人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

カテゴリ:2000年前半( 33 )

[春日井&愛知編] 「全人類トーストマスターズ」

3月12日(日)、犬山観光センターフロイデにて、全日本論評コンテストとディベート大会が開催された。論評コンテストが愛知、ディベート大会が春日井クラブの運営であった。私はディベート大会で熊本の嶋村氏とペアを組むことになっていたので、名古屋から犬山まで名鉄線で移動する間、嶋村氏と打ち合わせをしていた。前の晩は飲み会で疲れていたこともあり、考える余裕すらなかったが、一晩寝たらすっきりしてディベートのアイディアが色々と浮かんできた。嶋村氏とは立論、尋問などの担当分けをし、後は出たとこ勝負ということにした。

犬山観光センターフロイデは、犬山駅から歩いてすぐの所にある会議室やホールを備えた施設で、名古屋地区のクラブがよく利用する施設である。私は6月のエリア4コンテスト以来2度目の来訪で、道順もよく覚えていた。センターに行く前に嶋村氏と別れて駅前のコンビ二で小道具を仕入れた。マジックや両面テープなどである。当初は考えていなかった視覚器材を用いることを思いつき、図を描くことにした。

午前中にまず論評コンテストが行われた。キルバラニガバナーの開会挨拶、東海クラブの浪川審査委員長の審査基準等説明に続いて、春日井クラブ嶋田氏によるテストスピーチが始まった。題は「全人類トーストマスターズ」。トーストマスターズの現状と将来をプロジェクター映像を見せながら熱っぽく説かれていた。当時最も先鋭的なトーストマスターだった嶋田氏らしいプレゼンで、えっ、これがテストスピーチ?という気もしたが、聞いている分にはもちろん楽しめる内容であった。嶋田氏は工業高校の先生ということもあり、スピーチのみならず電気的な小道具の開発もお手の物であったが、この会では特にプロジェクターの使い方が画期的だった。プロジェクターを2台使い、一つは自分の説明用、もう一つは会場の後ろに映し出して、パソコンでプログラムを組んだタイマーを映し出すというものであった。嶋田ワールド全開という感じだった。
b0108857_1249180.jpg

出場者は7名だったが、論評者泣かせのスピーチで論評は難しい気がした。私の所属クラブからは江戸から三村氏、武蔵から小島氏が出場されたが、それぞれ2位、3位と大健闘であった。1位には知性溢れる論評で東海の土屋氏が輝いた。
b0108857_16485411.jpg

昼食はコンテスト会場の隣室でポットラック形式で行われ、この場を利用して東海クラブのチャーターセレモニーが行われた。キルパラニ氏より会長の加藤氏にチャーター証書が手渡され、コンテスト参加者全員でチャーターを祝った。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-01-03 02:46 | 2000年前半

[東海編] 即席ペアでディベート準備

東海の例会後、会場の名古屋市芸術創造センターの1階喫茶室で2次会となった。この頃は居酒屋に流れるような2次会は行っておらず、健全なものであった。この後、加藤氏と石川氏が、私と熊本から来られる嶋村氏、大住氏を接待して頂けるとのことで、一旦名古屋駅に出て、嶋村、大住の両氏と合流してから、場所を名古屋から金山の手羽先屋に移しての飲み会となった。大住氏はこの年の熊本クラブ会長で、翌日の論評コンテストに出場、そして嶋村氏は私と即席ペアを組んでディベート大会へ出場する予定になっていた。今回のディベート大会は運営クラブの春日井の裁量で、クラブとしての出場が困難な場合は他のクラブと合同でよいということになっており、ここに武蔵・熊本の合同チームが結成されたわけであった。

名古屋名物の手羽先を堪能した後、私と嶋村氏は嶋村氏のホテルのロビーへ移動して翌日の打ち合わせをした。ディベートの資料は既に参加者に送られていたので、どういう筋書きで論題をまとめるかの話をした。といっても即席ペアなので、あまり細かい打ち合わせはできない。朝早くに東京を出て、飲み疲れもあって、翌日の行きの電車の中で改めて話しましょう、ということにしてこの日は解散した。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-11-17 02:17 | 2000年前半

[東海編] 初参加は高速バス6時間の旅で

3月12日、犬山にて春日井と愛知クラブの共催で全日本論評コンテストとディベート大会が行われることになっていた。その前日(3月11日)がちょうど東海クラブの例会日だったので、前日から名古屋入りすることにした。

