人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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カテゴリ:1994年( 19 )

自分らしさ

「個性が良く出ていました。らしいスピーチで聞いていて楽しかったです」「やっぱり男は夢を追い求める事が大切ですよね」「いつも誰もが思っていたりすることで共感できました」...これらは私が基本#3「スピーチを組み立てよ」の課題で披露したスピーチに対するコメントである。小椋桂の歌に乗せて自分と友人の生き方を比較しながら、夢を追うということをテーマとした内容だった。私のスピーチはこの手の内容が多いので、長年この活動をしていると、いただくコメントも似た内容のものが多い。つまり「その人らしい」スピーチということである。

入会してまだ3回目のスピーチであるのに、「らしいスピーチ」と言われるのも変な気もするが、トーストマスターズというのはある部分自分をさらけ出す場でもあるので、つき合いが短くとも「その人らしさ」を感じさせる空気があるのは確かである。これがもう少しつき合いが進むと、その人のスピーチの傾向というものがよくわかってくる。この頃のメンバーでも結婚ネタの多いT氏や会社員生活の悲哀話の好きなK氏、社会的な事象についての独特の突っ込みが持ち味のM氏など、その人が話せばああ成程と思わせたものだ。

スピーチには人生観や価値観、己の哲学、美学といったものが著しく反映される。それらが凝縮された5分から7分の時間は、まさに自分らしさが表現される舞台である。同時に自分らしさを取り戻す場でもある、とも言える。今日までこの活動を続けているのは、そんな自分らしさを追求しているからかも知れない。
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by inv-pyramid | 2006-09-05 23:19 | 1994年

1994年のクリスマス

翌週の12月20日がこの年、1994年の江戸最終例会で、恒例のクリスマス会となった。最近は忘年会として行われることの方が多いが、この頃はまだクリスマス会と称して、最終例会を行っていた。

クリスマス会なのでプログラムもそれに見合った内容である。曰く、例会のハイライトは全員指名のテーブルトピックスであり、また一人いくらと決めての交換プレゼントの用意など。お茶とお菓子も用意された。その中で私の役割はテーブルトピックスマスター。クリスマスネタのオンパレードで、ラジカセを持ち込みクリスマスソングに引っ掛けた出題や、その前週に観た映画「34丁目の奇跡」を素材としたサンタクロースにまつわる出題を考えた。テーブルトピックのネタというのは面白いもので、何年も参加していると毎年同じ時期に同じような話題が出るのが常といってもよい。花見ネタだったり梅雨ネタだったり秋の味覚ネタだったりと、季節感があるのが日本のクラブでのテーブルトピックの特徴かも知れない。考えることはみな同じ、というところか。

この回は、出張で東京へいらした浪川氏(現東海クラブ)、やまのての鎌田氏(同じく現東海クラブ)などのゲスト参加もあり、千駄ヶ谷社教館でのひと時の後はいつものらむろに流れて、モツ鍋での忘年会となった。
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by inv-pyramid | 2006-09-01 12:55 | 1994年

第3エリア合同クリスマス会

この年の12月17日、横浜の桜木町にてJTCこと日本トーストマスターズ評議会第3エリア、つまりエリア3所属クラブによる合同クリスマス会が行われた。1994年当時の日本地区はまだ正式な地区でなく、その他の地区(クラブ番号の頭にUがつく)扱いで、ディビジョンという概念もなく、全国を5つのエリアに分けていた。エリア3は、はま、横浜、田園都市、三笠、湘南、厚木座間の6クラブで構成されていて、平たく言えば神奈川エリアである。これは現在のエリア32に相当する。昔も今も神奈川エリアは所属クラブにあまり変動がなく、横のつながりが他のエリアに比べて非常に強いのが特徴である。故にこのようなエリア内イベントもよく開催されていた。

江戸クラブは当時はエリア1所属だったが、はまクラブとの横のつながりから、この合同クリスマス会にも招待され有志が参加した。私はこの時が初めての英語クラブとの邂逅だった。ギター伴奏で歌を歌ったり、各クラブのメンバーによるスピーチの披露があったりと盛りだくさんで、英語のスピーチを聞いたのもこれが初めて。クラブ間の横のつながりの良さを感じたひと時だった。今と比べるとまだどこか牧歌的で、それはまだ各クラブともそれほど人数が多くなかったからこそ、このようにエリア合同でまとまることができたのだと思う。
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by inv-pyramid | 2006-08-29 02:09 | 1994年

