人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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カテゴリ:1995年( 14 )

ディベートワークショップ、その日

かくして1995年4月16日の日曜日、紆余曲折を経てJTCイベントとしてのディベートワークショップが千駄ヶ谷社教館で開催された。江戸、はまのメンバーを中心に名古屋や熊本からも有志が参加した。JTC役員としては当時のガバナー斎藤氏(現田園都市クラブ)、井上氏(現青山ランチクラブ)らが参加された。

ワークショップは3本立ての構成で行われた。まず最初は井上氏による講演。よく行われる二人一組になってのペアディベートを全員で行った。続いてはモデルディベート「熊本市を日本の首都にすべきである」。江戸メンバーの大嶋氏と間中氏の1対1による掛け合い的なディベートは、ユーモアを交えながらディベートの流れを分かりやすくする意図があった。

そして最後にこの日のハイライト「日本政府は安楽死を立法化すべきである」。この論題は元々はディベートコンテスト用に設定されたもので、出場予定クラブは既に色々な情報を集めたりの準備をしていたので、それを生かす形となった。江戸クラブ田辺、豊田組対はまクラブ飯牟礼、太田組の論戦は流石に準備万端で見事なものだった。奇しくも女性組対男性組となったので女性、男性双方の考え方の違いも反映された。

都合3時間強のワークショップとなったが、ディベートへの理解を深めるには十分過ぎるほど濃厚なイベントとなった。日曜は休みというらむろを特別に開けてもらってのもつ鍋パーティーで2次会が行われた。
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by inv-pyramid | 2006-09-11 22:01 | 1995年

トーストマスターズとディベートその2

ディベートコンテストの論題にはどのようなものが選ばれていたのだろうか。以下は当時の資料からの抜粋である。

1991年 「日本政府はPKO(国連平和維持活動)に自衛隊を参加させるべきである」
1992年 「医師は患者にガンを告知するべき」
1993年 「日本政府は1994年中に関税を撤廃し食用米の輸入を自由化すべきである」

いかにも当時の時代背景が偲ばれる論題ばかりである。テーマとしては少々硬い気もするが、コンテストの論題としては誰もが理解している内容で、かつその時代の話題であり、資料収集が容易なものが厳選された。結果として、時事問題ばかりになってくるわけである。論題選びには「日本の論点」などの出版物がよく利用された。私も1995年のコンテスト実行委員になった時、この論題選びにまず時間を費やした記憶がある。ディベートコンテストでは、定義が明確にできるものでなければならないという前提があり、曖昧な論題では論点が明確にならず、審査も難しいというわけである。「日本政府が」などの主語が入っているのはそのためだ。

ディベートコンテストにはそれ用の審査用紙が用意されており、肯定側、否定側の論点を分析評価できるようになっている。このコンテストの難しいところはその進め方である。出場チーム全てが同じ論題でのディベートを競うため、トーナメント方式が採用される。A、Bチームの勝者とC、Dチームの勝者が決勝に進めば、また同じ論題でのディベートを行う。1回の論戦で40分程度の時間がかかりるので、4チームのコンテストであれば都合3回のディベートが行われる。この状況を楽しめるか、苦痛と感じるかである。

2000年3月に名古屋で行われたコンテストを最後に、以降行われていないのは(英語は除く)、ディストリクト体制になって年2回のコンテスト制となり、クラブ、エリアと勝ち上がりで行われる現在のシステムにそぐわないからだと思うが、折をみてまたやってみるのもいいかも知れない。トーストマスターズが決して個人スピーチ研鑽のためだけの場ではない、ということを実感するためにも。
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by inv-pyramid | 2006-09-10 00:18 | 1995年

トーストマスターズとディベート

1990年代、ディストリクト76つまり日本地区がまだ日本トーストマスターズ評議会、略してJTCと呼ばれていた時代はディベートに関するイベントが盛んに行われていた。それは一つにはディベート研究所を主宰されていた井上氏の存在もあるだろうし、ディベート好きな会員が多かった、否その様な活動をすることが目的でトーストマスターズに入ってきた人が多かった、ということもあるだろう。江戸クラブにもその様な論客が結構いた。手元の資料には「クラブの会員数が増えてくると討論会が重要になってきます。クラブ内での意見交換ばかりでなく、討論の題目として現代に関わる重要な問題などを選ぶことによって、他のクラブの人々と共に問題点に対する知的な意見を作り出し、自分のものとしていくことができます」とある。つまり討論のトレーニングの一環としてディベートが位置づけられていたわけである。

ちなみにトーストマスターズのマニュアルにもディベートハンドブックなるものが用意されているが、トーストマスターズ全体の中での位置づけはそれほど大きくはない。それはアメリカでは学校教育の中でディベート教育も行われ、日常的に行われているからだろうか。日本でも主として教育団体を中心としたディベート協議会などがあり、普及活動が行われている。トーストマスターズのメンバーには教員の方も多いので、その様なメンバーが中心となって、ディベートコンテストやワークショップが毎年行われてきたという側面もあると思う。

この頃はまだ日本語クラブも数が少なかった(関東2、中部3、九州1※正クラブのみ)ので、どのクラブも毎年必ず何かのコンテストを運営していた。その中で江戸クラブは実に3回もディベートコンテスト、ワークショップを運営していた。ディベートコンテストは事前に論題を決め、それに関する定義付けや資料の収集など準備が大変であり、なおかつメンバーのディベートに関する認識を高めるため、ディベートのやり方の勉強などもしていたので手間がかかった。一部のディベート好き会員に引っ張られていた面もある。しかしそれでも何度もこのイベントを運営したということは、クラブにとっては貴重な財産になっていたのかも知れない。コンテスト運営もディベートも初心者の私としては、ただ半信半疑でついていくだけだった。
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by inv-pyramid | 2006-09-07 23:50 | 1995年

1995年、阪神淡路大震災、そして...

1995年といえばまず想起されるのが阪神淡路大震災である。トーストマスターズもこの震災とは無関係ではなかった。当時関西にはチャーターを目指していた日本語クラブが一つあった。西宮クラブである。元ディストリクトガバナーの稲継氏も所属していたこのクラブと江戸クラブは、この年の3月に西宮でのディベートコンテストの開催を予定していた。私は大嶋氏や佐藤氏と共にこのイベントの実行委員として、昨年から色々と準備を始めていた。その矢先の事件というか災害がこの阪神淡路大震災だった。この震災の影響で、西宮クラブが押さえていた会場が被災し、西宮クラブ事態も活動を休止する事態に追い込まれた。天変地異を前にしては誰もトーストマスターズどころではない。

協議の結果、ディベートコンテストはディベートワークショップと形を変え、江戸クラブ主体でこの年の4月に千駄ヶ谷社教館で開催されることになった。この件を始まりとして、江戸クラブの流れが少しずつ変わり始めたのがこの1995年という年だった。創立から7年が経とうとしていた。
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by inv-pyramid | 2006-09-07 23:10 | 1995年