人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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1999年、7の月・凋落と飛躍の年を迎えて

1999年と来れば、まずはやはりノストラダムスだろう。1999年7の月、空から恐怖の大王がやってくる、という例の大予言である。折からの世紀末ムードに煽られて何かと話題になったものだが、実際には何も起こらなかった。否、何も起こらなかったというのは語弊がある。この年はゼロ金利政策が発動された年で、後の格差社会を生み出す要因の一つともなった。世相的にも暗い事件が相次ぎ、光市母子殺害事件、池袋通り魔事件、京都小学校児童殺傷事件、そして桶川ストーカー殺人事件などの事件が連鎖的に発生した。年末ともなればこれまた世間を騒がせた2000年問題が起きている。明るい兆しなどは見えなかった。

トーストマスターズとて例外ではなく、前々からも述べている通り、7月の年度代わりからの1年の間に江戸クラブでは2回の会長交代劇があった。つまり3人の会長が立ったということだが、前2人の会長降板は極めて私的な理由によるもので、クラブに深い影を落とすことになった。この凋落化傾向は2001年頃にまで及び、クラブの再建計画なども例会の場で話し合われることになる。やがてこの凋落化は東京バイリンガルクラブにも伝染した。

代わって台頭し始めたのが武蔵クラブで、この年の10月に1年掛かりでチャーターを果たし、首都圏の日本語クラブの主役が交代する兆しを見せた年でもあった。また3月には台湾の日本語クラブが初めて日本に訪れ、以後の日台交流の礎を築いた。

JTCもいよいよその役割を終え、準ではあるがディストリクト76へと衣替えする年度となった。
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by inv-pyramid | 2007-07-25 00:51 | 1999年前半

[さくら編] カラオケな夜

江戸、東京バイリンガルと続いた1998年の忘年会の最後を飾ったのは、さくらクラブの忘年会(クリスマス会)で、同じ週の金曜日18日に行われた。場所は十番亭と同じ千駄ヶ谷の商店街通りにある「ボナ・ぺティート」という、やはり地中海料理の店である。予約したのは梶谷会長だったが、私も実は江戸の時に十番亭が予約できなかった時のことを考えて、この店の下見をしていた。商店街通りに面していて小奇麗な店という印象だったが、下見の時に応対してくれた女性の話では、「この金額以下では受けられない」と金額を提示されたので、こちらの予定予算より高めだったので、考えてから返事します、とその時は答えておいた。しかしその時点ではもう十番亭に決めていた。後日その女性から自宅へ電話があり、こちらの提示額で良いからいかがですか、ということを言われた。たぶん私が帰った後で店長と相談でもしたのだろう。ビジネスの現場では即断即決が重要なのだな、と思った。

しかし結局さくらクラブの忘年会でこの店を利用することになるのだから、人生先のことはわからない。当日の接客、食事は満足の行くものだった。年末の押し迫った時期でもあり、参加者は9名と少なめだったが、その分密度の濃い話ができた。テーブルトピックスでは一人一人がさくらクラブに入会するまでの経緯を話すことになったのだが、中でもさくらの古参会員である児玉氏の経歴がユニークで、先ごろ都知事選に出馬した建築家K氏の事務所で働いていたり、仕事でシリアにいたことがあるなど、参加者一同驚きの連続であった。
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前にも述べた通り、この頃のさくらクラブのメンバーは私と最も年齢が近い人ばかりで、この忘年会はその中でもさらに同年代の方が集まっていて、話が合うことしきりで、特にカラオケ好きな点で意見が一致し、2次会で代々木駅近くのカラオケボックスに流れることになった。私がTMでカラオケに参加するのはこの時が初めてだったが、この時の参加者はカラオケのレベルが非常に高く、後に阿部氏はカラオケマスター、竹谷氏はカラオケクイーンの異名を持つことになった。延長に次ぐ延長で終電近くまでみなでカラオケに興じていた。そしてこれ以後、有志によるさくらカラオケクラブが結成(?)され、年3回程度、例会とはまったく関係のないカラオケだけの集まりを持つことになった。

ボナ・ぺティートもこのカラオケボックスも今はもう別の店になったが、この日はTMでの私とカラオケとの接点を作った記念すべき夜となった。
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by inv-pyramid | 2007-07-22 20:31 | 1998年