初めての論評

12月に入って初めて論評をした。この時点でスピーチは既に3回行っていたので、マニュアルにも書いてある、論評はスピーチを3回行ってからという基準は満たしていた。論評は基本的に即興スピーチであるから、通常のスピーチよりはやはり難しい。ただ、いい論評が出来る時は、スピーチも得てして上手なスピーチであることが多い。上手なスピーチというと一見改善点がなく隙のないスピーチのように聞こえるが、実はそうではなく、論理的でわかりやすく自然と耳を傾けやすく、しっかり聞くことができるスピーチということである。これが何を言ってるのかわからないスピーチだと、聞いていても耳を傾けられないので、聞く力が半減してしまうのである。

この回私が論評したのは、釣り船幹事の山本氏による基本マニュアル5番目の声を豊かにのスピーチだった。山本氏は私が始めて江戸クラブを見学した時にコンテストスピーチをされていて、その時の題「言い切ることが大切だ」は今でも記憶の中に残っている。やはりスピーチの時の印象が強いといつまでも頭の中に残ってしまうものだろうか。

論評者の私にコメントを寄せていただいた方がいて、コメント用紙を見ると好意的なことが書いてあるので、恐らくいい論評だったのあろう。コメント用紙といえば、入会時から毎回の様に私にコメントを寄せてくれる方がいて、小さな役割の時でも何か一言書いてくれたものだが、毎回励みになった。新会員に対する心配りとして、忘れてはならない事の一つだと思う。
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by inv-pyramid | 2006-08-25 05:11 | 1994年

晩秋のハイキング

11月23日には、今年2回目の野外イベントが開催された。高尾山へのハイキングである。今回の幹事は私で、スピーチの中で山が趣味であるということを話したからか、何となくじゃあ次は山へという流れになり、近場の高尾山へ出かけることになった。

勤労感謝の日で秋もだいぶ深まっていたが、穏やかな良い天気で紅葉もまだ十分楽しめた。登り下りとも徒歩コースだったが、女性陣は下りはリフトを使用していた。山頂では、山上ミーティングと称して例会も行った。ポットでお茶を沸かして、テーブルトピックなどに講じていた。正味1時間の例会だったが、場所を選ばずこのようなことができるのがトーストマスターズのよいところだろう。またそういうことが楽しめるメンバーが集まっているのがトーストマスターズだとも言える。ハイキングイベントはこの後もしばらくは毎年続けられた。
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by inv-pyramid | 2006-08-21 18:32 | 1994年

ぼくの美しい人だから

10月に入って、横浜のランドマークタワーにて、はまクラブとの合同例会が開催された。私にとって初めての合同例会である。はまクラブは江戸クラブの創立メンバーの一人である飯牟礼氏や横浜クラブの有志が中心となって創立された関東で2番目の日本語クラブで、当時は横浜クラブと同じ関内の「ヨーク」という集会施設で、毎月第1土曜に横浜クラブの例会の後、16時30分から例会を行っていた。ヨークでの例会は場所の狭さもあるが、江戸クラブのコの字型の机の配列とは異なる、机なしで椅子をランダムに並べただけのシンプルなスタイルで、横浜という港町の空気も手伝って幾分カジュアルな感じのするものだった。

今回は合同例会ということもあり、ランドマークタワーの13階にある横浜市の施設「フォーラムよこはま」で開催された。ここは90年代はコンテストやワークショップ、総会などでよく利用されていた場所で、最近はTMの会員数が増えたためかあまり利用されなくなったが、ランドマークタワーの中層階で眺めもよく、食事は階下のデリやレストラン街などが利用できてとてもよい場所だった。

合同例会は10月15日の夜開催だったが、20数名は集まっただろうか。特にはまクラブの方はまさにはまの黄金期を飾った面々が集まっていた。表題はその時の私のスピーチ題名で、同名映画をモチーフに自分の年上の人との恋愛体験を綴った。今でも時々スピーチに織り交ぜているが、熱意を示せという課題に即した内容だった。やはり自分がスピーチをやった回というのはよく覚えている。2次会は地下の崎陽軒で盛況に行われた。
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by inv-pyramid | 2006-08-19 15:12 | 1994年

江戸川でハゼ釣り

江戸クラブだから江戸川でハゼ釣り、というわけでもないが、この年の9月10日には野外企画として東京湾でのハゼ釣りが企画された。これは当時江戸会員だった山本氏のツテによるもので、会費一人¥9500で釣り船をチャーターし、東京湾へハゼ釣りに繰り出すという趣向。午前中はハゼ釣りを楽しみ、午後は釣ったハゼを天ぷらにして船上で酒宴に講じた。

釣り船屋は東西線の南砂町を下りて車で少し移動した荒川の川沿いにあり、ここから釣り船に乗り込んで東京湾を千葉方面に移動、左手には今はなきザウスも見え、やがて江戸川の入り江を少し入ったところで停泊した。ハゼ釣りのスポットらしく他にも何艘かの釣り船が停泊していた。

