人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

カテゴリ:1999年後半( 36 )

[武蔵編] 初めての忘年会

武蔵の忘年会は、江戸の前週の12月16日に行われた。こちらは第29回例会を別所公民館で行ってから、場所を移しての忘年会であった。会場はこの頃武蔵が2次会エリアとしていた武蔵浦和駅ビルのマーレ。2次会はその中のサイゼリヤで行うことが多かったが、この日は949という居酒屋にした。
b0108857_20333793.jpg

武蔵にとっては何事も初尽くしが多かったこの年だったが、忘年会の開催も初めてだった。前年はまだ人も少なく、忘年会と銘打つこともなかったからだ。例会参加者が全員そのまま流れて、10名ほどで和やかに行われた。写真を見返すとみな若い。懐かしさが込み上げてくる。
b0108857_2034192.jpg

現在のように新クラブが乱立気味の状態では、一つ一つの感動も薄くなりがちだが、まだ20世紀だったこの頃は、近隣のメンバーが協力し合ってみんなで立ち上げたという印象が強く残っている。特に武蔵の場合は私が立ち上げに関わった初めてのクラブでもあり、チャーターした年の最後に行われた初めての忘年会では、その余韻に浸るのみであった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-07-15 12:51 | 1999年後半

[江戸編] 小じんまりと忘年会

12月21日がこの年の最後の例会日で、恒例の忘年会を行った。場所は前年と同じ十番亭であった。前回がかなりどたキャンが多く、赤字となり懲りたので、今回は事前に会費を徴収した。この年の江戸クラブを象徴するかの如く、少人数の小じんまりとした忘年会となった。しかしその分一人一人とはゆっくりと話すことができた。
b0108857_20363387.jpg

参加者は男性2名、女性5名の計7名。この頃の会員の割合としては決して女性の方が多かったわけでなく、ただ男性の参加者が少なかったのである。そのため、十番亭の奥のテーブルの1画を占めるに留まった。ちょうどビデオテープスピーチコンテストのトロフィーが届いていたので、2位となった梶谷氏へのトロフィー授与で忘年会の始まりとなった。
b0108857_20371533.jpg

十番亭のチーフには今回も料理のみ3000円でお任せしますと伝えていた。何度か顔を出していたので私のことは覚えてくれていたようであった。パエリヤ等に舌鼓を打ちながら、テーブルトピックスによるプレゼント交換等を行って、大人しく歓談できたのはやはり女性が多かったからだろう。男性参加者のもう一人、榊原氏もお酒を飲まれないので、酒量も適度で予算内で済んだのが何よりであった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-07-14 23:44 | 1999年後半

[武蔵編] 例会でほっとする

台湾から帰国して江戸、さくらと続いた報告例会も、3日目の武蔵でようやく終わりとなった。武蔵の場合、会長代行も務めていたので外すわけにも行かなかったが、やはり郊外のクラブの良さだろうか、それとも3日目でようやく疲れが抜けたのか、ほっとする一時であった。今夜のトーストマスターがほのぼの系会員の今井氏であったのも、ほっとした要因の一つでもあった。トーストマスターズに必ずしも癒しを求めているわけではなかったが、この頃の武蔵にはリラックスできる雰囲気があったのはまず間違いなかった。

ちょうどテーブルトピックスが私の担当だったので、台湾の方々の熱烈な歓迎を受けて、礼状を出す、日本の土産などのテーマで出題した。台湾ツアーで同室だった近藤A氏も出席していたので、この日は台湾の話ばかりしていた。

しかし浮かれてばかりは入られなかった。チャーターを期にメンバーが微妙に入れ替わりつつあったからである。既にパイザー、スギモト、陳の各氏など、創立当初から参加していた外国人会員が順に抜け始め、日本人中心の会員構成になっていた。そのため梅本氏が当初掲げていた、「外国人への恩返し」というスローガンは薄れつつあった。来るべき新年に向けて、母国語でのスピーチクラブへの変貌が予感された。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-22 21:45 | 1999年後半

[さくら編] 疲れても例会

江戸クラブ例会の翌日がさくらクラブの例会であった。この週は、江戸、さくら、武蔵と例会が続いていた。台湾から帰ったばかりではあったが、土産の持参の他、今夜のトーストマスターでもあったので、疲れていても参加しないわけにはいかなかった。ただ訪台中は例会の準備などできなかったので、プログラムはメールの内容をそのままプリントアウトしただけで済ませた。

