人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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カテゴリ:1998年( 46 )

[江戸編] 殺し文句

東京バイリンガルのクラブ予選に前後して、江戸クラブでもスピーチコンテストのクラブ予選が行われた。時に6月2日のことである。この頃はまだ全日本スピーチコンテストも6月に開催されていたので、梅雨といえば全日本コンテストのイメージが強い。実際この年も翌年もコンテスト当日は雨模様であった。

江戸クラブの予選への出場者は7名。結果は1位大嶋R氏、2位池田氏、3位梶谷氏と私。この頃のクラブ予選では、大嶋夫妻が出場した場合は、必ずどちらかが優勝という有様で、他の会員に出場の目はなかった。この頃は大嶋T氏は既に江戸を退会されていて、この日は審査委員長としての参加であった。既にはまクラブから全日本コンテストへ出場することが決まっていた。

6月といえば次期役員を決める季節でもあった。今はTMのルールに従って5月に役員選挙を行っているが、この頃はコンテストと同じく1ヶ月ずれで役員改選を行っていた。この日の例会の少し前の2次会で、私は大嶋R氏と現会長の庄司氏より次の会長就任を要請されていた。私はその器ではないから、と丁重にお断りしたが、「小原さんしかいない」と執拗に迫られて、断りきれない状況に追い込まれた。確かに順番的には私の番かな、という空気はあった。私はどちらかといえば縁の下の力持ち的立場の方が合っていて、トップを張る人間ではない。ただこの頃のクラブの陣容を考えれば私が就任するのが妥当な選択肢であったとも思う。入会順では上から4番目で古株の部類であった。「小原さんしかいない」と言われれば、そうかも知れないと思わざるを得なかった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 19:39 | 1998年

[東京BL編] 駆け抜けた季節

東京バイリンガルはこの年、全日本スピーチコンテストを運営することが決まっていた。単独のクラブが日本語と英語両方のコンテストを運営するのは恐らく史上初の試みで、バイリンガルクラブという特殊性もあってか、この頃の東京バイリンガルには常に時代を一歩リードするような気風が感じられた。

そのようなクラブ事情の中で入会した私もまた、自分にとっての初の試みを次々とこなすことになり、コンテストまでの期間を一気に駆け抜けた。何しろ入会宣言したばかりの人間をいきなり次の司会者に指名するような人使いの荒いクラブである。いきなり最初のスピーチを振ることだけでも荒い(粗い?)と思っている私としては、相当な緊張感を強いられた。英語の司会ということは元より、クラブメンバーの連絡先すら知らないのである。教育担当のアーバクル氏からは後で、役の割り当て表が送られてきた。外国人会員というのは連絡が取りにくい人も多く、当時筑波から通われていたコール氏などは、何度電話しても通じなかった。最終的に予め割り当てられていた役割の半数近くが当日欠席するという有様で、このアバウトさもまたバイリンガルクラブならではのものであった。

続く5月20日の例会では、コンテストのクラブ内予選が行われたが、人数の多いクラブでありながら、出場希望者は日本語3名、英語4名ということで、運営クラブの割には盛り上がっているのは一部の会員のみで、他は無関心というお寒いクラブ事情も垣間見えた。他に希望者がいないので、入会したばかりの私は日本語コンテストへの出場に手を上げた。これでどうにかコンテストの体裁を保つことができた。結果は1位安達氏、2位コール氏、3位私ということで、安達氏は関東から出場することを表明し、東京バイリンガル代表はコール氏に譲ることになった。英語はタムラ氏が1位でサッカーのフランスW杯ネタのスピーチをされていた。

そして6月3日例会にて、ついに英語での初スピーチを披露することになった。普段英語を使うことのない人間による英語スピーチなので、メモの使用はもちろんのことであったが、使い方に少々工夫を加えた。結局はそれが裏目となって散々な出来であったが、主に外国人会員の方々からは前向きなアドバイスを頂き、バイリンガルクラブの良さを感じていた。

5月、6月というのは例年クラブの中では慌しい季節である。全日本スピーチコンテスト運営というゴールへと向かうクラブ事情の中で入会した私もまた、その慌しい雰囲気に合わせるかのごとく、あれよあれよと役割をこなすばかりであった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 09:05 | 1998年

[江戸編] 放たれた矢

この年の5月、かねてから喧伝されていた大嶋R氏のスピーキングエッセイの活動がついに始動した。江戸例会でも度々チラシが配られ、5月17日の日曜午後に第1回の公開発表会が行われた。公開発表会、といってもこの日がお披露目の会であり、当然のことながらその発表会は江戸を主体としたTMの有志参加により成立したスピーチ発表会、というのが正直な所であった。

