人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[江戸編] 除名という局面

以前にも書いたことだが、トーストマスターズは会員制のクラブである。そして会員権については国際本部が定めた「トーストマスターズ憲章」にこと細かく定められている。会員のみならず、役員でもこの内容を正確に把握している人は少ないのではないだろうか。それは一つには普段目にすることがないためもあるかも知れない。何故なら、この憲章はクラブ設立時に本部から送られてくるのみで、以降クラブで書記なりがきちんと保管していない限り、存在すら知らないということにもなりかねないからだ。おまけに英語である。日本語クラブの会員にとっては、存在は知っていても読まないということもあるだろう。私も自分でクラブを立ち上げるまでは恥ずかしながら知らなかった。つまりクラブで、この憲章に対する情報を伝えることを継続して来なかったということである。

この憲章の中で、会員権、特に除名に関しては次のとおり書かれている。

「 Sec.7. 第7項 会費を支払わない、欠席数がある程度以上、あるいはクラブや国際トーストマスターズの定める最低基準を満たさない会員を、クラブは随時、除籍することができる。さらに、(a)クラブの目的に沿わない(b)クラブの活動やプログラムに積極的に貢献しない(c)クラブや国際トーストマスターズが設けた行動規範に反する行為を行った(d)他の適切な理由により、クラブは除名、停止、または会員権の更新を拒否することができる。この規範は国際トーストマスターズ理事会が定め、周知した倫理的、政治的、他の規範を含む。クラブは国際トーストマスターズが定める手続きに従い除名、停止、懲罰を行うことができる。国際トーストマスターズの行動規範に反する会員をクラブが除名せず、国際会長が書面にて要求しても理事会の満足する行動が得られなか
った場合には、国際トーストマスターズはそのクラブを除名することがある。」

最近でも某クラブで除名騒動があったばかりだが、会員のみならずクラブの除名すらも謳っているこの憲章の存在を我々はもっと意識する必要がある。でなければ実際にこれを適用する局面で右往左往することになるだろう。過去には実際に除名になった会員もある。ただその適用については慎重に対応しなければならないとも思う。

間中氏の件ではクラブ内が除名派と擁護派に分かれた。私は擁護派だった。確かにゲストへに対しては一部不適切な内容を含んでいたかも知れないが、それは間中氏にとってもゲストにしても予期せぬ出来事で、除名までする必要はないと思ったからだ。もとよりこのような騒動でクラブの雰囲気がさらに悪くなることを懸念していた。最終的には間中氏から大嶋R氏に対して侘びを入れることで決着がついたが、間中氏はその後消えるように退会した。この頃も既に不定期参加状態だったので、この問題が原因とは思えなかったが後味は悪かった。そしてこの2年後に同様の事件が今度はコンテストスピーチで発生し、大嶋R氏の怒りが再び爆発、完全退会となる。

まさに歴史は繰り返す。過去の教訓は活きないのか。トーストマスターズとは何か。スピーチの上手さを競うばかりでは何の進歩も発展もない、ということに尽きる。上級マニュアルの一つに「対人関係のコミュニケーション」があるが、スピーチを通してこれを学ぶことこそが、TMに参加する意義だと思う。
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by inv-pyramid | 2007-02-25 09:11 | 1998年

[江戸編] 弱者権力事件

3月3日のひな祭りの日に行われた第202回例会は忘れられない。その後の江戸の命運を左右したとも言ってよい一つの事件が起こったからだ。

この日は大嶋R氏が連れて来られた韓国人ゲストが2名いた。今夜のトーストマスターは当時の江戸クラブ最年少の武田氏。やや甘えた感じの独特の話し方で、例会は順調に進行した。さくらクラブにも所属していた梶谷氏のテーブルトピックは7問にも及び、韓国人ゲストの方も指名された。ここまでは何の波乱もなかった。

スピーチは2名。最初の大川氏は例によってプレゼン調のスピーチ。2番目のスピーカー間中氏のスピーチの際に事件は起きた。間中氏のスピーチは基本#8説得力を持って話せの課題で、題が「弱者権力」。これは従軍慰安婦問題を例として、当時流行の漫画を引用しての弱者の権力というテーマを扱ったもの。話題そのものが極めて微妙な所であるのに、しかも韓国人ゲストの前で話すという状況が悪かった。内容としては決して差別的なものではなかったものの、それが韓国人の方の前でどう映ったか。日本と韓国の関係を考えれば、韓国人の前で話す話題ではなかった。特に1人は外交官であり、スピーチ終了後は怒りの表情を浮かべていた。とりあえず閉会までその韓国人ゲストの方は残っていたが、最後のゲストコメントで「間中さん、あなたという人は・・・」という言葉を発し、「2度と来ない」という言葉を残して足早に去っていった。2次会では当然その話が話題となったが、その韓国人ゲストを連れてきた大嶋R氏の立場がない。彼女の目には微かに光るものがあった。