[東京BL編] バックワードミーティングという戯れ

江戸忘年会の翌日16日に東京バイリンガルの年末例会が行われた。東京バイリンガルの年末例会は毎年恒例のバックワードミーティング。"backward" つまり「後に戻る」「逆の」例会ということで、ここで逆さまになるのは例会の進行順である。日本語で端的に言えば「逆順例会」という所か。例会は閉会から始まり、開会で終わる。受賞者発表、総合論評、個人論評、スピーチ、テーブルトピックス、今夜のトーストマスター紹介という、通常とは逆の流れで行われるのだ。これは「プログラムの手引き」というマニュアルにも紹介されている一風変わった趣向の例会で、何か特別な機会に行われるのが一般的である。私にとってもTM入会以来初めて目にするやり方で、少なからずカルチャーショックを覚えた。

受賞者が最初に発表され、スピーチの前に論評が行われ、当然のことながら時間の報告もスピーチの前になる。後の役割の人は先に話した人の話を受けて、話すことを組み立てる必要がある。もっとも難しいというか頭を捻るのがテーブルトピックスで、質問は答えに合わせなければならない。たぶんこの例会の中では総合論評が最もおいしい役どころになるだろう。なぜなら総合論評者が論評した通りのことを後に続く話し手は再現しなければならないから。
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ちなみにこの時の東京バイリンガルの年末例会では、総合論評者の玉井氏(年頃の女性)が「(論評者の)長谷川さんはスキップをしながら論評をしていた」、と論評する下りがあった。後を受けた長谷川氏(妙齢の女性)は当意即妙でスピーチの中でスキップをしていた。こういうお遊びが苦手な人にとっては苦痛になるかも知れないが、長谷川氏は嬉々としてスキップをされていた。今でも印象に残っている一幕である。ある意味、この例会はTMの役割を熟知していないとできない部分もあるかも知れない。

バックワードの夢から醒めての2次会は当然のことながら忘年会。会場はいつもの有楽町のライオンではなく、新橋方面へ歩いた途中にある店(名前は忘れた)。いつもとは趣の違う格調高い雰囲気のあるレストランだったことくらいしか覚えていないが、この頃の東京バイリンガルらしいざっくばらんな忘年会となった。
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by inv-pyramid | 2007-07-20 00:34 | 1998年

[江戸編] 年忘れは隠れ家レストラン・十番亭で

12月15日の第3火曜日が、この年の江戸クラブの忘年会となった。場所は私の趣味で予てから目を付けていた地中海料理の店、十番亭と決めていた。ここは社教館から代々木へと向かう商店街通りの途中の小道を入ったところにある、まさに隠れ家レストランという趣のこじんまりとした店で、これ以降も忘年会や2次会で時々利用させてもらった。

店のチーフ(と店員の人が呼んでいた)との交渉で事前に飲み物別で3000円でお任せでお願いします、という交渉をしていた。チーフ曰く、当初は「うちは3000円で受けるような店じゃないんですが」ということだったのだが、私が「ここが気に入ったのでぜひ一度利用したかった」ということを伝えて交渉が成立した。このレストランがどのくらいの格だったのかは、いつも通り過ぎて見ていただけで雑誌などで調べたわけではないのでよくわからなかった。言われてみれば確かに相応の格だったのかも知れない。

当日はちょっとした手違いがあり、15名の参加予定が5名ドタキャンになったのは痛手だった。そのためほぼ貸切状態だったテーブルが少々スカスカになり、お店の人にも怪訝な顔をされた。ただ残り10名の参加者は男性6名、女性4名で比較的年齢が近く、それでいて雑多な職業の人の集まりとなり、和気藹々とした忘年会となった。お店からはハウスワインのサービスがあり、店自慢のパエリヤなどの料理に舌鼓を打ちながら、プレゼント交換を併せたテーブルトピックスなどを行なって静かに盛り上がっていた。それはやはり20人も入れば満席になってしまうであろう、このレストランならではの暖かみな気がした。

ちなみにこの時の参加者が2000年頃まで続く江戸低迷期の中心層で、前年の忘年会などと比べてみても雰囲気的に明らかに異なるものがあった。
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by inv-pyramid | 2007-07-19 01:04 | 1998年