スピーキングエッセイとはそもそもどんな活動なのか。恐らくこの活動のために配られたであろう最初のチラシにはこう書いてある。曰く、「自分自身の経験、意見、感想などを一つの話にまとめ発表すること、そして発表された作品(お話)がスピーキングエッセイです。(中略)原稿を書き、推敲し、作品にまとめるだけでなく、さらに自分の声、表情、身振りを使ってより効果的に表現します。スピーキングエッセイは書き言葉での「エッセイ」に話し言葉の魅力も加えた、総合的な表現活動です」。TMの立場からすれば、TMでやっていることをヒントにしていることは明らかで、TMの一つの発展形態、または一部を流用したものと言えなくもない。

ある日の江戸クラブ2次会で、大嶋R氏がスピーキングエッセイのアイディアを語ったことがある。その時、この活動の名称として「スピーキングエッセイ」というのはどうか、と我々に意見を求めた。私は名前が長いのではないか、と答えたが、元々本人の中ではこの名前で行くことを決めていたのだから、答えるまでもなかった。文筆によるエッセイとは違った口述によるエッセイというアイディアはよいものの、それを現役のTMがTMの延長上で行うということはどういうことなのか。何かにヒントを得てそれを別のビジネスにつなげる、ということはよくあることだが、身近な人がそれを行うことには複雑なものが付きまとう。

90年代江戸クラブの看板会員であった大嶋R氏は、この後自分のビジネスに邁進し、江戸クラブからは徐々にフェイドアウトされていった。それは一つの時代の終焉でもあった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 08:06 | 1998年

[江戸編] 初開催!?ユーモアスピーチコンテスト

4月25日(土)、横浜のランドマークタワー内にあるフォーラムよこはまにて、日本語の全日本ディベートワークショップ及びユーモアスピーチコンテストが開催された。ディベートワークショップははまクラブ、ユーモアスピーチコンテストは江戸クラブが運営を務めた。この頃は日本はまだJTC(日本トーストマスターズ評議会)の時代であるから、全日本を謳っていても、実質的には関東地域のイベントの様を呈していた。ディベート関連イベントはこの頃はほぼ毎年開催されていたが、日本語のユーモアスピーチコンテストは少なくとも私がTMに参加してからは初開催であった。

この頃は関東開催のイベントは、ほとんどが横浜で行われていた。フォーラムよこはまもよく使われた会場で、ランドマークタワーの13階という眺めのよい場所でのイベントは、スピーチよりも外の景色についつい目を奪われてしまうほどであった。

ユーモアスピーチコンテストに先立って行われたディベートワークショップは講師にお馴染みの井上氏を招いて、アメリカ式、イギリス式のディベートの違いの説明や二人一組になってのペアディベートを行ったりして、和やかに行われた。ちなみにこの時私とペアを組んだのがP藤山氏で、ちょうどこの年JTCのガバナーを務められていた。奇しき縁での初顔合わせとなった。

続くユーモアスピーチコンテストは6名の出場者で行われた。全日本という触れ込みではあったが、事前の根回しが足りなかったのか、関東地区の日本語及び英語クラブから出場者を募ってのコンテストとなった。江戸からの出場者は池田氏で「もてなかった私」という題で、ご主人と出会うまでのエピソードを面白く演出して見事2位入賞を果たした。1位は関東クラブからの出場となった東京バイリンガル会員でもある安達氏「オペラ座の怪人」、3位は東京バイリンガルから出場したパイザー氏「二都物語」という結果。東京バイリンガル勢の躍進が目についた中で、入会1、2年のメンバー主体でコンテストを開催した江戸クラブは一時的な結束力を見せたと思う。
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by inv-pyramid | 2007-05-26 02:55 | 1998年

[東京BL編] 4度目の誘惑

東京バイリンガルクラブに入会したのは、1998年4月15日のことである。最初の見学から3回連続で例会に参加した後、3回ほどパスして4度目の見学に臨んだ。ゲスト見学は3回までというルールについてはこのクラブでは特に言及されていなかったように思うが、例会の最後で4回目の訪問であることを告げると、当時の会長だったパイザー氏はすかさず4度目の見学なら会費を払え、と英語で言い放った(英語パートでの発言だったので)。もちろん私は入会の意志を持っていたのでこれに応じたが、流石に会員の3分の1を外国人が占めるバイリンガルクラブであるが故か、江戸クラブにはない厳しさをも感じた。

