人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[武蔵編] キーパーソン登場

5月27日第15回例会は、武蔵クラブがチャーターする上でのターニングポイントとも言える回となった。それは武蔵チャーターの功労者とも言える近藤氏の加入があったからだ。近藤氏は豊富な人脈を生かしてさまざまな人を例会に連れてこられ入会させた。その内訳は今記憶にあるだけでも、家族2、同僚5、後輩1、教え子2、隣人1といった具合で、口コミで連れて来られた方ばかりであった。適当な言葉が見つからないが、それはまさしく「キーパーソン」という形容が相応しいものであった。

とりわけこの例会では早くもご子息を伴って現れ、親子共々すかさず入会されていった。その行動力にも目を見張るものがあり、生かせるものはなんでも生かすといった気構えが素晴らしかった。これはまた後述するが、勤務先の大宮西高校での社会人講師の募集をTMに持ち掛けたりと、そのクラブのみに留まらない活動にはただ敬服するばかりであった。

そして、TMの会員募集の方法としては、やはり口コミが最も有効であることを思い知らされた。TMのマニュアルでも、人が人を連れてくることを盛んに推奨しているが、いつの時代でも口コミは最も有効な手段である。手間もかかるが、やる気のある方を見つけて、或いは興味がありそうな方をその気にさせて例会に連れて来ることが最も確実である、ということを近藤氏は証明した。

この後約4ヶ月で武蔵はチャーターを果たす。TMにとって、人はまさに宝である。
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by inv-pyramid | 2007-11-17 08:59 | 1999年前半

[武蔵編] 掟破りのスピーチ3本立て

5月13日の第14回例会ではいつもと趣向を変えて、1回の例会でスピーチを3本連続でしてみることにした。プロジェクトは基本の#4から#6で、これらは身振り、声、言葉というスピーチの技術的な面を学ぶことを目標にしているのは周知の通りである。個人的な目標としては、1回の例会で3本のスピーチができるかということと、3つの異なる目標のスピーチの違いを出せるか、実演してみることであった。実際は3本のスピーチの間に他の人のスピーチを挟んで行ったので、さながらスピーチマラソンのようであった。もちろんクラブの人には事前にこういうことを行う旨は伝えておいた。まだスピーチマラソンという言葉は定着していなかった。

実はTMのプログラムでは、CC等取得の対象となるスピーチは1回の例会で1本までに制限している(教育担当副会長マニュアル11ページ参照)。それはスピーチの品質を保つためであり、準備不足等による貧弱なスピーチは話し手のためにならない、と釘を刺している(同11ページ)。それはもちろんその通りであり、もう1度手直して披露した方がよさそうな準備不足のスピーチは時折見かける。それを話し手にうまく気付かせるのが論評者の腕の見せ所でもある。私はマニュアルにこのような記載があることは、後年やまのてクラブで活動を共にした浅井氏より指摘を受けた。それは後年この時の私と同じような試みをされた方が出てきたからであった。この頃の私は英語の役員マニュアルはまだ熟読していなかったので、この記述についても知らなかった。元より既に江戸でCTMを取得していたので、武蔵でのスピーチで新たにCTMを申請するつもりはなく、この時のスピーチはコミュニケーショントラック消化の対象にはしていない。

肝心のスピーチだが、#4「身振りで示せ」では日本人と外国人の肉体的な差を登山を例に実演、#5「声を豊かに」では自分の名前の読まれ方からくるコミュニケーションギャップの問題を延べ、#6「言葉を生かせ」では日本人特有の1人称代名詞の使い分けについて述べた。既に1度披露した内容の再構成であったり、以前から暖めていたアイディアをまとめての発表であったりしたので、意外と3つの違いを出しながら内容的にもそれほど貧弱にはならなかったと思った。

この試みは後にも先にもこの1回限りで、以降現在に至るまで1回の例会で1つのスピーチの原則は守っている。スピーチ課題消化が目的ではなく、あくまでも1回で3本ができるかどうかを試したかっただけなのだから。
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by inv-pyramid | 2007-11-13 22:25 | 1999年前半