[さくら編] そして僕らは途方に暮れる

12月、さくらクラブに対して東京ウィメンズプラザより突然同プラザの利用を認めない旨、申渡しがあった。理由はさくらクラブの利用目的が同プラザ利用の趣旨に反するということであった。東京ウィメンズプラザは女性の地位向上を目的とした女性財団が運営する施設であり、利用団体は女性の地位向上のための活動や男女共同活動の参画等を行なっている団体に限るのが原則である。さくらクラブは元より英語スピーチの勉強会という側面があるため、登録時にそのまま「英語スピーチ勉強会」で届けていればまず登録はできないはずで、その辺は梶谷会長がうまく辻褄を合わせていると思っていた。

ところが、意外なところから東京ウィメンズプラザ側にさくらクラブの実情が伝わってしまっていた。広報担当の阿部M氏が、クラブのPRをフリーペーパーにした際に、英語スピーチ勉強会という趣旨で記事が掲載されており、それが同プラザの知ることとなってしまったのだ。

公共の施設は各地に色々とあるが、その中でも利用目的を絞っている施設、例えば女性センターや国際交流センターなどを利用する場合は、登録時に自分たちの活動目的をその利用目的に合わせることが肝要なことは言うまでもない。立地条件などでどうしてもそこを利用したいということであれば、時にはカムフラージュが必要なこともある。またそういう手順を踏んだ場合は、クラブ内にその事実を周知しておく必要もある。意思統一が図れていないと、この時のさくらクラブのような状況を招くのだ。

結果として、さくらクラブは12月の最初の例会をもって東京ウィメンズプラザからの撤退を余儀なくされた。実に4ヶ月弱の利用実績であった。しかもこの4ヶ月間は東京都生涯学習センターを併用していた。翌年からは主会場が生涯学習センター、副会場を千駄ヶ谷社教館とすることになり、ついには千駄ヶ谷社教館に完全に移ることになった。
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by inv-pyramid | 2007-07-17 01:28 | 1998年

[武蔵編] 潜入!彩の国さいたま国際フェア

12月最初の週末の5、6日に大宮ソニックシティにて彩の国さいたま国際フェア98というイベントが行なわれていた。これは埼玉県内の主に国際交流団体の集いで、各団体が展示ブースを出して活動紹介や、物品の販売、ステージでのショーなどを行なうお祭りで、トーストマスターズとしては埼玉クラブが展示ブースを出すことになっていた。そこへ梅本氏の発案で武蔵クラブもこれに便乗して、広報活動を行なうことになったのである。

当日は埼玉クラブのメンバーでもある梅本氏が埼玉クラブの了解をとって武蔵のチラシを埼玉のブースに置かせてもらい、また武蔵メンバーが会場内でチラシ配りを行なった。まだ固定メンバーも少ないなか、梅本、ヴォート、佐藤、小原が交代で会場内でチラシを配った。まさにもぐりでの活動であった。

このイベントは毎年行なわれており、開催規模も年々大きくなっているが、当時はまだ規模も小さく長閑な雰囲気が漂っていた。武蔵も翌年以降は正式な登録団体となって精力的にこの場で広報活動を行なった。この手の地域イベントで広報活動を行なうことは当時まだ例がなく、ある意味では画期的なことだった。クラブ作りという点でのスタンダードは私の場合は武蔵である。特に広報面では、梅本氏のこの物怖じしない積極性には見習うべきことが多く、私も多大な影響を受けた。
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by inv-pyramid | 2007-07-17 01:26 | 1998年

[江戸編] 朝からディベートでリフレッシュ!?

11月29日の日曜日、横浜のランドマークタワー13階にあるフォーラムよこはまで、JTCイベントとして日本語のディベートワークショップとテーブルトピックスコンテストが行われた。午前が江戸運営のディベート、午後がはま運営のテーブルトピックスであった。午前のディベートは当初はコンテストとして企画されたが、諸般の事情でワークショップに変更になったことは前にも述べている。JTC時代はディベート関連イベントは毎年のように行なわれていたが、毎年同じ内容では面白くないのでこの年は少し変化球で行くことにした。