さらに驚いたのが、その場でいきなり次の会の英語パートの今夜のトーストマスターに指名されたことである。当時の東京バイリンガルでは入会式は行っていなかった。江戸クラブも同様である。だから入会式が行われないことに関しては特に疑問はなかったが、会費を払ってもいないのに、すかさず司会役に指名するあたりは少々乱暴な気もした。当時の東京バイリンガルの役割の決め方は、教育担当が役の割り当て表を回覧して希望を募るというのが基本だったが、今夜のトーストマスターについては毎回例会の最後に、パイザー会長がコの字型に配された座席を内側から回って、ハンカチ落としの要領で次回の今夜のトーストマスターを指名するという、非常に緊張感の高まる儀式で決めていた。外国人主導のクラブとはこんなものか、というのが当時の私の偽らざる感想だった。

とはいえそんな所に江戸クラブにはない魅力を感じて、2つ目のクラブへの入会が決まった。この日は私が重籍会員=Dual Member としての一歩を踏み出した記念すべき日なのである。
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by inv-pyramid | 2007-05-26 02:06 | 1998年

[東京BL編] マインドマップの原点

3月のこの時期、とあるイベントがはまクラブで行われた。はまクラブの活動なので本来なら[はま編]とするべき所だが、そのイベントが開催されたいきさつは東京バイリンガルクラブが元になっているので、ここでは[東京BL]編としておきたい。

この頃のはまクラブは大嶋T氏が会長を務められ、毎月講師を招いてワークショップを行っていた。現在神楽坂で行われている今夜のセミナーと同種のものだが、他クラブから講師を招いての本格的なものであった。3月7日に行われたワークショップは「Mind Mapping,the Brain and Toastmastering」と題されたマインドマップに関するもので、講師を東京バイリンガルの会員でもあるアーバクル氏が務められた。

マインドマップについては最近書店などでも解説書が多数販売されて、絵や図を用いたユニークな思考法、表現方法として注目されているが、私が始めてそれに接したのは東京バイリンガルクラブにおいてであった。アーバクル氏は当時、ブザンセンタージャパン所長としてこのマインドマップに関するビジネスをされていて、東京バイリンガルでは教育担当副会長の任にあった。はまで行われたイベントは東京バイリンガルでの大嶋T氏とアーバクル氏の交流があって実現したものである。現在ではTMでも大嶋T氏によるワークショップがよく開催されていて、TMでのスピーチ準備のためのツールとして普及されているマインドマップであるが、1998年当時ではまだもの珍しかった。当時としては時代の先を行っていたイベントだったと思う。

アーバクル氏はクラブの中でも上品な紳士で、ユーモアを絶やさない人柄が教育担当というクラブのまとめ役によく合っていた。最近聞いた話では現在でもマインドマップの分野でご活躍とのことである。
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by inv-pyramid | 2007-03-31 16:06 | 1998年

[江戸編] 綻びは花粉症の如く

春といえば花粉症がすっかりつきもののようになって久しい。春の息吹も聞こえ始め、春一番の風も吹く。年度末で人が動く季節でもあるからか、クラブの受難というのはとりわけこの季節に多いように感じる。それによってもたらされるちくちくとした苦しみは、さながら花粉症のようである。

弱者権力事件と前後して、江戸クラブでは一つのイベントが行われた。江戸トーストマスターズ課外活動、ディスカッションミーティングとして企画されたこのイベントは、大嶋R氏の事務所で行われた。大嶋R氏はこの頃既に企業の研修ビジネスを主体とした「アイワコミュニケーション」という会社を始められていた。現在の「スピーキングエッセイ」の前身である。このイベントは「トーストの仲間の意見を実生活にも反映してみよう」という名目で行われた。第1回のテーマは「大嶋オフィス(会社)を今後どのように発展させるか、というテーマでディスカッション、ブレーンストーミングを行います」というものだった。

このようなイベントの位置づけというのは非常に難しい。すなわち江戸クラブの課外活動という体裁をとりながら、個人のビジネスへつなげるためのワークショップでもあるからだ。TMでは例会の場でのTM以外の活動などの宣伝は禁じている。それが講じて会員に自分のビジネスのDMなどを送りつけてクラブを罷免された会員の実例もある。もちろんTMを通じて知り合った人同士が意気投合して他の活動を始めるというのは、人同士が交流する過程においては当然ありうることである。ただそれをクラブイベントの延長で行うことに問題が潜んでいる。