東海クラブは、江戸OBの浪川氏や鎌田氏が始められたクラブで、チャーターに漕ぎ着けるまでには長い歴史がある。この年、晴れて武蔵に続いてチャーターを果たしたので、一度例会に参加したいと思っていた。浪川氏や鎌田氏などの顔なじみのメンバーがいる他、武蔵のチャーターセレモニーや台湾ツアーなどで既知の仲になっていた加藤氏や渡辺氏が参加されているなど、親しみ易さもあった。

例会は名古屋駅から地下鉄で3駅ほどの名古屋芸術創造センターで開催されており、交通の便も良いのだが、私は安さ重視で東京から東名ハイウェイバスで名古屋まで行くことにした。14時の例会に間に合うためには始発に乗る必要があるので、東京駅発7時の便に乗車した。予約制ではなく先着順なので、定員に達すれば1時間待って次の便に乗らねばならない。そのため、7時発であっても6時くらいから並んでいた。私が行った時は既に20人くらいが並んでいた。高速バスなので途中の道路状況によっては遅れる可能性もあるのだが、この日は比較的順調に小牧ICまでは5時間程度の道のりであった。しかしそこから市街地に乗り入れると途端に渋滞が始まった。これが大きな誤算であった。道は名古屋駅へ向かう一本道なので、渋滞はひどくなる一方。道路の下は地下鉄が並走しているため、途中の星が丘で降りて地下鉄に乗り換えた。例会場には14時過ぎに着いた。

例会は既に始まっていた。女性が多いのと比較的年齢層が近い方が多い、というのが第1印象であった。和気藹々とした雰囲気は親しみ易く、入会してもいいかな、と思わせるものがあった。この日は翌日に論評コンテストとディベート大会を控えていたため、それらを意識した構成になっていた。プログラムを一瞥すると自分たちのクラブで作っているプログラムとは書き方が異なり、テンプレート方式で必要事項を毎回書き込めば済むようになっていた。特に各役割の人の名前がプログラム上部にまとめられ、その下が時間割りになっている点が独特であった。聞けば嶋田氏が作成されているものを使っているとのことで、後年私も響他で少し真似させて貰った。

この日の総合司会は渡辺氏。まだ東京進出を果たす前のことだ。テーブルトピックスの司会は石川氏で、翌日のディベートにも出場するからか、ディベートの論題を含んでいた。私も当てられたが、私もディベートに出場するため、適当にぼかして答えておいた。

その他の役割も著しく呼び方が異なっており、例えば「集計係」は「集約係」、「えーとカウンター」は「アーウーカウンター」、「文法係」は「ワードマスター」、「(準備)スピーチ」は「プリペアードスピーチ」とそのまんま。これが東京と名古屋の違いか、などと思ってしまった。また表彰では通常の3賞の他に、その日楽しませてくれた人に贈る「ユーモア賞」などがあるのが目新しかった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-10-16 13:00 | 2000年前半

[武蔵編] 笑わせるって難しい!?

3月9日の第34回例会は、4月に行われるユーモアスピーチコンテストのクラブコンテストであった。ユーモアスピーチコンテストは日本語クラブでは前年度から行われるようになったが、武蔵としてはもちろん初めてであった。ユーモアスピーチが通常のスピーチとどう違うのかをまず知って頂くために、梅本氏が前年度のコンテストで行ったスピーチ「東京生まれの阪神ファン」をモデルスピーチとして披露した。ユーモアスピーチはユーモアと冠して行うだけに、笑わせることが前提になるため、通常のスピーチとは異なって難しい。普通に話して話の流れの中で笑いを取る事はあるだろう。笑わせることがテーマとなるスピーチの難しさをまず実感した。

コンテストの方は出場者5名で、私も司会件出場者として参加した。審査委員長は山下氏。他の出場者は、滑川、加藤、今井、高木の各氏で、それぞれの持ち味が発揮されたユーモアスピーチとなった。滑川氏のスピーチは例によって教養のあるお話で、笑いを取るというよりは、これぞユーモアといった品のあるスピーチ。加藤氏は笑わせる事をかなり意識した、全身を使っての表現力あるスピーチ。今井氏は笑いの小話のオンパレードで、自分で自分の話に笑ってしまって、その話し方が笑いを誘っていた。高木氏は女性をテーマに他の方とは切り口を変えたスピーチであった。そして私は過去の実体験の内、生死を分けるような体験談を話したのだが、リアル過ぎて笑いを取るのは難しかった。