後日、大嶋R氏より「3月3日ミーティングにおける間中氏のスピーチについて」というファクスが庄司会長他の役員の元へ届いた。内容は「標記の間中氏のスピーチ「弱者権力」はその配慮に欠けた内容がトーストマスターズのミーティングにおけるスピーチとして極めて不適切であり、事実出席メンバーに不快感を与えました。特に同席していた2名の韓国人ゲストには著しく不快、怒りの念を起こさせるもので、外交官であるゲストが激しく抗議したのも当然のことと言えます。このようなスピーチは、政治宗教のスピーチを避けるべきであるとするトーストマスターの理念はもとより、国際交流の常識から逸脱しており、放置することはできないと思います」という激しい抗議文で、役員会に対して間中氏の退会決議を求めると共に、役員会として抗議文を発行し間中氏に反省文を求めていた。これが実行されない場合は、例会への出席を拒否するということであった。

江戸クラブと韓国人のつながりは深く、孫氏や朴氏のような会員、入れ替わり立ち代り訪れたゲストの数は知れない。日韓友好の一つの場所として機能していたことは間違いない。それだけにこの事件は江戸クラブに深い影を落とした。
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by inv-pyramid | 2007-02-19 00:33 | 1998年

[東京BL編] 華麗なる例会

さて、前置きが長くなったが初参加の時の東京バイリンガルクラブ例会について少し振り返ってみたい。初参加の例会は英語が先で日本語が後だった。英語の部の司会はなんと大嶋T氏、そして英語スピーチに大嶋R氏の名前がクレジットされていた。大嶋夫妻の英語は今までに拝聴したことがなかったので、これは大いに楽しみであった。英語の部のもう一人のスピーチは電機メーカーで翻訳の仕事をされている久利氏で、ちょうど私の隣に座られていたので、例会前に色々とお話を伺った。この時のエピソードは後にコンテストスピーチのアイディアとなったが、久利氏は初対面の私に対してしきりと「eメールアドレスはお持ちですか」と尋ねてきた。その頃の私はパソコンから少し遠ざかっていた時期だったので、メールなどしたこともなかった。ちょっとした浦島太郎の気分であった。

スピーチに関しては日本人の2名に対して論評は共にカナダ人のアーバクル氏とマッキンタイア氏で、グラマリアンにはパイザー会長という豪華布陣で、英語でのTM初体験の私としては少なからずカルチャーショックを受けていた。続いての日本語の部ではさらなるサプライズで、なんと私が欠席の論評者に代わって論評をすることになった。ちなみに誰の代役かといえば、コンテスト常連の大学教授コール氏の代役だった。司会役の玉井氏は私を紹介する際に「ベテランの小原さん」と述べられたので、私もかなり緊張した。この猛者たちの前で論評に入るとは何たる不覚、もとい幸運かという所で私もいい論評をしようと思って言葉が滑ったりした。ちなみに私が論評した相手は東京バイリンガルには比較的少なかった若手日本人男性の福重氏であった。もう一人のスピーチはパイザー会長で、前日江戸で披露したスピーチ「ありがとう おばあちゃん」を再度行っていた。私は完全に東京バイリンガルの例会の雰囲気に呑まれていた。TMでこの様な体験をすることはこの後も何度かあるが、ただ人数が多いだけではなく、そこに参加している人の多様性による所が大きいと思う。

この回のゲストの中に、東京クラブの榊原氏がいた。後に江戸にも入会され会長も務められたヨーガ道場主である。東京バイリンガルクラブとの邂逅によって私のその後のTMライフが劇的に変わったのは間違いない。それ故この回こそはまさに記憶に留まる華麗なる例会であった。
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by inv-pyramid | 2007-02-10 01:25 | 1998年

[東京BL編] 黄金の日々(承前)

東京バイリンガルクラブの創立は以前も書いたが1993年である。したがって私が参加した時点で既に創立5年が経過していた。創立時のことはよく知らないが、東京クラブの有志が立ち上げたということは聞いている。江戸や関東と同じいきさつである。東京クラブは日本で2番目に古い由緒あるクラブで、1998年時点でもまだ関東におけるTMの中心クラブとしてその名を轟かせていた。その東京クラブとは後に合同例会を行うことになったが、親クラブと並んでもまったく遜色のない雰囲気が当時の東京バイリンガルにはあった。

