人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[武蔵編] 継ぐのは誰か

チャーターセレモニーの前から会長のパイザー氏は例会に来なくなっていた。元々東京バイリンガルを辞めて背水の陣で目黒から武蔵浦和に通っていたという事情に加えて、自分のデザイン事務所を構えて独立したところでもあった。人も雇い入れたので、今後は自分のビジネスに邁進したいとのことであった。パイザー氏の武蔵に対する貢献度は高く、他の誰もが退会を惜んだ。

そのような事情で、しばらくは私が会長代行を務めていた。それまでの私の役割は会員担当副会長であったが、教育担当副会長のスギモト氏も同じような理由でクラブには来なくなっていたので、3番手の私にお鉢が回ってきたのだ。パイザー氏はチャーターセレモニーの際に「次の会長は小原さんしかいないよ」と私に言った。その言葉を受けて私も会長職を受けることにした。ただ、時期が11月だったので、年内は代行とし、新年1月から正式に会長になることにした。この時期は他に会計の陳氏も仕事の関係で例会に参加できなくなっていたので、会計も代行していた。新しい会員の方も増えてきたので、役員全て1月から刷新することにした。年内はとりあえずチャーターの余韻に浸るのみであった。
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by inv-pyramid | 2008-04-14 12:55 | 1999年後半

[武蔵編] 秋風に誘われて・BBQ再び

11月14日(日)に秋が瀬公園でこの年2度目のバーベキュー会が行われた。前回が7月なので、間隔としては短い気もするが、テーブルトピックスコンテストが終わった後で、誰彼となく「バーベキューまたやりましょう」という流れになった。

今回は2度目なので、準備、集合、と手際よく進んだ。11月という少し肌寒いものの安定した季節だったので、汗だくになることもなかった。ただ、最初の火起こしの時のみ、焚き付け用の紙類がなかったので、今井氏が来るときに買ってこられた週刊誌を、本人の了解を得て焚き付け用に使わせて頂いたのが、唯一のハプニングであった。
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7月の時よりも若干参加者が少なかったので、みんなでバーベキュー台を囲むようにして、飲食していた。それはバーベキューというより、さながら焼肉屋で焼肉をつついているようなものであった。ただ、この和気藹々としたムードは以降の武蔵クラブの特徴になっていく。梅本家や近藤家など、家族を伴っての行事参加でクラブの雰囲気が形作られていった。秋が瀬でのバーベキューはこの日が最後となったが、バーベキュー自体はしばらくの間恒例行事と化していた。
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by inv-pyramid | 2008-04-14 01:20 | 1999年後半

[さくら編] 風に舞うかの如く

TMの年度末ぎりぎりまで次期役員の決まらなかったさくらクラブだったが、マスコットガールである斉藤氏が新会長に収まってからは、何事もなかったかのようにクラブ運営が進行した。ただそのクラブ運営はマイペースそのもので、当時私が所属していた3クラブの中で、上昇気流に乗っている武蔵クラブ、下降線を辿っている江戸クラブと比較しても、こんなやり方でみんな満足しているのか、と感じるほど危機感がなかった。

1999年後半、TM年度としては前期にあたる7-12月期は特に問題もなく、否問題意識もないまま例会が行われていた。例えばさくらクラブの例会プログラムでは、タイマーや集計などに事前に名前が書いてあることは稀で、当日決めることがざらだった。プログラム的にも人数が揃わなければテーブルトピック大会になったり、またプログラムそのものが配布されないこともしばしばであった。

この時期は外国人会員の加入が多かった頃で、ご主人が日本人のC山田氏、日本国籍を持つ謎の東南アジア人K阿部氏、さらに中国系アメリカ人のリー氏などバラエティに富んでいた。日本人も帰国子女の斉藤氏、海外勤務の経験もある児玉氏、英国大使館員の青木氏など、英語クラブとしての水準は高かったと思う。だから不意に2時間全てがディスカッションという例会になっても私を除いては十分対応できていたと思う。このノリの中ではTMとしてきっちりと例会を行うことなどは2の次であった。
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by inv-pyramid | 2008-04-12 02:53 | 1999年後半

[武蔵編] チャーターセレモニーはコンテストとともに

10月31日(日)の午後、浦和の埼玉会館で武蔵クラブのチャーターセレモニーが、全日本テーブルトピックスコンテストと合わせて行われた。この件についは前にも述べた通り、武蔵がテーブルトピックスコンテストを開催するということが規定路線としてまず決まっていて、それまでにクラブがチャーターされていればチャーターセレモニーも一緒に行うという話になっていた。結果的にコンテストに間に合ったので、晴れて参加者の多いイベントに合わせて行うことができた。
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ちなみにチャーターセレモニーをコンテストと合わせて開催した例としては、武蔵の他、東海と響の例がある。セレモニーを単独で行うかコンテストなどのイベントと合わせて行った方がいいのかは意見の分かれるところだが、私としてはやはりより多くの方に見届けて貰った方がいいと思うので、後者を推奨したい。もちろんそれには機会をうまく捉えることも必要だが。