結果は1位加藤氏、2位今井氏。3位が私で、上位2名が当日参加できないということで、私が武蔵代表になった。内容に関係なく最も場内爆笑だったのは間違いなく今井氏であったが、スピーチで笑わせていたわけではなかったので、この結果になったと思う。

例会の最後のクラブ会議では、台湾の平和クラブとの姉妹提携が話し合われた。というのも4月のコンテストに平和クラブを中心とした台湾のメンバーが来日されるとのことで、平和クラブの方からこの話が持ち込まれたからであった。武蔵としては特に異議はなかったのでこの話を受けることにした。

この回、他に特筆する点があったとすれば、クイズ王で有名な能勢氏夫妻の参加があったことだろう。後に入会して、クイズ王としての経歴が明らかにされていったが、この時はまだ武蔵に入るのかどうかもわからない感じであった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-09-28 18:58 | 2000年前半

[武蔵編] 全てはマニュアルの中にあるのか?

2月24日の第33回例会ではある試みが行われた。例会の進行をマニュアル通りに行ってみる、というものである。何を当たり前のことを、思う向きもあるだろうが、実はマニュアルの進行例にあるような例会は、これまでに参加したクラブでは見たことがなかった。武蔵クラブは前にも述べたが、設立当初はさまざまなクラブのいいとこ取り、ならぬ折衷案で例会が行われていた。しかしチャーターを果たして新しい会員の方が増えてくると、例会がマニュアル通りに行われていない、という声も出始めて来たのである。これは当然のことで、我々は入会当初のやり方に馴染んでいるが、新会員の方々にすればマニュアルに書いてあることが全てで、実によく読まれている。そこで、それではマニュアルの進行例通りに例会を行い、ディスカッションをしようということになった。

今夜のトーストマスターは私が務めた。進行例通りに行うとどの様な流れになるのか。まず、開会後はゲスト紹介、運営会議、入会式で、その後総合司会者へ交代。次に役割紹介に移るが、ここでまずその日の役割担当者が全て紹介される。この中にはテーブルトピックスマスターや総合論評者も含まれる。逆に割愛されているのが集計係で、これは司会者が兼務で行う。TMの基本的な役割には実は集計係は存在しない。人数に余裕があれば別に立てるという付加的なものなのだ。

役割紹介後にテーブルトピックス。計時係の報告は最後に一括で行うことになっているので、ここでは行われず、休憩に入る。休憩後にスピーチ、その後総合論評者に司会を交代して、以降は総合論評者が例会を仕切るが、順番は個人論評、時間報告、文法報告、そして投票及び集計となり、最後に総合論評が行われる。時間報告と投票が最後にまとめて行われるのである。

総合論評後は総合司会に司会を戻し表彰式となる。最後にゲストコメントを頂いて閉会。例会後にみなでディスカッションを行ったが、かなり違和感があるということで、元の鞘に収まることになった。違和感のあった部分は2箇所で、休憩時間の取り方と時間報告と投票をまとめて行う部分であった。

最近は「基本に忠実に行う」というスローガンを掲げるクラブも増えて来たが、例会のやり方を全員で考えるには、まずモデル例会としてマニュアル通りに行うのが筋ではあるだろう。特にクラブを新設する場合、発起人の経験が反映されてしまう傾向があるので、ここは注意したいところだ。しかしマニュアルに示されているのはあくまでも例に過ぎないので、試行錯誤すれば良い。そしてTMの運営に関わる部分を忠実に守っていれば、クラブの質は維持されると思う。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-08-17 13:30 | 2000年前半

[江戸編] 予期せぬ照会

ゲストからの問い合わせと言えば、今ならメールが当たり前だが、この頃はまだ電話、それも固定電話による問い合わせが一般的であった。私もまだ携帯電話は持っていなかった。その様な時代の2月15日、拙宅に1枚のFAXが届いていた。文面は次のような内容だった。

「グレアムHハリス様より連絡先をお聞きし、FAXさせて頂きました。トーストマスターズクラブの日本語クラブの案内がございましたら、お送りいただきたくお願い申し上げます。」