それはワークショップの前に、ディベートのルールに関する簡単なペーパーテストを実施することである。ペーパーテストは田中氏提供の全国教室ディベート連盟のルールブックの内容を参考に○×式で15問程度のものとして実施した。講師は当時の江戸クラブで最も迫力ある熱弁家の会社重役芦沢氏にお願いした。ディベートには慣れていないようだったが、事前に資料を渡してよく勉強していただいた上での登板は非常に良かった。やはり説得力あるスピーチをする上では熱のこもった弁舌の技術が必要だな、とこの時改めて思った。

テストの後で全参加者を1グループ肯定側、否定側、審査員各3人ずつ、合計3つのグループに分け、1グループの時間を20分程度に抑えてのミニディベートを行なった。このやり方は、ディベート研究所主催の井上氏が提唱されていた「わおた式ディベート」を元に、時間配分を幾分短くしたものである。論題は参加クラブより事前に公募し、10題を選出し、その中から各グループに選んで貰うことにした。「同性同士の結婚を認めるべきである」、「結婚式の主賓スピーチは廃止すべきである」、「女子大は廃止すべきである」などのその場ででき、ユーモアも感じられる論題が選ばれ、短いながらも白熱した議論が展開された。午前中というまだ眠気も覚めない時間の中で、さぞ頭の体操になったことだろう。
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昼食を挟んで午後からテーブルトピックスコンテスト。出場者は6名。全日本コンテストを謳いながらもJTC時代では、春のスピーチコンテスト以外は集まるのは精々首都圏のクラブのみというのがこの頃の実情であった。6名では時間も短いため、コンテストは2ラウンド行なわれることになった。第1ラウンドは「あなたはNASAのスポークスマン。2010年の宇宙開発計画について記者会見で発表して下さい」、第2ラウンドは「あなたは何の動物ですか」という出題であった。個人的には第2ラウンドの出題の方が難しいのでは、と思った。例えた動物になりきる演技力が必要だからである。

結果は1位:鈴木(はま)、2位:パイザーM(江戸)、3位:コール(つくば)という順位になった。1位鈴木氏の猫の演技が第2ラウンドでは特に光っていて、こういう演技ものはやはり女性の方が得意なのかな、思わせるものを感じた。
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by inv-pyramid | 2007-07-17 01:22 | 1998年

[江戸編] 紅葉に行こうよーっと、鎌北湖へ

11月8日の日曜日、江戸クラブとしては久しぶりのアウトドア企画として、埼玉県の日和田山から鎌北湖へのハイキングを行った。所謂奥武蔵のやさしいハイキングコースだ。このルートを選んだのは、東京近郊で低山ハイキングが楽しめ、まだ行ったことがない場所というのが主な理由だった。低山、紅葉、湖という安直な発想である。

当日は秋晴れで絶好のハイキング日和。西武池袋線高麗駅に集合した。高麗は巾着田で有名な所で、日和田山への入山口でもある。参加者は大嶋R、パイザーM,梶谷、佐藤I、陳、小原の6名で、武蔵メンバーの陳氏は私が誘った(後に江戸へ入会)。駅前の大きな2本の柱の間に入って集合写真を撮った後、市街をしばらく歩いて登山口へ。途中までは巾着田へ行く人も一緒なので、それなりにぞろぞろと人の列が続いた。日和田山は標高300m程度の低山であるが、勾配はそれなりにある。中間点の見晴らし台まで登った所で女性陣は早くも顎が出た。しばし休憩して、頂上を目指す。頂上は木に囲まれてあまり展望は利かない。写真を撮って次の物見山へと歩いた。
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「まだ歩くのー」という女性陣を励まし、小道の脇で昼食。各自持参の食べ物を分け合い、私は持参のポットでお茶を沸かした。この時点で既に13時を回っており、鎌北湖へと向かうのは時間が掛かりそうとの判断で、五常の滝経由で西武池袋線側へ降りることにした。下りと聞いて安心したのか、女性陣の足取りも急に軽やかになった。五常の滝へ降りた頃は日も傾いて過ごし易くなった。

下山口の武蔵横手駅で電車を待ちながら再びお湯を沸かし、お茶を飲んで解散。都会での飲み会ばかりでなく、たまにはこのようなアウトドア企画もあった方がいい。だが江戸クラブとしてのアウトドア企画は結局このハイキングが最後となった。
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by inv-pyramid | 2007-07-12 20:39 | 1998年