後に大嶋R氏はクラブを退会されて自身のビジネスに邁進されていくことになるが、その分岐点がこのイベントにあると私は思っている。同時にTMを末永く続けていくためのモチベーションの維持の難しさをもこの頃の一連の事件を通じて感じた。
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by inv-pyramid | 2007-03-31 15:11 | 1998年

[江戸編] 除名という局面

以前にも書いたことだが、トーストマスターズは会員制のクラブである。そして会員権については国際本部が定めた「トーストマスターズ憲章」にこと細かく定められている。会員のみならず、役員でもこの内容を正確に把握している人は少ないのではないだろうか。それは一つには普段目にすることがないためもあるかも知れない。何故なら、この憲章はクラブ設立時に本部から送られてくるのみで、以降クラブで書記なりがきちんと保管していない限り、存在すら知らないということにもなりかねないからだ。おまけに英語である。日本語クラブの会員にとっては、存在は知っていても読まないということもあるだろう。私も自分でクラブを立ち上げるまでは恥ずかしながら知らなかった。つまりクラブで、この憲章に対する情報を伝えることを継続して来なかったということである。

この憲章の中で、会員権、特に除名に関しては次のとおり書かれている。

「 Sec.7. 第7項 会費を支払わない、欠席数がある程度以上、あるいはクラブや国際トーストマスターズの定める最低基準を満たさない会員を、クラブは随時、除籍することができる。さらに、(a)クラブの目的に沿わない(b)クラブの活動やプログラムに積極的に貢献しない(c)クラブや国際トーストマスターズが設けた行動規範に反する行為を行った(d)他の適切な理由により、クラブは除名、停止、または会員権の更新を拒否することができる。この規範は国際トーストマスターズ理事会が定め、周知した倫理的、政治的、他の規範を含む。クラブは国際トーストマスターズが定める手続きに従い除名、停止、懲罰を行うことができる。国際トーストマスターズの行動規範に反する会員をクラブが除名せず、国際会長が書面にて要求しても理事会の満足する行動が得られなか
った場合には、国際トーストマスターズはそのクラブを除名することがある。」

最近でも某クラブで除名騒動があったばかりだが、会員のみならずクラブの除名すらも謳っているこの憲章の存在を我々はもっと意識する必要がある。でなければ実際にこれを適用する局面で右往左往することになるだろう。過去には実際に除名になった会員もある。ただその適用については慎重に対応しなければならないとも思う。

間中氏の件ではクラブ内が除名派と擁護派に分かれた。私は擁護派だった。確かにゲストへに対しては一部不適切な内容を含んでいたかも知れないが、それは間中氏にとってもゲストにしても予期せぬ出来事で、除名までする必要はないと思ったからだ。もとよりこのような騒動でクラブの雰囲気がさらに悪くなることを懸念していた。最終的には間中氏から大嶋R氏に対して侘びを入れることで決着がついたが、間中氏はその後消えるように退会した。この頃も既に不定期参加状態だったので、この問題が原因とは思えなかったが後味は悪かった。そしてこの2年後に同様の事件が今度はコンテストスピーチで発生し、大嶋R氏の怒りが再び爆発、完全退会となる。

まさに歴史は繰り返す。過去の教訓は活きないのか。トーストマスターズとは何か。スピーチの上手さを競うばかりでは何の進歩も発展もない、ということに尽きる。上級マニュアルの一つに「対人関係のコミュニケーション」があるが、スピーチを通してこれを学ぶことこそが、TMに参加する意義だと思う。
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by inv-pyramid | 2007-02-25 09:11 | 1998年

[江戸編] 弱者権力事件

3月3日のひな祭りの日に行われた第202回例会は忘れられない。その後の江戸の命運を左右したとも言ってよい一つの事件が起こったからだ。

この日は大嶋R氏が連れて来られた韓国人ゲストが2名いた。今夜のトーストマスターは当時の江戸クラブ最年少の武田氏。やや甘えた感じの独特の話し方で、例会は順調に進行した。さくらクラブにも所属していた梶谷氏のテーブルトピックは7問にも及び、韓国人ゲストの方も指名された。ここまでは何の波乱もなかった。