[さくら編] エリア2&1スピーチコンテスト-葉桜の章-

エリア2スピーチコンテスト終了後は、国際交流棟のレセプションホールに移動して昼食会が行われた。昼食会のことは事前に聞いてなかったので、3000円の会費でパーティーまで付けているのには少々驚いた。ただ昼食会のためノンアルコールではあったが。
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司会役は東京クラブのキルパラニ氏。次年度のJTCガバナー候補者でこの時は教育訓練担当副ガバナーをされていた。このパーティーでは後々交流を深めることになる英語クラブの色々な方とお話をする機会があったが、その中で当時関東に在籍されていたネパール人の小俣氏より、日本語クラブに参加したいということを伺ったので、江戸クラブを紹介しておいた。小俣氏は後に江戸へ入会、その後さらに東京バイリンガルにも入会された。

さて、午後からはいよいよエリア1コンテストである。午後からは若干参加者が減ったような印象を受けた。合同コンテストとは言っても基本的にはそれぞれのエリアの所属クラブが対象なので、両方通して参加していたのは東西とさくらの面々が主であった。特にエリア1は遠方のクラブも含まれているので、参加者が少ないのはむしろ当然とも言えた。
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来賓挨拶は当時エリア1ガバナーの前田氏、コンテスト委員長は児玉氏。出場者は、阿部(さくら)、福井(東京)、林(筑波)、森(仙台)、鯖島(ACCJ)、梅本(埼玉)の6名。我らが阿部氏(写真)は6番目の出場で、クラブでのリハーサル時より数段出来が良かった。惜しくも入賞は逃したが。優勝は梅本氏、2位が福井氏、3位鯖島氏という結果で、上位2名が決勝進出。この両名はどちらも自分を見舞った災害あるいは悲報を題材としたスピーチだったのがいかにも日本人的で印象に残った。仙台の森氏には後に宇都宮でお世話になることになるが、この時はまだ名前を知るのみであった。

かくして、ぶっつけ本番という感じだったエリアコンテストであったが、東西との共催で何とか形にすることができて良かった。エリア1、エリア2という区分けは今はもうないが、向日葵の鮮明さが今でもはっきりと思い出されるコンテストである。
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by inv-pyramid | 2007-11-11 19:21 | 1999年前半

[さくら編] エリア2&1スピーチコンテスト-向日葵の章-

5月15日土曜日、ついにエリア2及び1の合同スピーチコンテストが開催された。エリア2が東西、エリア1がさくらクラブの運営である。何故、開催順がエリア1、2と若い番号順でないのかというと、それはエリア1が遠方のクラブを含んでいたからに他ならない。JTC時代はまだディビジョンという中区分がなく、全国を5つのエリアに分けていた。エリア1には札幌や仙台などの北海道、東北地区のクラブが含まれていた。よって参加の便を図るため、エリア1コンテストが午後の部になったのである。

会場は代々木のオリンピックセンターのセンター棟セミナー室だったが、元々ここはさくらクラブが押さえていた関係で、会場関係がさくら、プログラム等のソフト面が東西という役割分担であった。とりわけ東西の方が参加者が多かったので、受付などは東西にお任せであった。ただ、このコンテストで一つだけ印象に残ったのは、飾花の豪華さである。これはフラワーアレンジメント講師であるさくら竹谷氏の力作で、梶谷会長のTMらしさを印象付けて欲しいというリクエストに答えてのもので、ひまわりをふんだんにあしらった大きなアレンジは、正直なところ出場者よりも目立っていた。
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さて、午前の部は東西運営によるエリア2コンテストである。来賓挨拶は大嶋ガバナーと当時エリア2ガバナーだった滝本氏で、特に滝本氏は私が会場に着いた時、階段の踊り場で一人挨拶のリハーサルをされていたのが印象に残っている。今では響でご一緒に活動させて頂き、私がTMの母とも仰ぐほどお世話になっている滝本氏と初めて言葉を交わしたのがこの時であった。

コンテスト委員長は東西のピンドリア氏、審査委員長は当時日本唯一のDTMだった森氏で、森氏はエリア2、1両コンテストを通して審査委員長をされていた。出場者は福重(東京バイリンガル)、桑原(ICF千葉)、ラリー(東西)、中村(ウェスト東京)、白石(関東)、武田(ブレックファスト)の6名で、優勝はラリー氏、2位が白石氏であった。当時は上位2名が決勝進出というルールで、この両氏がそのまま全日本コンテストへ駒を進めた。私が特に印象に残ったのは3位の武田氏(写真)で、ゼスチャー、声の抑制が良く効いていた一人芝居的なスピーチは、他のクラブにはこんな凄い人もいるんだな、と思わせるものがあった。個人的には1位かなと思ったが、その一人芝居的な手法が敬遠されたのかも知れなかった。
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by inv-pyramid | 2007-11-11 18:40 | 1999年前半

