人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[江戸編] 歴代会長集合

このブログは私の記憶と記録を頼りに綴っているため、どちらかが欠けていると話が飛んでしまうことがある。前回の武蔵編で初めて写真をアップした時、アルバムを見ていたら、抜けていたエピソードがあったことに気付いた。

話が少し遡るのだが、9月6日の日曜日、日吉の大嶋邸で8月に続いて再びホームパーティーが行われた。それは江戸クラブ3代目大統領(!)のルーマン氏が突然来日されたことによるものだった。何でも会社の仕事で来日中とのことで、この日の前日のはまクラブ例会にも出席されていた。私はルーマン氏が参加するからはま例会に来ないか、と誘われ横浜へ赴き、翌日の大嶋邸でのホームパーティーにも参加した。ちなみにはま例会の後には東京バイリンガルのパイザー氏と江戸クラブ武田氏の結婚式があり、私ははま例会の後、2次会から参加した。ちょうどこの1週間前に江戸の常石氏の結婚式があったばかりで、江戸クラブはおめでた続きであった。

私はルーマン氏と顔を合わせるのはこの時が初めてだった。江戸に入会する時に見た雑誌に掲載されたクラブ紹介記事にルーマン氏が写っていたので、「この人が」という感じだった。このルーマン氏の歓迎パーティーには江戸クラブの歴代会長が顔を揃えた。順に、飯牟礼(2代)、ルーマン(3代)、大嶋R(4代)、大嶋T(6代)、朴(7代)、野島(8代)、小原(11代)という顔ぶれで、この時点では飯牟礼氏、朴氏はTMOBで、ルーマン氏もサンフランシスコJETS所属ということで、日本のTMには当然所属されていない。OBと現役をつなぐ誰かがいなければ実現することはない会合であった。私は例によって手料理を披露。以降、江戸ではホームパーティーを組む機会が何度かあったが、私の手料理は定番となった。
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つい数ヶ月前にもさながら江戸クラブOB会のごとく歴代会長が顔を合わせる機会があった。過去の主だった方々とはもはや年賀状を交換する程度のおつき合いしかないが、折に触れ再会することもまた愉しきものである。
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by inv-pyramid | 2007-07-08 02:52 | 1998年

[武蔵編] 秋晴れ×別所×デモ例会

かくして10月11日(日)、別所公民館大会議室にて記念すべき武蔵クラブの第1回例会が開催された。当日は絶好の行楽日和で、まさにこれから活動を開始する新しいクラブにふさわしい1日となる予感が朝からしていた。私は武蔵クラブがもし週末開催になったら自転車で通おうと思っていた。結局、日曜開催は最初のデモ例会のみとなったが、この日は自宅から自転車で別所公民館へ向かった。私の自宅のある和光から武蔵浦和までは自転車で約30分ほど。アップダウンのある和光市を抜けて、荒川を越え、戸田を横切って武蔵浦和へと辿り着く。久しぶりの長距離サイクリングで公民館に着いた時は少々息が切れた。

会場では既に梅本氏が準備をしていた。彼の家は公民館のすぐ裏手にあり、だから会場がここに決まったのだが、今日のトーストマスターのためタキシードを着ていた。この辺の演出というかこだわりが梅本氏らしく、以後もこの手の演出を例会の中でされていたが、その片鱗をこの日初めて見ることになった。14時の開場時刻が近づくにつれ、パイザー氏、藤山夫妻、渡辺氏、マッキンタイア氏、町田氏、大嶋夫妻などの蒼々たる顔ぶれが集まっていた。さらに埼玉クラブの面々や、ヴォート氏の友人、チラシを見てきた方、梅本氏に電車で声をかけられて来たという外国人など気が付けば30名近くの人数になっていた。
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14時にいよいよデモ例会がスタート。ヴォート会長の挨拶により例会が始まる。司会である今日のトーストマスターはタキシード姿の梅本氏。昼下がりの公民館でカジュアルな格好で参加している聴衆に対して黒のタキシードは微かな違和感があったが、そのアンバランスさもまた演出である。例会プログラムも梅本氏の作成で、ひらがなを多用した構成は我々には少々見難いものがあったが、梅本氏による武蔵の基本方針は「外国人への恩返し」であるから、これくらいのことは当然という感じだった。

例会の口火はP藤山氏によるジョークマスターで切られた。持参の封筒から取り出されたのは1枚のトーストというベタなトーストマスターネタが笑いを誘う。役割紹介に続いては私によるテーブルトピックス。特に関連のないテーマで「ひったくりにあったら」(この時期県内でひったくり事件が多発していた)、「気象予報士としての今冬の予報」、「埼玉県に後どれくらいTMが必要か」という出題を、エリアガバナーとして来られた前田氏、東京バイリンガルクラブの町田氏、マッキンタイア氏にそれぞれ投げかけた。