私が参加した時点の東京バイリンガルには大きくわけて3つのグループがあった。まず外国人及び帰国子女を中心とした英語ネイティヴの面々。彼らこそは当時の東京バイリンガルの顔ともいえる集団で、やはり英語を扱うクラブとしては英語を普通にやり取りできる方々がいた方がゲストには受けがよかった。2つ目は若いビジネスウーマンのグループ。英語の勉強というのは働く若い女性たちにとっては必須のスキルなのだろうか、ネイティブグループとは負けず劣らずの勢力があった。そしてもう一つが純粋に英語を勉強したいという年配者のグループ。その熱意は前2者にひけをとらないものがあった。そのような個性派集団をまとめるのは至難の業にも思えたが、会長のパイザー氏は米国人らしい合理性で割り切ってやっているように私からは見えた。

時間に囚われないというアバウトさを除けば、会員のモチベーションも高く、スピーチのレベルも高い東京バイリンガルクラブに私はただ魅了されるだけであった。
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by inv-pyramid | 2007-02-09 00:40 | 1998年

[東京BL編] 黄金の日々

東京バイリンガルクラブほど浮き沈みの激しいクラブも珍しい。私が参加した頃が恐らく最高潮だったと思う。在籍期間は1年半ほどであったが、多くの素晴らしいメンバー、ユニークな人々との出会いがここでもあった。

1998年1月21日、水曜日。この日が東京バイリンガルに初めて参加した日であった。ちょうど前日に江戸例会があり、そこで東京バイリンガルのパイザー会長がスピーチをしに来ていたので、私も東京バイリンガルの例会に参加したい旨申し入れした。私は江戸に入会してここまでの間、他のクラブを訪問したことはない。であるからして英語もやっているクラブに参加することは意義のあることだった。大嶋夫妻が既に入会されていたこともあって、幾分緊張感も薄まった。

その頃、東京バイリンガルは日比谷のNTTの社屋を拠点としていた。これは会員の中にNTTの方がいたからである。毎回例会日に通用口の守衛室にクラブの名簿がおいてあり、この名簿で自分の名前をチェックして入館するのがこの頃の一つのルールであった。まだセキュリティ対策にも緩い時代ならではという気がする。

開始時刻は19時からで、2時間の内1時間が英語、もう1時間が日本語というやり方だった。ユニークなのは、ある日が英語が先の時は次の会は日本語が先といった具合に言語の順番が交互に入れ替わることである。司会者は英語、日本語それぞれの部で立てられ、例会の準備もそれぞれで行っていたので、2時間の中で2回の例会を行っている感があった。そのため最初の1時間の開始時刻が遅れたり、終了時刻が延びたりすると次の部に影響が出て、最終的な閉会はいつも21時30分頃になるのはざらであった。またプログラムには例会の通し番号や、プログラム進行上の各役割の時間などは明記されず、いい意味でも悪い意味でもアバウトさがあった。外国人の多いクラブというのはこんなものかな、というのが正直な実感であった。

それでも会が始まるとそれなりの緊張感に包まれたのは、やはり外国人や帰国子女のメンバーが多かったからだろう。言語のレベルは非常に高かった。英語単独のクラブと比べてもまったく遜色のないほど、当時はクラブに勢いがあった。まさに黄金の日々であった。
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by inv-pyramid | 2007-02-08 02:56 | 1998年

[江戸編] 200回の峠を越えて

先ごろ武蔵クラブが200回記念の例会を行ったばかりであるが、江戸クラブは1998年初頭に200回例会を迎えた。記録の上では2月3日の節分の時が200回になっているが、後日改めて確認し直した所では、1月20日の199回が200回であった。しかしここでは、200回記念として行われた節分例会を第200回としておきたい。なお現在までカウントされている回数はこの時修正されたものをベースとしているはずであるが、例会回数というものはどこかでずれが生じるものなので、必ずしも今の回数が正確とは限らない。

江戸クラブにおける200回は一つの節目で、正に峠であった。この頃の入会者は口コミ系が多く、そのほとんどは大嶋R氏が連れて来られた方々だった。例えば開発技術者の佐藤氏やコンサルタントの大川氏は企業家セミナーでの知り合い、武田氏は東京バイリンガルのパイザー会長の婚約者、など。ネクタイ姿の会社員の姿は減りつつあった。アットホームといえば聞こえはいいが、どこかこじんまりとした雰囲気があった。そして200回の前後にはいくつかポイントとなる出来事があった。