スピーチは2名。最初の大川氏は例によってプレゼン調のスピーチ。2番目のスピーカー間中氏のスピーチの際に事件は起きた。間中氏のスピーチは基本#8説得力を持って話せの課題で、題が「弱者権力」。これは従軍慰安婦問題を例として、当時流行の漫画を引用しての弱者の権力というテーマを扱ったもの。話題そのものが極めて微妙な所であるのに、しかも韓国人ゲストの前で話すという状況が悪かった。内容としては決して差別的なものではなかったものの、それが韓国人の方の前でどう映ったか。日本と韓国の関係を考えれば、韓国人の前で話す話題ではなかった。特に1人は外交官であり、スピーチ終了後は怒りの表情を浮かべていた。とりあえず閉会までその韓国人ゲストの方は残っていたが、最後のゲストコメントで「間中さん、あなたという人は・・・」という言葉を発し、「2度と来ない」という言葉を残して足早に去っていった。2次会では当然その話が話題となったが、その韓国人ゲストを連れてきた大嶋R氏の立場がない。彼女の目には微かに光るものがあった。

後日、大嶋R氏より「3月3日ミーティングにおける間中氏のスピーチについて」というファクスが庄司会長他の役員の元へ届いた。内容は「標記の間中氏のスピーチ「弱者権力」はその配慮に欠けた内容がトーストマスターズのミーティングにおけるスピーチとして極めて不適切であり、事実出席メンバーに不快感を与えました。特に同席していた2名の韓国人ゲストには著しく不快、怒りの念を起こさせるもので、外交官であるゲストが激しく抗議したのも当然のことと言えます。このようなスピーチは、政治宗教のスピーチを避けるべきであるとするトーストマスターの理念はもとより、国際交流の常識から逸脱しており、放置することはできないと思います」という激しい抗議文で、役員会に対して間中氏の退会決議を求めると共に、役員会として抗議文を発行し間中氏に反省文を求めていた。これが実行されない場合は、例会への出席を拒否するということであった。

江戸クラブと韓国人のつながりは深く、孫氏や朴氏のような会員、入れ替わり立ち代り訪れたゲストの数は知れない。日韓友好の一つの場所として機能していたことは間違いない。それだけにこの事件は江戸クラブに深い影を落とした。
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by inv-pyramid | 2007-02-19 00:33 | 1998年

[東京BL編] 華麗なる例会

さて、前置きが長くなったが初参加の時の東京バイリンガルクラブ例会について少し振り返ってみたい。初参加の例会は英語が先で日本語が後だった。英語の部の司会はなんと大嶋T氏、そして英語スピーチに大嶋R氏の名前がクレジットされていた。大嶋夫妻の英語は今までに拝聴したことがなかったので、これは大いに楽しみであった。英語の部のもう一人のスピーチは電機メーカーで翻訳の仕事をされている久利氏で、ちょうど私の隣に座られていたので、例会前に色々とお話を伺った。この時のエピソードは後にコンテストスピーチのアイディアとなったが、久利氏は初対面の私に対してしきりと「eメールアドレスはお持ちですか」と尋ねてきた。その頃の私はパソコンから少し遠ざかっていた時期だったので、メールなどしたこともなかった。ちょっとした浦島太郎の気分であった。

スピーチに関しては日本人の2名に対して論評は共にカナダ人のアーバクル氏とマッキンタイア氏で、グラマリアンにはパイザー会長という豪華布陣で、英語でのTM初体験の私としては少なからずカルチャーショックを受けていた。続いての日本語の部ではさらなるサプライズで、なんと私が欠席の論評者に代わって論評をすることになった。ちなみに誰の代役かといえば、コンテスト常連の大学教授コール氏の代役だった。司会役の玉井氏は私を紹介する際に「ベテランの小原さん」と述べられたので、私もかなり緊張した。この猛者たちの前で論評に入るとは何たる不覚、もとい幸運かという所で私もいい論評をしようと思って言葉が滑ったりした。ちなみに私が論評した相手は東京バイリンガルには比較的少なかった若手日本人男性の福重氏であった。もう一人のスピーチはパイザー会長で、前日江戸で披露したスピーチ「ありがとう おばあちゃん」を再度行っていた。私は完全に東京バイリンガルの例会の雰囲気に呑まれていた。TMでこの様な体験をすることはこの後も何度かあるが、ただ人数が多いだけではなく、そこに参加している人の多様性による所が大きいと思う。

この回のゲストの中に、東京クラブの榊原氏がいた。後に江戸にも入会され会長も務められたヨーガ道場主である。東京バイリンガルクラブとの邂逅によって私のその後のTMライフが劇的に変わったのは間違いない。それ故この回こそはまさに記憶に留まる華麗なる例会であった。
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by inv-pyramid | 2007-02-10 01:25 | 1998年