この回は久しぶりの有楽町例会で、人数も多く多数のゲスト参加があった。特に何の前触れもなく湘南クラブの大町氏が来られたのには驚いた。この頃はまだそれほど面識があるわけでもなく、挨拶をする程度だったが、台湾土産のピンバッジは会員、ゲスト関係なくその場にいた人全員に渡したので、大町氏にも差し上げた所、"Thank you" と返事を頂いた。大町氏はこの頃はJTCの書記で、児玉氏がエリアガバナーをされていたので、児玉氏に用事があるようだった。

例会のテーマは台湾レポートのつもりだったが、今回の台湾訪問自体が日本語クラブ中心での企画だったので、私が台湾の話をしても、そんな企画があったの、という感じで少々拍子抜けした。日台交流自体がまだ黎明期であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-22 21:05 | 1999年後半

[江戸編] 女神降臨

台湾編にかなり時間を割いたが、帰国後の最初の例会はやはりホームクラブでということで、12月7日の江戸クラブ第240回例会が帰国後の初例会となった。もちろんお土産持参なのは言うまでもない。台湾土産として最も一般的なのはパイナップルケーキであろう。ご他聞にもれず、それプラス故宮で買ったピンバッジを持っていった。また太平洋クラブと成功クラブからそれぞれ台湾オリジナルのミニバナーを頂いたが、その一つを江戸クラブ用に進呈した。恐らく現在も備品ケースの中に残っているはずである。台湾の方々はオリジナルグッズを作るのがお好きなようであった。また訪問した先々で色々なお土産を頂いたので、それを分配するのが一苦労でもあった。

さて前にも述べた通り、台湾出発の前に江戸クラブでは会長交代劇が勃発し、12月の例会から創立当時より江戸クラブの看板女優だった大嶋R氏が会長に返り咲いた。一旦退会された方が復帰早々会長に就任という例は、私の知る限りこの一例しかない。大嶋R氏自身も会長職は3度目であり、やはり江戸にはこの人が欠かせないというのが、この頃の江戸会員の共通認識であった。

とはいっても大嶋R氏が返り咲いたからといって参加者が直ぐに増えるわけでもなく、この日は会員のみ7名の参加者で行われた。特記事項があるとすれば、この頃入会された小俣Y氏がアイスブレーカーをされたことだろう。「自己紹介」という題名のスピーチは、「輝けない自分」が「最終的な目的地に達するような満足感」をここで得たい、といったように控え目な印象であった。ちょうどこの回は私が文法チェッカーをしていたので、このような小俣語録を色々と記録していた。例会には来たり来なかったりで、しばらくして消えるように音沙汰がなくなったが、最近はまた復帰されたようで嬉しい限りである。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-20 02:02 | 1999年後半

[台湾編] 故宮に寄り、帰途へ・12月6日

台湾のトーストマスターズ訪問の日程を全て終えた12月6日、帰途へと付く日にやっと観光だけに費やす時間が持てた。この日の予定はまず故宮へ行き、台北市内を少し回って空港へと移動することであった。朝食を終えるとまずは故宮へと出発した。

台湾の一番の観光名所といえばやはり故宮だろう。以前テレビの特番で視ただけで、訪れるのは初めてであった。正式名称は「國立故宮博物院」で、世界四大博物館の一つであるそうな。歴史的な背景とともに中国から移された美術品等の数々は、一度の訪問では見尽せないほどの点数だそうで、確かに2時間ほどではざっと眺めるだけで精一杯であった。

故宮の後は、中正紀念堂や忠烈祠などを観て回った。特に忠烈祠ではイギリスに倣ったと云われる衛兵の交代儀式が見られるとのことで、交代の時間になるまで待った。本場の衛兵は見たことがないので、こんな感じなのだろうと思いながら、ロボットの様に歩く衛兵たちの姿を見ていた。
b0108857_22311485.jpg

昼食の時間が近づいたので、市内へと戻りお約束の土産物店へ寄った。これもお約束のお茶の試飲コーナーでの実演販売。台湾観光には付き物であるが、この日の店員さんの話し方、お茶の淹れ方には引き付けられるものがあり、実演していた茶器が気に入ったので、同じものを買ってしまった。
b0108857_22313886.jpg

広い土産物店内では一同散開して好きなものを買っていたが、最後だけあってみな散財したようである。私も色々と買った。特に日本に帰って所属クラブの面々に渡せるものはないかと思った時に、色々な種類のピンバッジのセットがあったので、人数分買った。
b0108857_2232370.jpg

