人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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カテゴリ:2000年前半( 33 )

[JTC編] ディストリクトへの布石・前期評議会開催

1月15日の土曜日午後、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで、JTCの前期評議会が開催された。今では当たり前のように行われている年2回の全国レベル評議会だが、JTCの時代は年1回6月の開催のみであった。それが急に1月という半端な季節に行われたのは、準ディストリクト昇格を睨んでのことであった。ディストリクトとなれば年2回の評議会開催が義務付けられる。そのためのプレ開催の意味合いがあった。開催通知は前年12月に、教育訓練担当副ガバナーのストロガノフ氏から送られていた。

私は武蔵会長として出席した。教育担当の加藤氏が同行していた。ここで思いがけず江戸の会員だったレイサイド氏と再会した。レイサイド氏は渡仏のため江戸を退会されたのだが、帰国されて古巣のブレックファストクラブに復帰されたとのこと。この日は教育担当として出席されていた。

会はまずJTCガバナーのキルパラニ氏の挨拶で始まり、その後2つの基調講演が続いた。講演者は当時ACCJクラブ(現青山ランチ)に所属されていたAS本城氏と武蔵の滑川氏で、AS本城氏は、女性のリーダーシップを旗印に女性限定のトーストマスターズクラブ、キーフォースクラブの設立を宣言されていた。"Key Force"とは「鍵となる力」を意味し、それすなわち女性のリーダーシップということであった。滑川氏はご自身の経歴を戦争体験と絡めて述べられていた。例会のスピーチでもよく聞かされた内容だったが、何度聞いても感ずる所のあるスピーチであった。

講演後は、クラブ紹介、役員報告、ディストリクトへ向けての予定などが話し合われた。閉会後、日本語クラブの関係者がオリンピックセンターのレストランさくらに集まり、懇親会を行った。
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by inv-pyramid | 2008-07-16 13:00 | 2000年前半

[武蔵編] ふたたびの会長職

2000年1月13日の武蔵第30回例会がこの年の始まりであった。この日より正式に武蔵会長に就任した。前年度の江戸会長に続いて2度目の会長職となった。2度目とはいえ、チャーターしたばかりのクラブの会長は初めてでもあり、既に創立10年を経過した江戸とは勝手が違うと思った。ディストリクト元年に向けてJTCの活動も例年になく活発になっていた。

この日は当時エリアガバナーだった児玉氏をゲストにお呼びし、新役員就任式を行った。児玉氏とはさくらクラブで既知の仲だったが、武蔵のチャーターをきっかけとして日本語クラブへも少しずつ顔を出されていた。後にやまのてや響設立にも関わって頂くことになるので、この頃はそのための伏線ともいえた。チャーターまで役員を務めていた外国人メンバーの姿は既になく、チャーター前後に入会された方々を新役員に迎え入れての船出であった。新役員の中では特に教育担当副会長の加藤氏が積極的で、舌鋒も鋭く、クラブへの疑問点を次々と投げかけられて、私もいい刺激を受けた。

スピーチはこの日でちょうど10番目を終える近藤K氏と私だったが、私のスピーチは実はこの年の2月に行われる予定の、大宮西高校の社会人講師のリハーサルを兼ねていた。この年は現在既に9年目を迎えた社会人講師の初年度でもあった。前年より近藤K氏からお誘いは受けていたのだが、やはり未経験のことなので例会でまずリハーサルをと思っていた。「敗者復活戦」という題のスピーチは、私のスピーチの中では一つのテーマであり、形を変えて時々行っている。これを高校生相手に話そうというわけである。

日本のトーストマスターズの変革期の中で、私の中でも何かが変わりつつあった。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 21:16 | 2000年前半

2000年、ミレニアムはディストリクト元年

西暦2000年といえばまずは2000年問題だろう。コンピュータの西暦年数の下二桁処理により、「99」から「00」となる瞬間に大きな混乱が起こるということで、社会的な問題となったのは記憶に新しい。というか今から思えばそんなこともあったな、という程度のことでもあった。何でも400年ぶりの世紀末閏年ということで、「Y2K」、「ミレニアム」などの言葉も流行した。

新潟少女監禁事件、西鉄バスジャック事件、岡山金属バット事件、そして年末には世田谷一家惨殺事件などが起きている。少年犯罪が増え出した年でもあった。私の身近では地下鉄日比谷線の脱線事故などが起きている。いつも通勤の車窓から線路際の慰霊碑が見える度にこの事件を思い出さずにはいられない。

九州沖縄サミットや、Qちゃん、柔ちゃんらの金メダルで沸いたシドニーオリンピックが開催された年でもあった。

このような時代背景の中、日本のトーストマスターズは、JTCという自主運営の未認定地域から、トーストマスターズの一員として国際本部から支援を受けられる準ディストリクトとして認定されることになった。スピーチの世界選手権への扉はまだ開かれなかったが、これでようやくトーストマスターズの世界標準で運営ができる体制が整ったのである。奇しくもお隣の台湾もこの年に準ディストリクトに昇格した。

20世紀最後の年は、日本と台湾にとっては記念すべき新世紀の幕開けとなったのである。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 16:06 | 2000年前半