人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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モツ鍋の記憶

晴れて江戸クラブに入会した私は、2次会にも参加するようになった。会社は当時から目黒だったので、例会の日は行きは行き易かったが、帰りは相模原だったので、2次会に参加すると深夜帰宅になってしまうため、2次会にはまだ不参加だった。

当時の流行は「モツ鍋」。現在のもみじ茶屋と猪八戒の中間あたりの地下に「らむろ」というちょっと小洒落たモツ鍋レストランがあり、当時の江戸クラブの行きつけの2次会場だった。大嶋氏や朴氏などはもちろんマスターと顔馴染みで、いくつかの料理の後、モツ鍋で締めるのが、この頃の江戸クラブの2次会の流儀だった。

その後、モツ鍋ブームも下火となり、らむろもいつの間にか閉店していた。らむろなき後は、しばらくもみじ茶屋で2次会をしていた。ここはらむろが健在の頃もらむろが満員などの時の第2会場だったが、とにかく料理が出るのが遅く、メンバーの間では不評だった。

たまに社教館と代々木を結ぶ商店街通りの方へ繰り出すこともあり、地中海料理の「十番亭」やタイ料理店、イタリア料理店などで2次会をすることもあった。十番亭は一時期忘年会場としてよく利用していた。そうこうしている内に猪八戒が開店し、現在に至っている。
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by inv-pyramid | 2006-07-23 22:07 | 1994年

梅雨に入会

雨の季節を待って、というわけではないが、3回ほど例会をパスして、6月の最初の例会で入会宣言、続く6月21日の第124回例会にて晴れて江戸クラブに入会した。折りしもトーストマスターズの年度終わりだったのだが、もちろんそんなことは知らない。

3回目の見学から入会まで間が空いたのは、単純にお金の問題だった。当時の入会金は3000円、会費は半年分前払いで6000円と現在と変わらない。物価も本部納入金も値上がりしているのに、10年以上も据え置き(実際は一時5000円に値下げしている)というのはひとえに千駄ヶ谷社教館が無料だからだが、それにしてもサラリーマンが1回でポンと出すには1万円弱という金額は大きい。これは価値観の問題だろうが、私には大金であり、そんなお金を出して入会してから先、コンスタントに続けられるかどうか微妙な心理が働いたのは確かである。現在の私からすれば全くの杞憂であるが、誰でも最初に入会を考えるときはそんなものではないだろうか、とも思う。

最古参メンバーの大嶋女史などは、もう来ないかと思っていたそうだ。まあ連続して見学に来ていた人間がぷつりと来なくなったのだから、それはそうだろう。今でも時々そういう人を見かける。江戸クラブの会長は大嶋氏から朴氏へとバトンタッチされようとしていた。
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by inv-pyramid | 2006-07-23 21:42 | 1994年

3度目の正直

1994年4月5日。3回目の例会見学は、3度目の正直で今度こそ通常例会だった。第120回である。この頃はまだパソコンやワープロなどはそれほど普及しておらず、手書きのプログラムも結構多かった。それが段々と文書のワープロ化が進んでくると、時には手書きのプログラムはけしからん、と仰る御仁も出てくる有様で、10年ほどしか違わないのに、今の世とは隔世の感すらある。

プログラムの進行は、トーストマスターズの標準通り、テーブルトピック、スピーチ、論評、という流れだったが、今夜のちょっといい話がなんと総合論評の後に行われていた。ちょっといい話は例会の最初の方で会の堅い雰囲気を和ませるために行われるショートスピーチ、というのが定説になっている現在からするとかなり違和感があるかも知れない。しかし当時の私には初めて触れるトーストマスターズの通常プログラムであり、こんなものなのかな、と思うしかなかった。当時会長だった大嶋氏が基本マニュアル#8説得力を持って話せで、「日本語スピーチに必要性はあるのか」というスピーチをされていたのが興味深い。

この頃はゲストは3回まで見学が許されることになっていた。3度目の正直で入会するか否かを決めるわけである。私の腹は決まっていた。しかし入会するにはもう少し時間が必要だった。
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by inv-pyramid | 2006-07-04 23:08 | 1994年