人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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黒船の襲来

8月6日の第169回例会では、東京バイリンガルクラブから3名のゲストがやってきた。身長2mはあろうかという大男のマッキンタイア氏、バイリンガルクラブの牽引役的存在の町田氏、JTCで会計を務められた節田氏という錚々たるメンバーの来訪は、さながら幕末に江戸を訪れた黒船のようだった。実際に東京バイリンガルのメンバーが江戸を訪れたのは今回が初めてで、少し活動が停滞気味の江戸クラブにとってはいいカンフル剤となった。

この日は他にもJTCガバナーの富田氏や東西クラブの矢浪氏もゲスト参加されていた。富田氏はゲストスピーチ、マッキンタイア氏はゲスト論評、町田氏は文法チェッカーを飛び入りで担当された。特に町田氏の文法チェックは圧巻で、まさに微に入り細に入りといった感じでこと細かくチェックされていた。彼女の手法は以後江戸クラブのスタンダードとなった。この日のベストパフォーマーに選ばれたのも納得であった。

続く9月の例会では論評コンテストが行われたが、この日はまたしても東京バイリンガルクラブから河原崎氏がモデルスピーカーとしてやってきた。河原崎氏はつい最近の代々木での全日本スピーチコンテスト英語の部でも2位入賞の実力派で、この日は「難しい選択」という安楽死の問題を扱った題のスピーチを披露。優勝は大嶋T氏だった。

東京バイリンガルクラブという手強い存在の実力をまざまざと見せ付けられて、江戸クラブの夏の陣は終わった。
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by inv-pyramid | 2006-10-29 21:53 | 1996年

束の間の安息

7月に入って新年度。新たな会長として田辺氏が就任した。教育副会長に庄司氏、メンバーシップ(会員)副会長には私が選ばれた。年間目標としてはまたもやディベートコンテストの開催運営が組み込まれ、さらに外国人獲得キャンペーンを行う、メンター制度を導入するなどの方針が定められた。

この頃の江戸クラブは女性会員の入会も落ち着き、メンバーにあまり変動もなく、毎回のゲストもちらほらといった程度で、一つの安定期に入っていた。この年の終わり頃からまたメンバーの入れ替わりが激しくなり始めたので、この時期は差し詰め「束の間の安息」とでもいえる状況だった。
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by inv-pyramid | 2006-10-28 00:42 | 1996年

東京バイリンガルクラブの台頭

この年の6月、恒例の江戸、はま合同例会が横浜産業貿易センターにて開催された。今回はここ最近台頭著しい東京バイリンガルクラブや名古屋からのメンバーを交えて賑やかに行われた。

東京バイリンガルクラブは1993年に設立されたクラブで、1回の例会の枠の中で日本語と英語の例会を1時間ずつ行うというスタイルを取っていた。日英のバイリンガルクラブといえば名古屋が老舗だが、こちらは月2回の例会の内1回が日本語、もう1回が英語というスタイルで、2時間の例会を日本語と英語の2つに分けるというやり方は東京バイリンガルが初めてだった。このやり方は現在のやまのて、大和バイリンガルが継承している。

江戸やはまとは当初は交流がなかったが、JTCでの活動を通じて相互の交流が活発になり、今回の合同例会につながった。日本語を扱うトーストマスターズとしては当時最も勢いのあったクラブで、我々も大いに刺激を受けた。

この合同例会で私は「ワーカホリック症候群」なる題で基本#8説得力を持って話せの課題に取り組んだ。20代の頃のハードワーク体験を同僚の過労死に直面した時に感じたことなどを織り交ぜて話したが、内容が重すぎたのか場内が静まり返っていた記憶がある。この時の論評は名古屋の大御所の山中氏。私が尊敬するTMメンバーの一人で、ディビジョンガバナーも務められ、初期の台湾との交流にも尽力された。この合同例会がその山中氏との記念すべき初顔合わせとなった。
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by inv-pyramid | 2006-10-27 21:01 | 1996年

復活の日

5月7日の第163回例会から江戸クラブに復帰した。その少し前に復帰する旨は伝えてあったので、復帰初日からスピーチをした。元々意見の食い違いで休会しただけで、TMの活動を否定したわけではない。ただ会場係としての職務を全うしなかったことで、若干の申し訳なさは感じていた。しかし復帰に際して、メンバーの誰からも私を非難する声は聞かれなかった。既に半年前のことで過去の出来事になっていた。会場係は新しく入会された谷岡氏が担当していた。日赤の学生さんで千駄ヶ谷近辺に住んでいることもあり、すんなりと決まったようだった。