当日は9月にも関わらず朝からカンカン照りで、早朝から江戸はま合わせて10名程度が参加した。ハゼ釣りは私を含めてほとんどの人が初めてらしく、屋根などない釣り船の上で日焼けしながら、みな釣りに講じた。後半からはこれにビール焼けが加わったが、たまにはこのような変わったイベントも楽しいものである。クラブに活力がなければこのようなイベントは企画されず、また参加者が集まるはずもない。そいいう意味で当時はまさにクラブに活力があった。あるいはまだ景気がよかった頃だからかも知れないが。
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by inv-pyramid | 2006-08-19 14:45 | 1994年

風に吹かれて

私の初スピーチは9月の第128回例会で行われた。入会後4回目の例会でのことであるから、順番としてはそれなりの順番だと思う。少なくとも当時はみなそれくらいの順番でスピーチをしていた。

「風に吹かれて」というのは、その時の私のスピーチの題名であるが、やり方としてまず題を書いた紙を5枚用意し、それを司会者に1枚引いて貰ってその題でのスピーチをした。この手法は上級マニュアル・特別なスピーチ#1の即興スピーチにもあるやり方だが、私はそれをアイスブレーカーで行った。もちろん入会したばかりで、上級マニュアルにそんな課題があることは知らない。ただ、人と違ったことをやりたいという私の天邪鬼精神が発揮されただけのことである。

もっとも題が5つあるとはいっても、そのどれもが同じスピーチに結びつく内容だったので、さほど難しいものではなかった。内容は私が今でも時々スピーチに織り交ぜている社会人としての2年間の空白期間の体験を綴ったもので、メモは使わなかった。体験を話しているので、メモに頼らなくとも話はできた。それよりも印象に残っているのは、この時の部屋が料理室だったということで、初スピーチが料理室というのも何やら面白い。また料理室は声の反響がすごく、スピーチが響き渡るので、通常の会議室で行う時とはまた違った感じがするのが特徴だった。

この回はゲストも多く、NW誌系ゲストが3名、JTC(日本トーストマスターズ評議会。現在のディストリクト76のこと)の役員だった斎藤氏や井上氏も参加されていた。
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by inv-pyramid | 2006-08-15 10:57 | 1994年

やまのてクラブ前史

話が前後するが、私は江戸クラブに入会してすぐ、やまのてクラブにも参加していた。これは現在中目黒を拠点に活動しているやまのてクラブではなく、そのルーツとも言える旧やまのてクラブのことである。当時は代々木の集会施設で月1回例会を行う日本語のみのクラブだった。

旧やまのてクラブは江戸クラブの浪川氏(現在は東海クラブ)、久田氏を中心に日本語クラブのさらなる発展を願って結成され、1993年1月から活動を開始していた。名前の由来は山手線の沿線各駅に一つずつ日本語クラブがあったら、という理想を反映したもので、最盛期の会員数は12名。惜しくもチャーターには至らなかったが、江戸クラブのメンバーも適宜応援して、約20回ほどの例会を行った。結局最後の方は会員が3名になってしまい、解散という結末を迎えてしまった。

私は江戸クラブとは微妙に雰囲気の異なるこの旧やまのてクラブが好きで、毎回参加していた。そして解散ということになった時、いつかこのクラブを再興したいと思い始めていた。後に他のクラブの設立に参加して、クラブ設立の手順を覚えながら、2001年になってようやくバイリンガルクラブとして現在のやまのてクラブを立ち上げるに至ったのだから、まさに執念である。現在のやまのてクラブについての話は、またいずれ述べたい。なお、旧やまのてクラブの備品の一部は解散時に私が預かり、現在のやまのてクラブに一部を引き継いでいる。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 12:52 | 1994年

能鑑賞

8月の江戸クラブのイベントでは、能鑑賞が行われた。これは江戸会員の中野氏の知り合いが能役者で、その子供が初舞台を踏むということで中野氏にもチケットが配られた関係で、江戸のイベントとして行われたもので、10名ぐらいが参加したと思う。渋谷の観世能楽堂で行われた。私はそれまで能鑑賞などしたこともなく、この日が初体験だった。トーストマスターズから派生したつながりの広さを実感することとなった。

番組は、舞囃子、狂言、能の順で、能の演目は「邯鄲(かんたん)」。総上演時間1時間30分で、日本の古典芸能に触れる機会としては良かったが、鑑賞に慣れていないので意味も分からず、ただその雰囲気に飲まれていた。しかしこういう機会でもなければ私などはまず観に行かないので、貴重な時間ではあった。何しろこの手のイベントは後にも先にもこれきりとなったのだから。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 03:15 | 1994年