さて、武蔵の場合は、テーブルトピックスコンテストの前にセレモニーが行われた。現会長のパイザー氏や発起人の1人で初代会長のスギモト氏などは既にクラブの活動からは遠ざかっていたが、この日久しぶりにみんなの前に顔を見せた。発起人である梅本氏の司会進行の下、JTCガバナーのキルパラニ氏によるクラブ認定証の贈呈、スポンサーの大嶋R氏や渡辺N氏の表彰、祝電披露、花束贈呈等を交えながら進行した。それは江戸、はまに次いで関東地区に新しい日本語クラブが誕生した瞬間でもあった。
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チャーターセレモニーに続いては全日本テーブルトピックスコンテスト。私は開催回数などは全く知らなかったが、梅本氏によれば第7回ということであった。参加クラブは英語クラブを交えて8クラブで、熊本からの参加はなく、関東と中部のクラブで行われた。司会進行は私とスギモト氏。スギモト氏が当初実行委員長だったが、既にクラブを離れていたので、実質的に幹事役の私がこのイベントをまとめていた。当時はまだスピーチコンテスト以外のコンテスト資料は日本語のものがなく、スピーチコンテストの審査用紙を配布したら、一部審査員の方からお叱りを受けたりもした。
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出題は私が考えたが、3つ考えて絞りきれなかったので、3つの出題を封筒に入れて審査委員長に1つを選んで頂くという手法にした。審査委員長は東海クラブの浪川氏で、選ばれた出題は「西暦2000年、朝目覚めると電気その他が一切止まっていました。さてあなたはどうしますか」という、当時の2000年問題を踏まえてのものであった。いかにも1999年という時代ならではの出題である。出場者一人一人に対してスギモト氏がこの出題を読み上げた。しかしここでまた問題があり、最初の2人までに対する出題の読み上げで漢字の読み間違いがあったということだった。私もそれには気付いていたが既にコンテストが始まってしまったので、後でスギモト氏に読み間違えの部分を伝えた。幸い出場者の答えに読み間違えによる表現の差異が見受けられなかったので、特にやり直しということにはならなかった。この辺はやはりコンテスト開催経験のないクラブ故のものであった。

審査の結果、優勝:三村氏(江戸)、第2位:山下氏(はま)、第3位:森氏(東京バイリンガル)が入賞された。優勝した三村氏の受け答えは風に揺れる柳のように出題を軽く受け流したという印象で、その自然体の答え方がよかった。

コンテスト後は浦和駅近くの台湾料理店に場所を移して懇親会を行った。この時に東海クラブの加藤氏や渡辺Y氏らと昵懇になり、年末の台湾ツアーへと話がつながるのであった。
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by inv-pyramid | 2008-04-10 00:54 | 1999年後半

[武蔵編] 何でもやってみよう精神

10月23日,24日の土日の2日間、彩の国さいたま国際フェア'99が大宮ソニックシティで開催された。前年度はもぐりでの参加だったが、今年度は正式なトーストマスターズとして、また正式な非営利登録団体として、自分たちのブースを割り当てられての参加であった。

そして展示ブースでの宣伝活動だけでは飽き足らなかったのか、梅本氏は特設ステージでのモデル例会の実演をも企画していた。とにかく怖いもの知らずというか、梅本氏の何でもやってみよう精神にはいつも驚かされるばかりだったが、そのお陰で武蔵クラブでは広報活動のほぼ全てを経験することもできた。引っ込み思案の私としては、この経験から得たものは大きく、後の活動にも生かすことができた。

ステージで武蔵に割り当てられた公演時間は1時間で、内容は前半がトーストマスターズのビデオ上映、後半がモデル例会という構成で行われた。トーストマスターズのビデオはチャーターキットに入っているモデル例会の実演ビデオで当然英語である。したがってビデオ上映中は梅本氏が同時通訳していた。続いて行われたモデル例会は、武蔵の第1回デモ例会で行われたのと同じ手法で、実際に登場する会員以外の役は全てプログラム上にのみ存在するという形。今日のトーストマスターは佐藤氏が務め、ヴォート氏と大嶋T氏がスピーチ、パイザー氏と私が論評を行った。

通常の例会と違ってステージの前には一般の観客がいるわけだが、舞台度胸があるのか、みんな落ち着いていた。私の場合、論評だったので出番は一番最後。そのためか比較的落ち着いて話すことができた。
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モデル例会後に、JTCガバナーのキルパラニ氏が壇上に立ってスピーチ。非常に分かり易い英語で梅本氏が同時通訳していたが、後に日本語が話せることが判明。キルパラに氏とはこの後頻繁に顔を合わせるようになった。氏の自宅と私の会社が近所なので、道を歩いている時に遭遇することもしばしばあった。
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by inv-pyramid | 2008-04-07 01:10 | 1999年後半