スピーチはヴォート会長と山下氏の2名。ヴォート会長のスピーチはアイスブレーカーで「どうして日本が私を選んだのかしら」という英国人らしい捻りのある題で日本に来た経緯を披露。山下氏のスピーチは学んだ話術を駆使せよ「福来る」。埼玉県の日本語クラブ誕生、武蔵=福という流れがデモ例会に合っていた。論評は大嶋T氏とパイザー氏が担当。総合論評も大嶋T氏が務めた。約90分のデモ例会の後、休憩を挟んで「トーストマスターズで何をしたいか」などのテーマでグループディスカッションを行った。その後武蔵クラブについての説明と質疑応答を行い、最後に庭先へ出て集合写真を撮影して閉会となった。
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その後、有志がマリンファンタジーに場所を移して2次会を行った。10月の夕暮れは早い。話し込んでいたらすっかり暗くなっていた。この2次会の席にはこのデモ例会参加後実に7年の時を越えて武蔵に入会された関東クラブの井上氏の姿もあった。総じて良い雰囲気に包まれて武蔵のデモ例会は終わった。幸先の良いスタート、と誰もが信じて疑わなかった。
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by inv-pyramid | 2007-07-05 12:55 | 1998年

[武蔵編] 夜明け前

話が前後するが、合同例会が行われた後の9月24日、3回目の準備会が行われた。今回は最初の準備会からの3人に加えて、はまクラブの山下氏がはるばる横須賀から駆けつけて来られた。合同例会での宣伝で新たな日本語クラブの設立に興味を持つ人が増えたのだ。10月に開催予定のデモ例会へ向けての最後の詰めの準備会であった。

3回目の議題はデモ例会の内容をどうするかということと、広報活動をどう広げるかということに焦点が置かれた。デモ例会の司会は梅本氏が行うことが既に内定済みで、テーブルトピックスが小原、スピーチがヴォート、山下の2名というところまでがこの時点で決められた。私はデモ例会がどのように行われるかなどまったく初めてのことなので、準備は梅本氏に完全にお任せであった。ただ順序としてはマニュアル通りで、例会のデモを行った後に、クラブの入会案内を行うことをみんなで確認した。またスポンサークラブを江戸クラブ、埼玉クラブ、スポンサーを大嶋R氏、渡邊氏、メンターをパイザー氏へ依頼することが既に決まっていた。

追い込みの広報活動としては、広報用のチラシを英語版をヴォート氏、日本語版を梅本氏が新たに作成し、武蔵浦和や川口駅前でのビラ配りも行われた。私もチラシを駅のスタンドに置いたりした。そしてデモ例会前日の10月10日付け毎日新聞朝刊の地域版には、梅本氏とヴォート氏の写真入りのデモ例会の案内記事が掲載された。新聞記者の手による記事はTMの活動内容が簡潔にまとめられていた。ここまではほぼ準備万端、後は翌日のデモ例会本番を待つばかりであった。
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by inv-pyramid | 2007-07-01 19:46 | 1998年

[さくら編] 居心地

さくらクラブに入会したのは、3回の見学を経た後の9月9日の例会でのことである。既に高田馬場は引き払い、東京ウィメンズプラザを新たな拠点としていた。英語クラブにも関わらず入会を決意したのはその居心地の良さに他ならなかった。現在までに参加した延べ9クラブの中でどこが最も居心地が良かったかと訪ねられれば、迷わずにさくらクラブと答えるだろう。初めて見学に訪れた時のクラブの印象というのはそれほど重要なのだ。例会の雰囲気が暗かったり、偏屈な人がいたり、スピーチが面白くなかったりするだけで見学者は2度と来ない。ゲストを笑顔で暖かく迎えるということはとても基本的で大切なことである。

ではどんな所に居心地の良さを感じたのかと言えば、それはやはり自分と同年代の人が大勢いたから、というのが最大の理由のような気がする。当時のさくらクラブには極端に年配の人はおらず、30代から40代の人がほとんどで、内半数程度が女性であった。私は別に仲良しクラブを求めていたわけではないが、同年代で価値観が共有できる仲間が大勢いれば、話も弾むし打ち解け易い。江戸や東京バイリンガルで異業種、異文化、世代間交流のただ中に身を置いていただけに、自分と同世代の仲間を何処かで求めていたのかも知れなかった。英語はあまり出来なかったものの、2次会での会話は大いに弾んだ。

会場を公共の会場に移したことで、9月から会費も一気に引き下げられ、半年6000円という標準額に見直されたことも大きかった。されに重籍会員については2割引が適用された。人数的にも毎回15名程度の参加があり、適度な規模のクラブになっていた。
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by inv-pyramid | 2007-07-01 18:46 | 1998年

