなどそれまでしたことがなかったので、事前に武蔵と江戸の例会でリハーサルすることにした。テーマは「私の生き方」で、転職を通しての生き方の価値観の変化などについて話した。

トーストマスターズからの参加者は私一人で、後は西高の卒業生や地域の職業人の方などが主な顔ぶれであった。私と同じクラスになった方は住宅関係の営業マンとのことで、会社員生活の悲哀などについて話されていた。クラスに入って驚いたのは、時代を反映してか茶髪やガングロの生徒が多かったこと。茶髪はまあいいとしてもガングロの生徒が実際に学校の中にいるということにたじろいだ。近藤K氏によれば、今はそれが普通なのだという。高校の教室に足を踏み込むなど、何十年ぶりかの体験だったので、世代間格差のようなものを感じた。

それでもいざ話だすと、みな結構真面目に聞いてくれたようで、私も話を逸らさないように、失恋体験や燃え尽き症候群などの体験談を織り交ぜながら、「人生のリセットはできないが、生き方の選択はできる」という大層なメッセージで話をまとめた。終わったあとで生徒が書いた感想文を読み返すと、話の細かいところまで聞いてくれていたり、共感してくれたりで、こちらが逆に励まされた。トーストマスターズの教えを身をもって実感することになった。

このイベントは以降毎年続くことになり、いつの間にか講師はトーストマスターズで占められるようになった。武蔵ができ、近藤K氏との出会いがなければこのような流れにはならなかっただろうと考えると、人の縁とはつくづく異なものである。
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by inv-pyramid | 2008-07-26 15:03 | 2000年前半

[武蔵編] 紳士登場

2月10日の第32回例会は武蔵の論評コンテストであった。武蔵クラブも当然この時期はコンテストシーズン突入で、この時期に入会された方の中には、「コンテストばかりやっている」という感想を述べられる方もいた。私も初見学の時はちょうどスピーチコンテストの最中だったのでその気持ちは理解できる。たまたま見学に来た時がコンテストだったりすると、なかなかその時の印象が残ってしまうものか知れない。

この回、一人の見学者があった。高橋M氏である。身なりよく、話し方も落ち着いて、人との接し方を心得ている方というのが第1印象であった。聞けば幼稚園の園長をされているとのことで、確かに人格者の風格をも漂わせていた。後で年齢を尋ねたら私とは1歳しか違わないということで、驚いたものである。

さて、この回は論評コンテストということで、ワークショップを行ってからコンテストに入った。大嶋R氏を久しぶりにお招きし、テストスピーチをお願いした。参加者の少ない回で、出場者も3名ほどしかいなかったので、初ゲストだった高橋M氏にも出場を促したところ快諾された。今だったらまず許されないだろうが、オープン参加ということで、審査結果には含めないという条件でお願いすることになった。

大嶋R氏のスピーチの後、4名の出場者による論評となった。高橋M氏の論評は初めてとは思えない落ち着いた語り口で、特に他の方が指摘されなかった服装への言及があったことが印象的であった。結果は論評には定評のあった梶村氏が1位、高橋M氏は3位。梶村氏は全日本コンテストへは行けないとのことだったので、2位の小島氏が出場することになった。

高橋M氏はもちろんこの後入会され、全日本スピーチコンテスト2位、武蔵会長就任など、武蔵には欠かせない人材となった。同氏に関するエピソードの数々は折に触れてまた紹介したい。
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by inv-pyramid | 2008-07-23 17:34 | 2000年前半

[江戸編] 通過点

江戸クラブの新年は1月18日の第242回例会で幕を開けた。例会最初にまず大嶋R新会長の就任挨拶が行われた。大嶋R氏の会長就任はピンチヒッター、否リリーフ的な印象が強かった。それは別に4月に辞任されてしまうから、ということではなく、この時点でもまだ東京バイリンガルには籍を置き、JTCの前ガバナーでもあったので、江戸会長という強い印象は持ち得なかったというところである。

1月から3月まではコンテストシーズンとも重なり、月に1度はクラブコンテストが行われるような状況だったので、例会もバタバタとしていた。この例会の次の例会はもう論評コンテスト予選で、武蔵から加藤氏をテストスピーカーにお招きし、論評コンテストが行われた。優勝は三村氏で、テーブルトピックスコンテストに続いての出場となった。

