人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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端境期

1997年という年はある意味、端境期のような年であった。ちょうど前年までの女性会員ラッシュの時期から落ち着いて、翌年からの非会社員系の人たちを中心としたメンバー構成になる時期の間という意味で。この頃の江戸クラブは割りと常識人の集まりであったように思う。

1月には田辺会長の学友である池田氏の加入がまずあった。池田氏はこれ以降の江戸クラブには欠かせない人材となる方で、画家という職業柄か入会時から異彩を放っていた。同時期に入会された尾崎氏も双子の姉妹がいたり山が趣味であったりとユニークな方だった。

1月2回目の例会ではブレックファストクラブの清水氏が友人の藤野氏を伴って参加された。清水氏は例会の間中トーストマスターズという言葉は一言も発しなかったので、最初はブレックファストクラブというのがトーストマスターズだとは思いも寄らず、その頃流行っていた朝食会の一つかと思っていた。私は2次会で思わず「ブレックファストってTMなんですか」と的外れな質問をしていた。もちろんブレックファストはれっきとしたTMで、その頃は日本で唯一朝例会を行っている英語クラブだった。最近の秋季大会英語の部で講演されたバーンサイド氏もブレックファストのメンバーである。レイサイド氏がブレックファストのメンバーでもあったので、江戸クラブに来られたようであった。藤野氏は後に江戸へ入会された。
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by inv-pyramid | 2006-11-29 00:40 | 1997年

1997年、消費税5%時代の到来と共に...

1997年はあの酒鬼薔薇事件のあった年である。この頃からだろうか、少年犯罪が顕著になり始めた年は。少年法がクローズアップされ、類似の事件も多発し始めた。一方で消費税が3%から5%にアップし、山一證券が倒産したのもこの年である。世紀末という言葉が走り始め、暗い世相を背景にトーストマスターズの活動も続けなければならなかった。

江戸クラブはといえば、しばらくはメンバー構成、例会プログラム等、膠着状態が続いていたが、1月末からまたゲストが増え始め、毎回5、6人のゲスト参加があった。女性会員は減少し、代わって男性会社員の姿が目立ち始めた。TMの年度代わりからは明らかなメンバー構成の変化が訪れ、会の雰囲気もまた変わり始めた。

個人的には新年度から会計を担当し、TMのシステムが見え始めた年であった。
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by inv-pyramid | 2006-11-26 21:06 | 1997年

雌伏の時

1996年後半、トースト年度としては前半となるこの時期、個人的には新生活をスタートさせて至福の日々だったが、江戸クラブには目立った動きはなく、懇親イベントなどが行われることもなく、今ひとつ盛り上がりに欠けた例会が続いていた。雌伏の時であった。

クラブの魅力的なプログラム作りの中心となるのは教育担当副会長である。当時の教育担当は営業の仕事をされていた庄司氏で、忙しい最中例会計画を立てておられたが、毎回型通りに終始していた感は否めなかった。現在の様にトーストマスターズのシステムに関する情報交換の機会も少ない中では、何らかのアドバイスなしでは教育プログラムも単調になりがちで、一部のベテランに寄りかかり過ぎのきらいもあった。

その年の暮れになり、恒例のクリスマスミーティングが近づいてきた。田辺会長からは私にある指令が下った。それは恒例の持ち寄りプレゼントの交換は止めて何か他の工夫をして欲しいというものだった。曰く、500円程度の(しょぼい)プレゼントを交換して何の面白みがあるのか、というこの人独特の視点でのご意見で、私はこの指示に従った。特に反対する理由もなかった。私が考えたのは、会費で3種類程度の景品(文具)を購入し、それをくじ引き形式の全員指名テーブルトピックで、指名された人にくじを引いて貰ってその番号と一致した番号の景品をトピック終了後に差し上げるというものだった。ちなみに文具の購入先は銀座の伊東屋で、直前の日曜に外出した際に買い求めた。クリスマスミーティング自体は5名のゲスト参加があり、翌年から会員になった方も何人かおられた。

振り返れば1996年は個人的に目まぐるしい変化が訪れた年で、江戸クラブに対する印象は薄い。基本マニュアルが修了して新たな目標を模索する必要にも迫られていた。
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by inv-pyramid | 2006-11-19 00:13 | 1996年

人として

1996年はトースト婚のみならず、結婚された方の多い年で、江戸クラブでもW田辺氏、レイサイド氏などの結婚が相次いだ。ライフステージの変化はトーストマスターへの参加状況にそのまま反映され、メンバー構成にも著しい移り変わりがあった。とりわけあれほど懸念された女性会員の躍進が減少に転じたことは、江戸クラブの華やかな雰囲気の終焉を予感させた。

個人的には11月の第176回例会で、ようやく基本#10の聴衆を感動させよの課題に辿り着いた。「人として」という題がその時のスピーチで、人との出会いと別れを同名の曲に照らし合わせて綴ってみた。ほぼ3ヶ月に1度のペースでのスピーチで、入会して2年半程度での基本マニュアル修了は、割と平均的なペースだと思う。

もっとも10回終わったからといって特別な感慨はなく、CTMの申請もこの後しばらく保留にしていた。それは周囲にCTMとして上級スピーチを行っていた人が大嶋R氏ぐらいで、上級マニュアルの面白さやTMのシステムについての理解度が現在ほど浸透していなかったこともあると思う。江戸クラブもこの頃はまだ創立8年で比較的若いクラブだったのだ。ほとんどのメンバーが数年間しか在籍せず、スピーチを10回終えるか終えないかで退会していく状況では、そこに次のステップを見出すのは難しいことだった。
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by inv-pyramid | 2006-11-13 01:24 | 1996年

所謂トースト婚について

1996年前後はクラブ内結婚、所謂トースト婚の多い年であった。曰く、横浜クラブ1組、はまクラブ1組、そして江戸クラブ1組である。江戸クラブの1組というのは私のことで、9月28日に挙式を行った。他の人の挙式スケジュールを縫うような格好で日取りを決めたので、披露宴は親戚関係と友人関係で分けた。人によっては電撃婚のように思ったことだろう。それまでクラブ内では一言もその話題には触れなかったから。友人関係の披露宴には、当時在籍していた江戸クラブのメンバーは全て招待した。司会は大嶋夫妻。内容もテーブルトピックなどを盛り込み、さながらトーストマスターの例会のような宴になってしまった。

トーストマスターズという一つのクラブの中で知りあって結婚するというのは、本人同士が意気投合しているなら自然な流れだと思う。職場結婚などと同じ流れである。強いて言えばトーストマスターの場合はスピーチを通してお互いに人となりを知ることができることが大きなポイントではないだろうか。

ちなみに江戸クラブではこの時点までに3組のカップルが成立していた。最近では、響クラブ、徳島クラブなどでの例がある。またクラブ間結婚の例としては、リーダーシップと東西の人同士でのゴールインなどの話も聞く。いずれにしても、ここまで漕ぎ着けるにはどこかで一歩を踏み出す必要はあるだろう。それはトーストマスターズで培われた技術を実践する場であるかも知れない。いつの時代でもそれが恋愛の基本なのだから。
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by inv-pyramid | 2006-11-06 12:54 | 1996年