[東京BL編] たった一つの冴えたやり方

熊本でのコンテストが行われる直前の4月21日例会には少々思い出がある。この日私は日本語の部でスピーチをした。もう一人のスピーカーが何とあのコール氏であった。東京バイリンガルでは、毎回日本語と英語それぞれの部で二人ずつスピーカーを立てるのが原則だった。人数も多いのでスピーチの順番が回ってくる回数は少ない。私は東京バイリンガルに入って日本語のスピーチをするのは、コンテストを除けば実にこれが初めてで、それまでに行ったのは英語スピーチが2本。東京バイリンガルでは例会に参加しても役割のないことも多かった。

そんな中での初日本語スピーチだったので、少々気合を入れて珍しく念入りに準備をしていた。別にコール氏を意識していたわけではない。コール氏といえばコンテストの常連で、その閃きというか癖のある独特のスタイルが強く印象に残る方である。一緒にスピーチをする機会を頂けただけで十分だった。私のスピーチの課題は「スピーチを組み立てよ」で、この項の表題がそのスピーチ題名であった。雪山での遭難経験を元に、何が冴えたやり方なのかを伝えることを目的としたスピーチとした。入念に準備したのは話の構成ではなく小道具で、紙吹雪を飛ばすことで雪嵐の状況を再現しようと思い、紙吹雪をたくさん作ってポケットに忍ばせ、それをスピーチの最中に撒いた。これが功を奏したのか、ベストスピーカー賞を頂いてしまった。

ちなみに、今夜のトーストマスターは日系アメリカ人の江坂氏で、例会テーマが「ライバル」。私はコール氏をライバル視したことなどは一度もないが、結果としてコール氏を差し置いてベストスピーカーに選ばれたのは今宵限りとなった。スピーチの演出については常日頃考えることだが、結局この日は紙吹雪を撒くことが「たった一つの冴えたやり方」になってしまった。自分としては割と上出来の部類に思えたこのスピーチは、後に2000年ユーモアスピーチコンテストで改稿して発表することになる。そしてこのスピーチが東京バイリンガルにおける最後のスピーチとなった。

もっともそれはこの時点での話で、数年後に復帰することになるとは努々思ってもみなかった。
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by inv-pyramid | 2007-11-07 01:24 | 1999年前半

[さくら編] クラブ自分流、そこにあるもの...

熊本でのコンテストの余韻に浸る間もなく、さくらクラブにも属する私には次なるコンテストが迫っていた。英語のエリアコンテストである。これは前にも述べた通り、最終的に東西との合同で代々木のオリンピックセンターで行うことになっていた。私は1会員でしかなかったので、事前の準備にどれくらい時間が割かれていたのかはよくわからなかった。しかし、例会上でその経過報告が特にされることもなく、5月の連休前を迎えていた。

4月28日の例会では、コンテスト出場予定の阿部M氏のリハーサルスピーチが行われた。自然保護団体職員である阿部M氏のスピーチは、鮫をテーマとしたものだった。クラブコンテストは行われず、出場希望者を募ったところ阿部M氏のみが手を上げたという状況で、運営クラブであるにも関わらずこれからコンテストを行う、という盛り上がりには正直いって欠けていた。ちなみにこの回には、スペシャルゲストとして東京バイリンガルのコール氏が呼ばれていて、課題なしのスピーチをされていた。コール氏はこの年のコンテストには出場されずにいたので、この時期に何故ゲストスピーカーとして呼ばれたのかはよくわからなかった。

そして連休明けの5月12日の例会。コンテスト3日前である。この回でようやく当日の役割が発表された。そしてコンテストのリハーサルが行われた。このリハーサルの中で阿部M氏のコンテストスピーチが再度テストされた。私には事前に役が与えられなかったので、自分から撮影係を申し出た。カメラとビデオの係りが空欄になっていたからである。3日前にしてようやくエンジンが掛かったという所か。

それにしても会場は1年前に押さえられていたにも関わらず、直前までほとんど会員に何も知らされなかったという状況からは、むしろさくらクラブらしさを感じ、またこれが英語クラブのアバウトなところなのかも、という思いが巡っていた。もちろん何も準備しないでコンテストが行われるわけもなく、役員の方々は恐らくそれなりの準備をされていたとは思う。要はクラブとしてどうなのか、ということである。
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by inv-pyramid | 2007-11-06 02:17 | 1999年前半