続く2月15日の第244回例会は、私にとっては大宮西高社会人講師の直前の例会だったので、武蔵に続いてリハーサルを行った。上級のプロの話し手マニュアルの1番目「基調講演」でのスピーチで、時間が15分から20分でちょうどよかった。この回は久しぶりに参加者が10名を越え、庄司氏が久しぶりの参加でスピーチをされていた。大嶋R
氏が仕事上のおつき合いのある方をゲストとして連れてこられたのが大きかったのだが、その中のお一人は元NHKのアナウンサーということで、確かに話し方自体が我々とは次元が異なるような印象を受けた。

そして3月7日の第245回例会が、これまたユーモアスピーチコンテストの予選会で、審査員には武蔵の滑川氏や東京バイリンガルの石津氏をお招きした。私を含めて4名の出場者だったが、優勝は榊原氏であった。ディストリクトになると開催するコンテストは制限されるとのことで、JTC最後の年度は、テーブルトピックス、論評、ディベート、ユーモアスピーチ、そしてスピーチコンテストが駆け足で行われた。江戸はこの年度はコンテスト運営を免れているので、比較的余裕があるように見えたのかも知れないが、少ない人数で出場者を繰り出すことに異論を持たれる方もいた。クラブの活動はコンテストありきではもちろんないのだが、立て続けに行われるとそのような印象を持たれる方もいるということだろう。
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by inv-pyramid | 2008-07-21 11:04 | 2000年前半

[JTC編] ディストリクトへの布石・前期評議会開催

1月15日の土曜日午後、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで、JTCの前期評議会が開催された。今では当たり前のように行われている年2回の全国レベル評議会だが、JTCの時代は年1回6月の開催のみであった。それが急に1月という半端な季節に行われたのは、準ディストリクト昇格を睨んでのことであった。ディストリクトとなれば年2回の評議会開催が義務付けられる。そのためのプレ開催の意味合いがあった。開催通知は前年12月に、教育訓練担当副ガバナーのストロガノフ氏から送られていた。

私は武蔵会長として出席した。教育担当の加藤氏が同行していた。ここで思いがけず江戸の会員だったレイサイド氏と再会した。レイサイド氏は渡仏のため江戸を退会されたのだが、帰国されて古巣のブレックファストクラブに復帰されたとのこと。この日は教育担当として出席されていた。

会はまずJTCガバナーのキルパラニ氏の挨拶で始まり、その後2つの基調講演が続いた。講演者は当時ACCJクラブ(現青山ランチ)に所属されていたAS本城氏と武蔵の滑川氏で、AS本城氏は、女性のリーダーシップを旗印に女性限定のトーストマスターズクラブ、キーフォースクラブの設立を宣言されていた。"Key Force"とは「鍵となる力」を意味し、それすなわち女性のリーダーシップということであった。滑川氏はご自身の経歴を戦争体験と絡めて述べられていた。例会のスピーチでもよく聞かされた内容だったが、何度聞いても感ずる所のあるスピーチであった。

講演後は、クラブ紹介、役員報告、ディストリクトへ向けての予定などが話し合われた。閉会後、日本語クラブの関係者がオリンピックセンターのレストランさくらに集まり、懇親会を行った。
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by inv-pyramid | 2008-07-16 13:00 | 2000年前半

[武蔵編] ふたたびの会長職

2000年1月13日の武蔵第30回例会がこの年の始まりであった。この日より正式に武蔵会長に就任した。前年度の江戸会長に続いて2度目の会長職となった。2度目とはいえ、チャーターしたばかりのクラブの会長は初めてでもあり、既に創立10年を経過した江戸とは勝手が違うと思った。ディストリクト元年に向けてJTCの活動も例年になく活発になっていた。

この日は当時エリアガバナーだった児玉氏をゲストにお呼びし、新役員就任式を行った。児玉氏とはさくらクラブで既知の仲だったが、武蔵のチャーターをきっかけとして日本語クラブへも少しずつ顔を出されていた。後にやまのてや響設立にも関わって頂くことになるので、この頃はそのための伏線ともいえた。チャーターまで役員を務めていた外国人メンバーの姿は既になく、チャーター前後に入会された方々を新役員に迎え入れての船出であった。新役員の中では特に教育担当副会長の加藤氏が積極的で、舌鋒も鋭く、クラブへの疑問点を次々と投げかけられて、私もいい刺激を受けた。

