人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[江戸編] 誰が為に鐘は鳴る

1998年前半はクラブを揺るがす事件も起きたが、新旧役員交代の頃には小康状態を保っていた。ただ新しく入られた方の中には数回の出席で姿を見せなくなるケースも多く、新会員の定着率は芳しくなかった。このような状況で舵取りを任された身としては、まずは会員増強を計画するべきだったかも知れない。しかし私の方針としては、まずクラブの地固めを先決したかった。

私が入会した頃の江戸クラブは対外行事やレク活動も多く、また社教館との関係もそれなりに連携が取れていた。それが徐々にマンネリ化していたのは、一つにはクラブの質が落ちたからとも言えた。質の低下というか変化は人に起因するもので、メンバーが入れ替われば雰囲気が変わるのは致し方ない。そこで新たな流れを作るか現状維持とするか、消極的になるか積極的になるかで、次の展開が変わってくる。私はとにかく昔できていて今できていないことはきちんとやるということを心がけようと思った。それは合同例会の実施、レク活動の復活、社教館祭りへの参加など、ごく当たり前のことへの取り組みである。特に注力したかったのが社教館祭りへの参加で、千駄ヶ谷という地域へのアピールという身近な所からの広報活動に力を入れようと思っていた。

活動計画とは別にクラブの財源である会費についても見直しを図った。この頃は1ドルが140円の時代だったがクラブの財政にはまだ余裕があった。前年度に半年4800円へと引き下げたばかりだったが、会計の立場からみてつり銭の準備などに手間が掛かるなどの理由から、半年5000円という切りの良い金額に改めた。入会金は3000円のまま、重籍会員については半年4000円という金額を設定した。この時口座をシティバンクにするのはどうかという案が出たが、口座維持費が掛かるとの理由で却下された。

かくしてこの後、さくら、武蔵、2クラブへの参加、そして社教館祭りの実行委員会への参加なども待ち受ける前途多難な日々が幕を開けた。
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by inv-pyramid | 2007-06-08 00:00 | 1998年

[江戸編] 日本語クラブのDNA

話が前後するが、6月9日、千駄ヶ谷社教館にて江戸クラブの引継ぎの役員会が行われた。最近の通例なら何処かの飲食店で行うのだろうが、この時は話に集中したいということで、役員会のために社教館を押さえた。議題としては、各役員の役割確認、年間スケジュールの策定、会場の確保、予算、広報計画等、引継ぎ会で交わされる話題が主であった。

江戸クラブが緩やかな下降線を辿っていることは前にも述べたが、今年度も次年度も役員数は6名で、7名には一人足りないという状況がそれを裏付けていた。この時期の会員数は21名で、内休会者は2名。毎回の例会出席者は10名前後といった所で、盛り上がりは今一つだった。この年まで江戸クラブを牽引していた大嶋R氏もJTCガバナー就任ということで、クラブ役員も幾分若返り、私を中心として比較的同年代の会員で構成された役員会となった。それは創立以来続いていた江戸クラブの一つの系譜が終わりを告げ、日本語クラブのDNAが引き継がれた瞬間でもあった。

最近でこそ日本語クラブやバイリンガルのクラブが増えて、見学者のクラブ訪問の選択の幅も広がっているが、私がTMの門を叩いた頃は江戸とはましかなかったので、日本語クラブといえば江戸クラブのことであった。これは前にも書いた通りであるが、私が入会した頃の江戸クラブは例会の進行やクラブ運営なども比較的TM憲章に即したやり方で行われていた。だから江戸のやり方こそが正統であると信じて疑わないほど、そのやり方は体に染みついている。それは日本語クラブのDNAであると共に、TMのDNAでもあると言えた。であるからこそ、未だに一部で「だから日本語クラブは○○なんだ」と言われるのを聞くのは堪えがたい。日本語クラブの矜持を保つためにも、日本語のクラブは日本語へのこだわり、そしてTMのやり方を遵守するということをもっと肝に銘じて活動に励むことが望まれる、と思う。
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by inv-pyramid | 2007-06-07 01:29 | 1998年

[番外編] あすへの話題

6月23日の日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」にある記事が寄せられた。そのものズバリの「トーストマスターズ」なる題名の記事は、キッコーマン社長茂木氏によるもので、氏が米国滞在中にTMに参加されていた時の思い出が綴られていた。

少し抜粋すると、「1960年代前後、米国のコロンビア大学ビジネススクールに留学中、私はトーストマスターズクラブに参加していた。トーストマスターとは、司会者とか乾杯の音頭を取る人という意味だが、この会はスピーチとプレゼンテーションの仕方を勉強するための集まりだった。(中略)アメリカではビジネスマンになろうという人たちの間でスピーチやプレゼンテーションの仕方についての関心が強いように思われる。なぜならば、それがビジネスを展開する際に非常に大切だからだ。(中略)わが国においてもトーストマスターズクラブはある。しかしまだ一部の人たちが参加している状況であるようだ。学生やビジネスマンの勉強のために、このような集まりがもう少し普及してもよいように思える」といった内容で、TMに関してとても端的にわかりやすく説明されている。何より経済紙上での経済界トップによる述懐というのが非常に説得力があり、TM関係者の間では大きな反響を呼んだ。もちろん一般の方で興味を持たれた方も多く、この記事をみて新聞社に電話をかけ、TMのことを調べて例会に見学に来られた方もいた。

私は日経紙は読んでいないので、こういう記事が載ったということを聞いてから後で図書館でこの記事を読んだクチである。2007年現在でもまだまだTMの知名度は低い。この活動をもっと広く知らしめるには、クラブ例会の広報などとは別に、このような著名人によるPRがもっと必要だと思う。そのような意味からも、この記事の掲載は日本のTM史上画期的なことであった。
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by inv-pyramid | 2007-06-02 13:48 | 1998年