人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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虚と実

1997年も半ばとなり、例年のごとく新旧役員の交代の時期が迫ってきた。この頃は毎回4,5人のゲスト参加があり、新会員も続々と入会し、スピーチもアイスブレーカー大会の様な状況になるなど見た目は活況であった。一方でメンバーチェンジも激しく、メンバーシップ的には入れ替えの時期にもあった。例会は定番のメニューをこなすのが精一杯で、特別な行事を挟む余裕はなかった。

そんな中で、会長は田辺氏から庄司氏にバトンタッチした。教育副会長には大嶋R氏が就任した。江戸クラブの大黒柱であり、90年代の江戸クラブのイメージキャラクター的な存在でもあった大嶋R氏のVPE就任は、クラブのテコ入れ的な意味合いもあった。私は会計を拝命した。この頃はまだ国際本部へのお金の支払いは国際郵便為替が主流であった。私にとっては初めての経験でわからないことも多く、前任者に一つ一つ確認しながら始めの内は作業をこなしていた。国際本部の事務処理はお国柄なのか割といい加減な面もあり、登録されたはずの会員の名前が、更新の際に本部から送られてくる名簿になかったりすることもままあった。私もその中の一人で、現在の名簿では1994年入会のところが1996年に入会したことになっている。

広報と会員担当は2名で兼務するという変則的な形になった。これはこの年に入会された池田氏と芦沢氏で対応することになった。池田氏は前述の通り画家でグラフィックデザイナーでもあり、この後クラブ会報はデザイン的にもカラフルなものが発行されるようになった。

傍からすれば活況を呈している様に見えていた江戸クラブであったが、内実はクラブの人間関係と運営を再構築している時期でもあった。
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by inv-pyramid | 2006-12-31 07:33 | 1997年

両刃の剣

4月15日の第186回例会で私はある新入会員の初スピーチ、アイスブレーカーの論評を受け持った。3月に入会されたばかりの会社員男性の三浦氏がその人で、題名が「何故トーストマスターに入ったか」。この題名でスピーチをされる方は割りと多い。アイスブレーカー自体が自己紹介スピーチなので、入会までのいきさつを語るのはある意味当然の流れでもある。

このスピーチに対する私の論評は、「自分の世界に引き込む」、「ムードメーカー的雰囲気がある」、「裏表のない話し方」といった褒めの部分と、「やや即興的」、「早口で会話が不明瞭になる部分がある」といった改善点の指摘を含んだものだった。私は今でも論評はあまり得意ではないが、その精神は理解していると思っている。この頃は当然のことながらまだ上手ではない。この頃の論評スタイルはマニュアルに書かれているポイントに沿って評するというもので、褒める、指摘する、褒めるといったサンドイッチ方式などは頭になかった。

この話には後日談がある。三浦氏はこの後江戸クラブに2度と顔を見せなかった。私の論評が三浦氏に嫌悪感を抱かせたのではないか、という人もいた。そう言われれば改善点の指摘が多かったかも知れない、とその時は思った。ちなみに三浦氏は私より10歳くらい年上の方であった。私は顔を見せなくなった三浦氏のことが気になったので、氏の家に電話をした。すると予想外の返事が氏の母親から返ってきて、家に姿を見せていないという。その姿を見せていないのがいつからなのかは聞かなかった。会社の連絡先などは知らなかったので、他に連絡の取りようがなかった。江戸の他の役員も連絡を入れたそうだが、同様の返事だったという。この問題は役員会でも取り上げられたが、真相は藪の中である。

後日私は別の方から見当違いの論評を受け心を痛めた。それは生涯忘れない体験となったが、同時にその方が反面教師ともなり、以降の私の論評の考え方に深く影響を与えている。論評のポイントは相手にやる気を出させることであり、前向きで建設的なことが基本である。そのためにまず褒め、改善点の指摘は最小に留め、最後は次につなぐコメントで締めるという手法が取られるのである。改善点が多かったり、最初から改善点を述べる論評はTMの論評の精神からは外れている。

我々は論評が両刃の剣となることをもっと肝に銘じなければならない。
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by inv-pyramid | 2006-12-23 21:39 | 1997年

世界の中心でIを叫んだけもの

3月の第184回例会では全日本スピーチコンテストのクラブ予選が行われた。エントリーは5名で、私は2回目の挑戦となった。審査員にはこの年3回目の江戸来訪となるブレックファストの清水氏や有楽町(現在のさくら)の青木氏など、英語クラブの面々を招待した。

表題はその時の私のスピーチ題名で、もちろん「セカチュー」からの拝借ではない。「セカチュー」のブームはまだまだ先の話で、「セカチュー」がその題名を拝借したSF「世界の中心で愛を叫んだけもの」からの引っ掛けである。人称代名詞を話のテーマとしていた。だから「愛」を「I」に変えている。英語では「I」で済む人称代名詞も、日本語では「私」「僕」「俺」「自分」など、話す相手やその時の感覚で微妙に変わるのが日本語の人称代名詞である。敬語の問題と絡めて、自分を主張するのにふさわしい一人称とは何か、というのが話の骨子であった。アイディアは前からあったものの、コンテストではぶっつけ本番だったので、構成が不出来といういつもの悪癖により3位にも入らなかった。この時の優勝は「ようこそドラマチックな世界へ」というスピーチをされた大嶋T氏で、2位が谷岡氏、3位が池田氏という具合であった。