この時点で私は基本マニュアルの#6までを終えていた。この日#7学んだ話術を駆使せよ、で披露したスピーチは「愛と就職の方程式」。私の遠距離恋愛体験を軸に、恋愛と就職の両方を成就させることの難しさ(?)と、そこから導き出された方程式(!)について面白おかしく話した。ベテランの大嶋R氏を差し置いてベストスピーカーに選ばれたこのスピーチは自分としても会心の出来で、以降形を変えながら持ちネタの一つになっている。

この時期は役員改選の時期だったが、備品管理のゴタゴタもあってか、一度は会場係を廃止する方向で話が進んでいた。しかし、その後立候補者があったので、最終的には全役員が揃った。私はメンバーシップ(会員担当)副会長を拝命する予定になっていた。
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by inv-pyramid | 2006-10-23 01:50 | 1996年

ほとぼりが冷めるまで

1996年初頭の江戸クラブは、会場係の私が休会したことで著しく混乱したらしい。野島会長からは何度か復帰を促す手紙が届いた。この時期は会社の繁忙期ということもあり、私はしばらく様子を見ることにした。

この間の江戸クラブはといえば、1月の例会では論評コンテストのクラブ予選が行われた。モデルスピーチには有楽町クラブ(現さくらクラブ)の児玉J氏が招待された。有楽町クラブは英語クラブで、児玉氏は何度か江戸の例会にゲスト参加されていた。

2月10日(土)はその本大会が横浜の産業貿易センター内の神奈川国際交流協会にて開催された。はまクラブの運営である。翌日は横浜駅前ジャストホールにて、江戸運営によるディベートワークショップ及びコンテストが開催された。前年に引き続きの運営で、当時はいかにディベートのイベント開催が重要な位置を占めていたかがよくわかる。この頃のディベートの推進役ははまクラブの田中氏で、教育関係団体で行われていたディベートの資料などを元に、ディベートの普及活動を行っていた。

そして4月には1年の締めくくりである全日本スピーチコンテストが熊本で開催された。江戸からの出場者は野島会長、審査員として大嶋R氏が参加された。優勝は東京バイリンガルクラブのジャンゼンバーグ氏で野島氏は3位だった。この頃は熊本でも毎年何がしかのコンテストが開催されていた。それは日本語クラブが全国でまだ7クラブで、持ち回りでコンテストを運営していたからだった。熊本でコンテストが開催されなくなって既に数年が立つ。寂しい限りである。
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by inv-pyramid | 2006-10-22 23:07 | 1996年

1996年、トンネルを抜けるとそこは...

1996年はアトランタオリンピックが開催された年である。日本がブラジルを1-0で破ったマイアミの奇跡はまだ記憶に新しい。マラソン有森選手の「自分で自分を褒めてあげたい」というフレーズはトーストマスターでもよく使われた。

私はといえば半分は自分の身勝手な理由で休会中の身だったが、一方では自分にとってもこの1995年後半から1996年にかけての年は色々と記念すべきことがあった年で、自分の人生の中での一つの節目ともなった。

その一つは自分の趣味として取り組んでいた日本百名山を完登したことである。最近では色々と問題が取り沙汰される百名山ではあるが、百の山を登ったことで日本の風土を自分なりに感じ取ることができたことは、自分が生きた証として小さくはなかった。そしてもう一つはこれからの生きる証として人生の伴侶を得たことである。トーストマスターズの活動の中で。自分の中で何かが終わり、何かが始まった年がこの年だった。
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by inv-pyramid | 2006-10-19 12:53 | 1996年

暗転は突然に

11月の最初の例会を欠席した。荷物は他の人に預けることになった。その例会が終わった後の荷物はどうなったか。聞けばらむろに預けてあるという。マスターとの交渉で今後はらむろで預かってもらえることになった、というのが野島会長、大嶋副会長の話だった。これが暗転の始まりだった。

その次の例会が始まる前、私はらむろへ荷物を受け取りに行った。マスターに事情を話すと、少し訝しげに私を見て、トーストグッズの入った鞄を店の奥のロッカーから取り出してきた。私が「今度からこちらで荷物を預かって頂けるという話らしいのですが」と尋ねると、マスターはそんな話は知らない様子だった。話が通っていなかったのだ。或いは野島、大嶋氏らが話を都合よく解釈したのかも知れなかった。よくある話だ。

例会が終わって2次会となり再びらむろへ行くと、今度はマスターと野島氏らの話が通じたらしく、マスターは先ほどとは打って変わって愛想の良い顔を私に見せてきた。その態度に不信感を持った私は、野島氏らと荷物の管理方法を巡って話し合ったが、らむろに預かってもらうという態度に賛同できなかった私は12月の例会からの不参加を決めた。事実上の休会である。

会場にロッカーなどの設備のないクラブでは、荷物の持ち運びを巡ってのトラブルが生じるケースがある、ということを前にも述べた。江戸の場合、私以前の会場係が会場の近くに会社や自宅があったこともあり、荷物の持ち運びを特定の人に任せることができたので、そのような問題が表面化することがなかったのかも知れない。しかしそんなに自分で運ぶのがいやなのだろうか。他の人に荷物管理のことにもっと目を向けて欲しかった気持ちも無きにしも非ずで、私の休会は翌年4月まで続いた。