発信者は銀座にある某御茶屋さんで、女性名によるものであった。翌日、電話して話をした所、何でもこの会社の社長がトーストマスターズに興味を持ち、社長秘書であるこの女性が私にFAXを送ったということで、社長が何かの会でハリス氏と知り合い、TMつながりで私の所へ連絡が来たという経緯であった。当時ACCJクラブ(現青山ランチ)のハリス氏とは直接の交流はなかったものの、前にも述べた通り、著書を送って頂いたりしており、察するに当時の会長名簿から、都内の日本語クラブとして、江戸クラブの私の所に照会があったということだろう、と思った。

私は江戸のクラブ案内をこの女性宛で送ったが、社長が例会を見学されるには至らなかった。もし見学に来られていたらまた違った展開があったかも知れない。トーストマスターズでは会社の肩書きなどは関係ないので、時々有名な企業の重役の方が参加されたりしてびっくりすることもある。スピーチを通してその様な方々とざっくばらんにコミュニケーションが取れる機会があるのもまたこのクラブの面白い所だろう。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-08-17 12:47 | 2000年前半

[武蔵編] 東京バイリンガルと初の合同例会

大宮西高での社会人講師の日の夜、武蔵と東京バイリンガルとの合同例会が行われた。場所は東京バイリンガルの当時の本拠地、東京国際フォーラム地下の東京都生涯学習センターの会議室であった。武蔵にとっては初めての合同例会で、相手が東京バイリンガルというのも、立ち上げ時に私やパイザー氏などが関わっているので自然な成り行きであった。

この話は最初東京バイリンガルの石津会長から持ちかけられ、有楽町開催というのも当時はまだ武蔵のメンバーも東京周辺の方が多かったので、特に反対意見もなく決まった。私にとっては久しぶりの東京バイリンガルの面々との邂逅だったが、当日行って驚いたのは両クラブ合わせての参加者が約20名であったこと。特に東京バイリンガルは私が退会してからまだ半年しか経っていなかったにも関わらずメンバーが激減したようで、一つの勢力を保っていた外国人会員も3名しか残っていなかった。内一人は江戸から移籍した小俣S氏であった。

司会は東京バイリンガルの中心メンバーである町田氏。この方がいなければ東京バイリンガルは成立しないというほどの方であったが、結局は後に退会されてゆく。私はテーブルトピック担当で、その日に行われた社会人講師ネタで出題した。スピーチは両クラブから2名ずつで、武蔵が加藤氏と滑川氏、東京バイリンガルがマッキンタイア氏と小俣S氏。加藤氏の壁に頭をぶつけるパフォーマンスのスピーチが体を張ったスピーチとして印象に残っている。

論評は武蔵が梅本氏、佐藤氏、渡辺N氏、東京バイリンガルが大嶋R氏。東京バイリンガルはコール氏の名前があったが欠席されたので、渡辺N氏が急遽入った。総合論評は会長の石津氏が行った。東京バイリンガルの参加者を見ていると、私が会員だった頃から残っているコアなメンバーがほとんどで、日本語だけの例会だったから、曜日が木曜だったからということも考えられた。しかしこの後の会員数の減少には歯止めが掛からず、長い長いトンネルへと潜り込んでいった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-07-26 16:29 | 2000年前半

[武蔵編] 束の間、教壇に立つ

2月18日の木曜午後、私は社会人講師として大宮西高校の教壇に立っていた。高校1年生を相手に、「地域の社会人から生き方を学ぶ」という趣旨の下、私の生き方についてスピーチするためであった。なぜこのようなことになったのか言えば、それは武蔵クラブの会員に同校教員だった近藤K氏がいたからである。進路指導の一環として、社会人講師を招いてロングホームルームの時間に「私の生き方」や「私の高校時代」などのテーマで話をしてもらうという企画があるので、武蔵からもどなたかにお越しいただけないか、ということで私にお鉢が回ってきたのであった。

トーストマスターズでいくら人前で話す練習をしているからといって、私のような一般の会社員には外部でスピーチをする機会などそうそうあるものではない。平日なので休みを取る必要があるが、好奇心も手伝って私はこの話を引き受けることにした。1年生は8クラスあり、内2クラスが女子クラス。社会人講師は1クラス2人づつで合計16人、一人の持ち時間は20分ということだった。20分のスピーチなどそれまでしたことがなかったので、事前に武蔵と江戸の例会でリハーサルすることにした。テーマは「私の生き方」で、転職を通しての生き方の価値観の変化などについて話した。