[東京BL編] 油断大敵

11月4日の例会はいつもと違った空気に包まれていた。私はこの前の例会を欠席したのだが、東京バイリンガルクラブではこの間にある事件が起こっていた。何とクラブの備品が全て処分されてしまったのだ。この頃東京バイリンガルの例会はNTT日比谷ビルで行われていたことは前にも述べたが、例会場は2階の大会議室にほぼ固定されていた。クラブの備品も特にことわりもなく会議室の片隅に置かれていた。保管されていたのではない。ただ置いていただけなのだ。話を聞くとどうもこの大会議室を事務所に改修することになって、部屋に置いてあったものは全て不用品として処分されてしまったようだった。処分された備品の中には、純正の演台、ギャベル、クラブバナーなどが含まれていた。まさに一切合切である。話を聞かされたメンバーはみな呆然としていた。

NTT日比谷ビルで例会が行われていたのはもちろんNTTの社員がメンバーの中にいたからだが、日比谷ビルで勤務されていたわけでなく、他の事業所の方がこの会議室を使用することの面倒をみていたらしかった。恐らく改修の話が伝わっていなかったのだろう。我々は毎回無料でこの会議室を使わせて貰っていたのだから、何も言う権利はないが、備品の管理にはもう少し気を配るべきだったかも知れない。備品は会場に置いておければそれに越したことはないが、何が不足しているのかは常にチェックしておくに越したことはない。油断は禁物だ。

ちなみに東京バイリンガルの例会はこの後、同ビルの1階の会議室で何度か行われた後、翌年からは東京都生涯学習センターに移ることになった。面倒が見られなくなったのだろう。噂ではこのどさくさに紛れてクラブの認定証も紛失してしまったらしかった。他の備品は後で買えても認定証だけは再発行などできない。これからクラブを立ち上げようと思っている人にはぜひ他山の石として欲しい教訓である。
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by inv-pyramid | 2007-07-09 20:30 | 1998年

[武蔵編] 本当の始まり

盛況だった第1回のデモ例会から打って変わって、10月22日木曜19時より武蔵クラブの正規の開催日での例会が始まった。日曜日と平日とではこれほど参加者層に差があるのかと思わせるほど、見事に第1回のデモ例会に参加された方は来なかった。ただ一人佐藤氏という女性の方が引き続き参加されていた。私は軽い失望を覚えた。と当時にこれからが本当の始まりだな、という予感がした。

この日の参加者は計14名で、内過半数が外国人だった。その外国人勢の多数を占めていたのが、北浦和にある文部科学省の日本語国際センターに日本語の研修に来ていた留学生たちで、同センターに武蔵のチラシが置いてあったのを見て来られたとのことだった。武蔵の設立コンセプトの一つは「外国人への恩返し」であるから、外国人が多数参加するという状況は好ましいと言えた。後はいかにトーストマスターに取り込むかであった。

今夜のトーストマスターは私が行った。この日は2回目ということで、マニュアル通りに進めるなら、クラブ役員や規約などを決める段階の集まりであり、まさにその通りの展開となった。テーブルトピックと招待スピーチのみがスピーチプログラムとして行われたが、この日のハイライトは東京バイリンガルクラブのコール氏による「上手に話せなくても良い」というスピーチで、外国人留学生たちにとっては特に励みになる内容でよかった。

スピーチの後、役員選出を行い、最終的にヴォート会長、パイザー教育副会長、小原会員担当副会長、管財接遇梅本、会計陳という顔ぶれが選ばれた。また1回目に引き続き参加された佐藤氏も準備会メンバー以外での新会員第1号となり、成り行き上書記ということになった。広報は後でまた決めることとした。

次の第3回例会でも引き続き留学生メンバーの参加があり、ユスフ氏とイネッサ氏がアイスブレーカーでスピーチをした。ユスフ氏は「トーストマスターズクラブまで歩いてきた道」という、かなり意欲的な題でスピーチをしたが、参加は結局この回止まりであった。この回は埼玉クラブより数名の応援があり、また川上氏という地元の菓子メーカーの会社員の方の参加があった。この川上氏が後に広報担当となり、武蔵のホームページを作ることになった。

このように初期数回は外国人参加者の比率が高かったものの、それを定着させるのはまた別の話であった。
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by inv-pyramid | 2007-07-08 19:05 | 1998年