昼食の際、太平洋クラブの陳氏が見送りに来てくださり、一同で記念写真を撮った。ここでしばらく最後のひとときを楽しみ、また1時間弱の道のりで空港へと向かって名古屋と東京組に分かれて帰路に付いた。東京組が成田に着いたのは夜であった。大嶋R氏が空港まで迎えに来られていた。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-12 22:04 | 1999年後半

[台湾編] 終わりなき台北の夜・12月5日(その6)

桃園から台北まで、李氏と車の中でおしゃべりしながらホテルへ帰ってきた私であったが、ホテルのロビーである人物が待ち受けていた。台北のトーストマスターの頼氏であった。正確にいうと私を待っていたわけではなく、孔井氏と加藤氏を待っていたようだった。何でも前日の法螺吹きコンテストの際に、夜景見物に連れて行くという約束が成立していたらしく、ちょうどその場に居合わせた私も誘われた、というわけだった。

誘われれば付いて行くという姿勢の私としては、女性2人に同行することにした。頼氏は頂いた名刺によれば台北の経済紙の副主任ということで、我々の滞在先ホテルのすぐ近所に事務所があるらしく、そこまで歩いて行き、そこから車で夜景の見えるところへと移動した。

台北で夜景の綺麗なところといえば、圓山大飯店である。日本の統治時代からある古いホテルで、観光名所ともなっているところだ。中国風の建築物なのでそれほど高層ではないが、台北市内が一望でき、夜景が綺麗に見渡せた。内部の作りは荘厳と言っていいほどで、高い天井と朱を基調とした装飾に圧倒される。台北観光の際は外せない観光スポットなのだろう。
b0108857_735934.jpg

台湾最後の夜に思いがけない素敵な思い出を作って頂いた頼氏からは、帰国後丁重なお手紙とともに写真を送って頂いた。今ひとたび感謝の気持ちを表したい。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-11 02:04 | 1999年後半

[台湾編] 弾丸ツアー最後の晩餐会・12月5日(その5)

合同例会も幕を閉じ、台湾訪問弾丸ツアーもついに最後の晩餐となった。視聴教育中心(センター)の地下に大ホールがあり、ここが懇親会場となった。食事は手際よく幕の内弁当で、我々の参加費は無料とのことであった。丸テーブルに訪問団のメンバーがバラバラに座り、桃園の見知らぬ方々と同席することになった。成功クラブの雰囲気は、日本で言えばICF千葉クラブの雰囲気に近い。メンバーは夫婦や親子という方も多く、家族ぐるみで参加されているので暖かみが感じられた。私のテーブルにはメンバーでない、会員の方のご家族が同席されていて、最初事情がよくわからなかった私は、同席した全員に名刺を配った。今回用にトーストマスターズの名刺をたくさん作って持参していたのである。日本語がわからないようなので、成功クラブの方に私のことを紹介して頂いた。

宴たけなわとなった頃、訪問団メンバー一人一人の自己紹介を要求され、一人ずつ壇上に上がった。ここで驚いたのは三笠クラブのストロガノフ氏が「私はピーターです」と言って日本語で自己紹介されたことである。いつもはにかんだ印象を受ける控えめなストロガノフ氏は、この時まで一言も日本語を話さなかったので、流暢に自己紹介された時は一同唖然としていた。きっとこの時のために準備されていたのだろう。後で日本語上手ですね、と話しかけると少し照れた表情を見せた。

自己紹介の後はさらにカラオケならぬアカペラタイムとなり、大嶋団長の「鉄腕アトム」に始まって各自持ち芸を披露した。私も歌を歌ったが何を歌ったかはもう忘れた。最後は成功クラブ特製の赤い半被を着せられ、みんなで日本の踊りを踊ってお開きとなった。締めとして訪問団全員が壇上に上がり、代表として名古屋クラブ会長の孔井氏が表彰を受けた。
b0108857_2182398.jpg

台北への帰路は鉄道組とタクシー組に分かれた。私は鉄道で帰りたかったのだが、何となく自然な流れで車に誘導され、平和クラブの李氏の横に座って約1時間の道のりについた。この間、李氏は私に色々と日本語で話しかけてくれた。現在の自分の境遇やら、日本へ留学する予定など、後年、そして現在も続いている李氏との交流の中で、この時が最も李氏が心情を吐露された瞬間のような気がした。真実の瞬間であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-08 21:08 | 1999年後半

[台湾編] 文化の交流は地球村の実現・12月5日(その4)