[江戸編] 千駄ヶ谷で会いましょう

9月19日(土)には千駄ヶ谷社教館で合同例会が行われた。例年8月か9月に横浜で行われていた江戸とはまの合同例会だったが、この年ははまの太田会長との事前打ち合わせで、たまには東京でやりましょうという話になり、千駄ヶ谷社教館での開催となった。首都圏の日本語クラブによる合同例会という位置づけとし、東京バイリンガルの他、設立準備中の武蔵にも声をかけた。

参加者は総勢30名弱というところで、会場は社教館の大会議室を使った。司会は大嶋R氏。ちょっといい話を武蔵のヴォート氏が少しひねりを加えた「桃太郎」で行った。テーブルトピックははまの清水氏が司会で5名に出題、この時5人目の話し手となったのが、後に江戸に入会され私が江戸を退会した以降の一頃まで最古参メンバーとして残っていた細川氏で、この時がゲストとしての初参加だった。この頃はまだ筑波在住で平日の例会には参加できないので、たまたま合同例会が土曜に行われるということでお誘いしたのだった。

スピーチは東(はま)、三村(江戸)、梅本(武蔵)、庄司(江戸)という実力派揃いで、特にはまクラブ東氏の「海」という題で行われたスピーチは、身振りで示せで行われたことも相まって迫力満点で、後に数々のコンテストで入賞を果たされたのも頷けるものであった。ちなみに私は東氏と一緒に出場したコンテストではいつも東氏の後塵を拝する有様だった(東氏2位、私3位など)。もちろんこの時も最優秀スピーカーに選ばれた。

2次会はこの頃はもう定番となっていた猪八戒で行われた。この時はちょうどJTC広報担当の渡邊氏も参加されていて、2次会の席で梅本氏ともども武蔵の広報用チラシを浦和近隣の各団体へ郵送するための準備作業をされていた。渡邊氏は後に武蔵のスポンサーになり、また武蔵会員にもなって初期武蔵の広報に一役買っていた。千駄ヶ谷ではまとの合同例会が行われたのは後にも先にもこの一度きりであった。
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by inv-pyramid | 2007-07-01 06:09 | 1998年

[江戸編] 触発

会長職を受けたこの年度は、同時多発的に色々なことに取り組み始めたのは既に述べた通りである。英語クラブへの参加、新クラブ設立への参加、自分の在住地ではない地域活動への参加。それは色々な人と接することによって触発され、自分に磨きをかけるという欲もあったが、同時に多くの人と交流し、クラブを行き来することによって江戸クラブの活性化に繋げたい、という気持ちが働いていたのもまた事実でる。特に合同例会やコンテストの開催などでは、他クラブの人たちと顔見知りになっておくということは重要で、知り合いになっておけば役割の依頼などもし易いものである。

7月下旬に私は大嶋R氏のお供で、田園都市クラブを訪問した。田園都市クラブには前から興味があり、大嶋R氏がガバナーとしてクラブ訪問するということ、またこの少し前に同クラブの岡田氏が江戸クラブにゲスト参加され、7月から会長職につくのでよろしくということだったので、私も同じ会長職として表敬訪問することにしたのだった。

田園都市クラブは東京クラブの斎藤氏が立ち上げた英語クラブで田園都市線の市ヶ尾駅近くの青葉国際交流ラウンジという場所で例会を行っていた。田園都市線沿線ということで郊外の主婦層が中心のクラブということを聞いていたが、果たしてその通りで主婦層と普段は都内へ通勤しているのだろう男性陣が多数を占めていた。田園都市クラブはこの年度、湘南クラブと合同で藤沢で全日本スピーチコンテストを運営することが決まっており、例会からもその勢いが感じられた。私が特に注目したのは入会式で、この日はIT企業会社員で若手の小左見氏の入会式が行われていたが、入会宣誓の後、クラブメンバー全員が列をなして入会者と握手を交わしていたのが新鮮だった。私は入会式自体を見ることが初めてだったので、これが正式の入会式なのか、と少し感銘を覚えた。マニュアルでは握手については特に明記されていないことが後日判明したが、この時の印象は鮮烈で、後に日本語クラブでは初めて響クラブでこのやり方を採用した。

さらに例会の後一部有志が残って、斎藤氏が用意した英字新聞の切り抜きを参加者全員が輪読していた。英語クラブはやはり英語の勉強会なんだな、という印象を強く持ったが、ゲストながら私も参加を促され、英文を読み上げた。この後さらに近くの喫茶店での2次会まで付き合って、彼らの日本語クラブへの印象なども拝聴した。

田園都市クラブへはこの後もう一度、湘南クラブとの合同例会の折りに参加したが、雰囲気的に似ている両クラブの合同例会は郊外の英語クラブの香りが濃厚で、緩やかな時間の過ごし方が平日夜のクラブと対照的だと思った。
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by inv-pyramid | 2007-07-01 04:58 | 1998年