スピーチはこの日でちょうど10番目を終える近藤K氏と私だったが、私のスピーチは実はこの年の2月に行われる予定の、大宮西高校の社会人講師のリハーサルを兼ねていた。この年は現在既に9年目を迎えた社会人講師の初年度でもあった。前年より近藤K氏からお誘いは受けていたのだが、やはり未経験のことなので例会でまずリハーサルをと思っていた。「敗者復活戦」という題のスピーチは、私のスピーチの中では一つのテーマであり、形を変えて時々行っている。これを高校生相手に話そうというわけである。

日本のトーストマスターズの変革期の中で、私の中でも何かが変わりつつあった。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 21:16 | 2000年前半

2000年、ミレニアムはディストリクト元年

西暦2000年といえばまずは2000年問題だろう。コンピュータの西暦年数の下二桁処理により、「99」から「00」となる瞬間に大きな混乱が起こるということで、社会的な問題となったのは記憶に新しい。というか今から思えばそんなこともあったな、という程度のことでもあった。何でも400年ぶりの世紀末閏年ということで、「Y2K」、「ミレニアム」などの言葉も流行した。

新潟少女監禁事件、西鉄バスジャック事件、岡山金属バット事件、そして年末には世田谷一家惨殺事件などが起きている。少年犯罪が増え出した年でもあった。私の身近では地下鉄日比谷線の脱線事故などが起きている。いつも通勤の車窓から線路際の慰霊碑が見える度にこの事件を思い出さずにはいられない。

九州沖縄サミットや、Qちゃん、柔ちゃんらの金メダルで沸いたシドニーオリンピックが開催された年でもあった。

このような時代背景の中、日本のトーストマスターズは、JTCという自主運営の未認定地域から、トーストマスターズの一員として国際本部から支援を受けられる準ディストリクトとして認定されることになった。スピーチの世界選手権への扉はまだ開かれなかったが、これでようやくトーストマスターズの世界標準で運営ができる体制が整ったのである。奇しくもお隣の台湾もこの年に準ディストリクトに昇格した。

20世紀最後の年は、日本と台湾にとっては記念すべき新世紀の幕開けとなったのである。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 16:06 | 2000年前半

[武蔵編] 初めての忘年会

武蔵の忘年会は、江戸の前週の12月16日に行われた。こちらは第29回例会を別所公民館で行ってから、場所を移しての忘年会であった。会場はこの頃武蔵が2次会エリアとしていた武蔵浦和駅ビルのマーレ。2次会はその中のサイゼリヤで行うことが多かったが、この日は949という居酒屋にした。
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武蔵にとっては何事も初尽くしが多かったこの年だったが、忘年会の開催も初めてだった。前年はまだ人も少なく、忘年会と銘打つこともなかったからだ。例会参加者が全員そのまま流れて、10名ほどで和やかに行われた。写真を見返すとみな若い。懐かしさが込み上げてくる。
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現在のように新クラブが乱立気味の状態では、一つ一つの感動も薄くなりがちだが、まだ20世紀だったこの頃は、近隣のメンバーが協力し合ってみんなで立ち上げたという印象が強く残っている。特に武蔵の場合は私が立ち上げに関わった初めてのクラブでもあり、チャーターした年の最後に行われた初めての忘年会では、その余韻に浸るのみであった。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 12:51 | 1999年後半

[江戸編] 小じんまりと忘年会

12月21日がこの年の最後の例会日で、恒例の忘年会を行った。場所は前年と同じ十番亭であった。前回がかなりどたキャンが多く、赤字となり懲りたので、今回は事前に会費を徴収した。この年の江戸クラブを象徴するかの如く、少人数の小じんまりとした忘年会となった。しかしその分一人一人とはゆっくりと話すことができた。
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参加者は男性2名、女性5名の計7名。この頃の会員の割合としては決して女性の方が多かったわけでなく、ただ男性の参加者が少なかったのである。そのため、十番亭の奥のテーブルの1画を占めるに留まった。ちょうどビデオテープスピーチコンテストのトロフィーが届いていたので、2位となった梶谷氏へのトロフィー授与で忘年会の始まりとなった。
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十番亭のチーフには今回も料理のみ3000円でお任せしますと伝えていた。何度か顔を出していたので私のことは覚えてくれていたようであった。パエリヤ等に舌鼓を打ちながら、テーブルトピックスによるプレゼント交換等を行って、大人しく歓談できたのはやはり女性が多かったからだろう。男性参加者のもう一人、榊原氏もお酒を飲まれないので、酒量も適度で予算内で済んだのが何よりであった。
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by inv-pyramid | 2008-07-14 23:44 | 1999年後半