本稿のタイトルは、合同例会で配布されたプログラムのヘッダーに書いてあったコピーである。合同例会の正式呼称は「中日国際日本語演説連合大会」。続いて「中日文化交流の先駆大嶋団長と日本文化交流訪問団御一行様の御来訪」と記されていた。ちなみに創立第18回例会とのことであった。成功クラブは毎月1回の本例会と、その前に行う予行例会が基本とのことで、入念な準備の下で本例会が行われるとのことであった。この日は、台湾のトーストマスターズ評議会(中華民国国際演説会)ガバナー方氏とエリアガバナー卓氏も出席されていて、最初はまずこれら来賓の方々の挨拶が続いた。司会は瀟氏の奥様で、熊本のコンテストで第3位に入賞された陳氏が務められていた。

例会の内容は台南とほぼ同じで、笑い話、プロジェクトスピーチ、即席演説、論評、言語講評、総合講評と続いた。ただ、この日は論評の前に、JTC副ガバナーとして東海クラブの浪川氏が特別スピーチ「2000年トーストマスターズへの期待」と題して、ディストリクト昇格を前にした将来への展望を語られた。

今回役割を持っていたのは他に私と名古屋の瀧川氏がスピーチ、同じく名古屋の今枝氏と大嶋団長が論評、そして山中氏が総合論評という顔ぶれであった。日本を発つ前に私に役割としてスピーチが振られたので、既に上級スピーチに取り組んでいたものの、台湾の方々を意識して基本マニュアルを選んだ。課題は#8の説得力を持って話せとした。題名はこれも台湾の方々の受けを狙って、富士山をテーマとして西暦2000年問題と絡めて、「富士・西暦2000年」としたが、上手く伝わらなかったのか、プログラム上では「西暦2000年」としか記されていなかった。そのため、論評では題名と中身が合っていないという評価を頂いてしまった。ちなみに論評者は、台湾の大学で教鞭を取られており、成功クラブでは顧問をされていた吉田氏であった。
b0108857_20341443.jpg

また言語講評では、同じく顧問をされていた孫氏より、「前置きが長い」という指摘を受けた。台湾の方々へあれもこれも伝えようと欲張り過ぎたために、本題がぼけてしまったのだ。台湾の方々は我々を日本語を母語とする国から来た人々と見ているから、我々も気が抜けなかった。

例会最後には、訪問団全員が壇上に上がり、大嶋団長が成功クラブ会長の梁氏より表彰を受けた。
b0108857_20424398.jpg

そして最後に集合写真を撮って合同例会は幕を閉じた。この後、地下のホールへ移動して懇親会が行われた。
b0108857_20442963.jpg

[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-08 20:25 | 1999年後半

[台湾編] 桃園での合同例会・12月5日(その3)

天母クラブでの合同例会終了後、参加メンバーは再びタクシーに分乗して台北市内へ戻り、市内観光組と合流した。市内観光組は既に昼食を終えており、我々は待たせてあるチャーターバスにすかさず乗り込んで、一路桃園市を目指した。バスの道中の最中、市内観光組が我々のために昼食のテイクアウトを用意してくれていて、それを摘みながら高速道路を南下した。

桃園市は台北より南下した所にあり、国際空港もこちらの方が近い。時間にして1時間弱というところである。ここに成功日本語演説会、正式名 Success Toastmasters Club があった。台湾の日本語クラブは日本語クラブなのに、何故か登録名が英語なのが不思議だったが、後日尋ねたところでは、アメリカの団体なので、英語で表記しなければならないと思っていたとのことであった。頷ける理由である。

合同例会は桃園市の駅に近い県庁舎の会議室で行われた。バスを降りるなりまず県庁舎の前で集合写真を撮影した。
b0108857_19563279.jpg

我々が入った建物の正式名称は「県政府視聴教育中心」で、会場はその中の17階貴賓室(!)。設備の整った立派な会議室で少々気後れした。
b0108857_1463879.jpg

入り口には歓迎のメッセージが書かれた看板、桶に入った花が飾られ、成功クラブの並々ならぬ歓迎ぶりが感じられた。初日の台南からして既に熱烈な歓迎を受けたが、今回の訪台イベントの最後を飾るだけあって、その気合の入れ方にただただ恐縮するばかりだった。
b0108857_1474016.jpg

しかも驚くべきことに、開会の挨拶に立ったのは桃園県の県長で、スピーチは中国語で行われ、成功クラブの瀟氏が日本語で通訳をされていた。合同例会に県長が挨拶とは恐れ多いことである。一体どういう人脈で呼ばれたのか、見当もつかなかった。やはり日本からの訪問団を迎えるというのが何であれ、目出度いことなのだろうか。ただならぬ雰囲気での幕開けとなった。
b0108857_1592997.jpg

[PR]
by inv-pyramid | 2008-06-03 01:46 | 1999年後半