一人称代名詞のテーマについてはその後も何度か形を変えて披露している。私にとっては自分の中で幾つかあるテーマの一つである。
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by inv-pyramid | 2006-12-17 23:22 | 1997年

来る者は拒まず

トーストマスターズの入会資格とは何か。それは18歳以上ということである。それ以外の要件は何もない。ということは基本的には「来る者は拒まず」でクラブの門を叩かれた方々をお迎えする必要がある。

レイサイド氏をお送りした次の例会以降は、また新たな入会者が増え始めた。人事異動の季節だからだろうか。カメラ業界大手C社の重役芦沢氏や三浦氏、少し前から見学に来られた藤野氏などの会社員の方々、高校教師の三村氏や常石氏、講師の谷沢氏などの教職員関係の方々などが3月から4月にかけて入会された新たな顔ぶれである。

トーストマスターズの参加者の職業の中で多いのが教職員関係者で、江戸クラブにもその系譜は私が入会した頃からあった。それがこの時期まとまってやってきたという所か。そしてやはりスピーチのクラブで話し言葉を上手に駆使できるようになりたい、という目的からか国語の教職員の方が目立った。常石氏などは毎回必ずスピーチの中に駄洒落を入れてくるほどで、またスピーチのテーマも最近の若者の話し言葉について、といった内容のものが多かった。

そしてこの時期の江戸クラブの参加者のもう一つの系譜が中国人、韓国人である。これは大嶋R氏や田辺氏などの日本語学校で日本語を教えている方が留学生を連れてくるケースや孫氏が大使館の関係者を連れてくるケースがほとんどといってよかった。もうこの頃になると私が入会した頃のメンバーだった佐藤、鹿野、山本氏や主だった女性会員も抜けていて、かなりのメンバーが入れ替わっていた。メンバーの半分以上が入れ替わるということは、人間関係をもう一度初めから作り直すということで、暫くの間上向き傾向にあった連帯感が少し弱まった感があった。
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by inv-pyramid | 2006-12-12 00:49 | 1997年

また会う日まで

前回に続く第182回例会は、貴重な外国人会員レイサイド氏のお別れ会となった。前回が旧友再会なら今回はまた会う日までということで、奇遇というほかはない。プログラムに「○○さんお別れミーティング」などと銘打たれていたのは、私が入会してからは初めてのことだった。この会はゲストがまた多く、ブレックファストの清水氏も駆けつけて来られた。またレイサイド氏の奥様も参加されていた。

レイサイド氏は某KO大学の講師で、当時は目黒の柿の木坂に住んでいた。自転車好きで都内の移動はほとんど自転車。江戸の例会にも自転車で来ていた。その冷静で落ち着きのある佇まいと、時折見せるユーモアこそはまさに英国人という感じがした。今回の退会理由は留学で単身渡欧するからということだった。

例会でのテーブルトピックはレイサイド氏に関することをテーマとし、またレイサイド氏のお別れスピーチには3名の論評者を割り当てた。スピーチは「カリッサ」という英国文学に関することで、独自の考察を述べられていた。基本#9知識を持って話せでのものだった。

留学期間は1年ということで、それが終わればまた日本に戻ってくるとのことだったので、その時はまた江戸に来てくれるものと思っていた。実際に再会したのは数年後のJTC役員研修会の席でのことで、ブレックファストの教育担当とのことだった。
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by inv-pyramid | 2006-12-10 00:19 | 1997年

旧友再会

2月4日の第181回江戸例会は、同窓会の雰囲気を帯びていた。なぜなら、江戸創生期のメンバーで現在は香港在住のタン氏が仕事の関係で来日し、江戸例会に参加されたからである。タン氏がゲスト参加されるということで、その当時の江戸OBにも召集がかかったらしく、2代目会長の飯牟礼氏やラズロ氏、高氏や、はまの田中夫妻などの古参会員が千駄ヶ谷に集合した。

タン氏は「香港について」という題でゲストスピーチもされ、この年の7月に中国への返還が迫っていた香港の最新事情について、早口でまくし立てた。私はタン氏とは面識がなかったが、古参会員の方々と交わることで、昔の江戸クラブの雰囲気を感じ取ることができた。

ラズロ氏とは私がTMに参加するきっかけともなったSPEAK!での活動以来の再会で、相変わらず何をやっているのかわからない感があった。初対面の頃は自称美術家とのことで、私も何度か彼の実像に迫ろうと彼の故郷ハンガリーまで足を伸ばしたこともあったが、結局何もわからなかった。彼がISSHOというプロジェクトを新たに立ち上げ、新宿で芝居上演をした時も手伝いに参加したこともある。しかしその運営を巡っては、内部で対立もあったりと色々と問題を抱えていたりもした。久しぶりの再会ではそんな過去の感傷は湧いてこなかった。彼が唱え続けていた、「日本語を母語としない外国人が日本語でコミュニケーションを取る」という理念には共感している。現在のラズロ夫妻の活躍ぶりは衆知の通りである。

2次会は当然の盛り上がりとなった。江戸のように創立期と現在の活動との間に断絶があるクラブでは、時折訪れるOBとの懇談で当時の事情を伺い知ることは重要なことである。私も可能な限り追跡して行きたいと思っている。
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by inv-pyramid | 2006-12-03 10:01 | 1997年