あまり思い出したくない事柄ではあるが、クラブ経営という点から一筆啓上しておく意義はあると思う。若かりし日々の一つの思い出である。
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by inv-pyramid | 2006-10-18 00:12 | 1995年

いざ、鎌倉ハイキング

10月15日の日曜には恒例のハイキング企画が行われた。今回は鎌倉で、留学生に日本語を教えている田辺氏の教え子さんたちとの合同ということになった。鎌倉散策というのはトーストマスターのイベントでは割と定番で、他のクラブでも時々行われていた。海外からのゲストを呼んだときも連れて行く先はたいてい鎌倉である。

コースは大仏から銭洗い弁天、源氏山公園で昼食、化粧坂を下って鶴岡八幡宮から報国寺へと至るもので、私の趣味で主に鎌倉の山側を歩いた。間中氏のガールフレンドの参加もあり、色々なメンバーが参加してにぎやかな会となった。晴天にも恵まれ、最後に報国寺の竹やぶを眺めながらお茶をいただくひと時は、日ごろの例会では味わえない雰囲気を醸し出していた。

私の周辺では最近はあまりアウトドア企画が見られないが、たまには青空の下に集うのもいいのではないだろうか。
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by inv-pyramid | 2006-10-15 09:52 | 1995年

江戸クラブのキャッチフレーズ

9月19日の第150回例会は、150回記念例会ということでプログラムも特別編成となった。50回、100回という回数は、何周年記念という区切りと合わせて区切りのよさから記念行事などが行われやすいものである。最近の例では、やまのてクラブが来年早々100回、武蔵クラブが200回を迎える。まあそれにかこつけて飲みたいという輩の方が多いのかも知れない。

150回記念例会では、3人一組のリレー形式のテーブルトピックがまず行われた。これは一つの出題を一人1分の持ち時間で3人でつないでいくもので、最初と最後で話の辻褄をいかに合わせるかが焦点となる。もちろん辻褄の合わなさを楽しむという向きもあると思う。記念会向けの趣向である。

もう一つの趣向が、上級マニュアル討論の司会進行#1「セミナー方式の討論」でのグループディスカッション。テーマが「江戸クラブのキャッチフレーズ」ということで、3人一組のグループをいくつか作って、キャッチフレーズのアイディアを出すというもので、この頃の世相を反映してか、前回ゲスト参加のマクレナン氏らによる「あなたもビル・クリントンになれる」などのユニークなフレーズも出された。ベストキャッチフレーズには「インターネットより熱いネットワークを江戸トーストマスターズに」が選ばれた。コミュニケーション不全症候群などが叫ばれていた世相もあるだろうが、現代にも通じるキャッチフレーズだと思う。口頭でのコミュニケーション、これこそがやはり普遍的な人と人との交流に欠かせないものであり、それが実感できる場がトーストマスターズであるということだ。

ちなみにこの会では、江戸創立期のメンバーだった韓国大使館の孫氏が顔を見せられた。インドネシアから日本にまた赴任先が変わったということで、江戸クラブに再びカムバックしたいということだった。
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by inv-pyramid | 2006-10-09 11:00 | 1995年

ひらがなタイムスがやってきた

9月5日の第149回例会では久しぶりの雑誌取材として、ひらがなタイムスの記者の方の来訪があった。ひらがなタイムスは在日外国人向けの情報誌で、記事は日本語と英語のバイリンガル表記、しかも日本語の漢字部分にはひらがなのルビがふってあるというユニークな雑誌である。ひらがなタイムスには前にも一度江戸クラブの紹介記事が掲載されていたので、今回は2回目だった。

奇しくもこの日は小生が今夜のトーストマスターを務めていた。また2名の欧米系外国人のゲスト参加もあり、取材、特に撮影にはうってつけの格好になった。もちろん外国人会員獲得のためである。これより少し前にイギリス人の大学講師レイサイド氏の加入があり、クラブの外国人率を高めるために例会を盛り上げる機運が高まっていた。

私は別に外国人会員の多い少ないには特にこだわりはない。日本人だけのクラブでもいいと思っている。ただ外国人、特にアメリカ人からはやはりTM流のスピーチ術に関しては大いに学ぶべきところがあるとは思う。そして何より江戸クラブの創立時は外国人が中心だったこともあり、この頃のクラブの中には外国人に多く参加して欲しいという雰囲気もあったことは確かである。

ちなみにこの時の取材を元にした江戸クラブの紹介記事はこの年の12月号に掲載された。
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by inv-pyramid | 2006-10-05 23:23 | 1995年