199回例会では、ゲストのパイザー会長が「ありがとう!おばあちゃん」という題で基本#10のスピーチをしている。これは婚約者である武田氏の実家を訪れた際のエピソードを披露したもので、スキンヘッドのパイザー氏が武田氏との婚姻の了承を得るまでを語ったのが微笑ましかった。続く200回例会では、同じく東京バイリンガルのマッキンタイア氏がJTC日本語担当教育副会長として挨拶に訪れた。この回では大嶋R氏も江戸クラブの歴史を披露された。15周年記念誌で私が作成した年表はこの時配布されたものをベースとしている。この回唯一のスピーチだった新会員大川氏のアイスブレーカーは「自立型企業とは何か」というプレゼンのようなスピーチで、およそ本来の基本#1の趣旨からはほど遠いものであった。

私が東京バイリンガルを初めて訪問したのは199回の後である。そして200回の後に一つの事件が起こった。
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by inv-pyramid | 2007-02-06 02:08 | 1998年

[江戸編] 遠き落日

さて、この年からは複数のクラブに参加することになるので、このブログも参加クラブごとに出来事を回想していくことを予めお断りしておきたい。

江戸クラブが低迷期に入る予兆は年末頃から既に感じていたが、1998年の年始からその思いはさらに強くなった。私が複数のクラブに参加してくことになるのもそれとは決して無関係ではない。といっても本当の落日を迎えることになるのはまだ先の話で、緩やかに下降線を辿っていく、というのが現状であった。

どういう部分にそのような予兆を感じたかといえば、たとえば会員の参加意識である。TMの理念を肌で感じるようになるには正直なところ時間がかかる。TMに先生はいないので、それを新入会員に感じて貰うには経験のある会員が態度でそれを示す必要がある。全員がそれをほぼ同じ様に感じている時はあまり問題はないが、バランスというのは崩れるものである。カリスマ的なベテラン会員が次々に退会の意向を示し始めたこの時期、そのバランスが崩れ始めた。新入会員にクラブに入って何をしたいか、プログラムをどの様に進めたいかを指導するのも重要なことであるが、TMを単なるスピーチクラブとしか思っていなかったり、生半可な理解で入会を決められた方が頓珍漢なアイスブレーカーをしたりするのを見た時は、不安を感じることもあった。私も既に経験豊かな会員の部類に入る方だったので、自分が不安を感じてしまうような雰囲気をクラブが醸し出し始めたのだとすれば、その責任の一端は私にもあると思う。ただ私も前述の通りスピーチを1年間もせず、自分の向かう方向を定めようとしていた時期だったので、自分自身が不安の虫を抱えていた。

この時期のカリスマ会員といえば大嶋R氏であるが、彼女も自分の新ビジネスを始めようとしていた時期で、江戸とのバランスの取り方が微妙になっていた。後にJTC初の日本語クラブ出身のガバナーとなる大嶋R氏だったが、その半年後にはついに退会することになる。一部会員の個人的な活躍は目立ったものの、それはクラブの隆盛とは無関係であった。
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by inv-pyramid | 2007-02-03 21:21 | 1998年

パラレルワールドとしてのトーストマスターズ

1998年は個人的にもターニングポイントとなる年であった。なぜならこの年は複数のクラブ、それも1つではなく3つのクラブに参加し始めたからである。4月に東京バイリンガル、8月に武蔵、そして10月にはさくらクラブに入会した。バイリンガル、日本語、英語とそれぞれ形態も参加層も異なるクラブに入会したことで、大いに刺激を受けた。入会の動機はそれぞれ異なったが、7月からは江戸の会長も引き受けるというのに、我ながら4つのクラブでの活動をよく始める気になったものだと思う。

ちなみに私がこれまでに参加したクラブを順に追っていくと、江戸(日本語)、東京バイリンガル(バイリンガル)、武蔵(日本語)、さくら(英語)、リーダーシップ(英語)、やまのて(バイリンガル)、響(日本語)、宇都宮(バイリンガル)、輝(日本語)という順になる。リーダーシップ以降はクラブ作りから関わっているクラブである。これらのクラブで平行して活動を行うということは、正直なところ容易な道のりではなかった。時間的にも、金銭的にも、精神的にも、肉体的にも、である。しかしそれらを差し置いてもTMに参加することで得た利益は何物にも代え難い。

この年は私にとって始めてのクラブ作りを武蔵で始めた年でもあるが、自分の世界を自分の手で広げていくという魅力というか魔力に憑りつかれた人間の物語はここから始まったといっても過言ではない。
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by inv-pyramid | 2007-02-03 20:29 | 1998年