トーストマスターズからの参加者は私一人で、後は西高の卒業生や地域の職業人の方などが主な顔ぶれであった。私と同じクラスになった方は住宅関係の営業マンとのことで、会社員生活の悲哀などについて話されていた。クラスに入って驚いたのは、時代を反映してか茶髪やガングロの生徒が多かったこと。茶髪はまあいいとしてもガングロの生徒が実際に学校の中にいるということにたじろいだ。近藤K氏によれば、今はそれが普通なのだという。高校の教室に足を踏み込むなど、何十年ぶりかの体験だったので、世代間格差のようなものを感じた。

それでもいざ話だすと、みな結構真面目に聞いてくれたようで、私も話を逸らさないように、失恋体験や燃え尽き症候群などの体験談を織り交ぜながら、「人生のリセットはできないが、生き方の選択はできる」という大層なメッセージで話をまとめた。終わったあとで生徒が書いた感想文を読み返すと、話の細かいところまで聞いてくれていたり、共感してくれたりで、こちらが逆に励まされた。トーストマスターズの教えを身をもって実感することになった。

このイベントは以降毎年続くことになり、いつの間にか講師はトーストマスターズで占められるようになった。武蔵ができ、近藤K氏との出会いがなければこのような流れにはならなかっただろうと考えると、人の縁とはつくづく異なものである。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-07-26 15:03 | 2000年前半

[武蔵編] 紳士登場

2月10日の第32回例会は武蔵の論評コンテストであった。武蔵クラブも当然この時期はコンテストシーズン突入で、この時期に入会された方の中には、「コンテストばかりやっている」という感想を述べられる方もいた。私も初見学の時はちょうどスピーチコンテストの最中だったのでその気持ちは理解できる。たまたま見学に来た時がコンテストだったりすると、なかなかその時の印象が残ってしまうものか知れない。

この回、一人の見学者があった。高橋M氏である。身なりよく、話し方も落ち着いて、人との接し方を心得ている方というのが第1印象であった。聞けば幼稚園の園長をされているとのことで、確かに人格者の風格をも漂わせていた。後で年齢を尋ねたら私とは1歳しか違わないということで、驚いたものである。

さて、この回は論評コンテストということで、ワークショップを行ってからコンテストに入った。大嶋R氏を久しぶりにお招きし、テストスピーチをお願いした。参加者の少ない回で、出場者も3名ほどしかいなかったので、初ゲストだった高橋M氏にも出場を促したところ快諾された。今だったらまず許されないだろうが、オープン参加ということで、審査結果には含めないという条件でお願いすることになった。

大嶋R氏のスピーチの後、4名の出場者による論評となった。高橋M氏の論評は初めてとは思えない落ち着いた語り口で、特に他の方が指摘されなかった服装への言及があったことが印象的であった。結果は論評には定評のあった梶村氏が1位、高橋M氏は3位。梶村氏は全日本コンテストへは行けないとのことだったので、2位の小島氏が出場することになった。

高橋M氏はもちろんこの後入会され、全日本スピーチコンテスト2位、武蔵会長就任など、武蔵には欠かせない人材となった。同氏に関するエピソードの数々は折に触れてまた紹介したい。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-07-23 17:34 | 2000年前半

[江戸編] 通過点

江戸クラブの新年は1月18日の第242回例会で幕を開けた。例会最初にまず大嶋R新会長の就任挨拶が行われた。大嶋R氏の会長就任はピンチヒッター、否リリーフ的な印象が強かった。それは別に4月に辞任されてしまうから、ということではなく、この時点でもまだ東京バイリンガルには籍を置き、JTCの前ガバナーでもあったので、江戸会長という強い印象は持ち得なかったというところである。

1月から3月まではコンテストシーズンとも重なり、月に1度はクラブコンテストが行われるような状況だったので、例会もバタバタとしていた。この例会の次の例会はもう論評コンテスト予選で、武蔵から加藤氏をテストスピーカーにお招きし、論評コンテストが行われた。優勝は三村氏で、テーブルトピックスコンテストに続いての出場となった。

続く2月15日の第244回例会は、私にとっては大宮西高社会人講師の直前の例会だったので、武蔵に続いてリハーサルを行った。上級のプロの話し手マニュアルの1番目「基調講演」でのスピーチで、時間が15分から20分でちょうどよかった。この回は久しぶりに参加者が10名を越え、庄司氏が久しぶりの参加でスピーチをされていた。大嶋R
氏が仕事上のおつき合いのある方をゲストとして連れてこられたのが大きかったのだが、その中のお一人は元NHKのアナウンサーということで、確かに話し方自体が我々とは次元が異なるような印象を受けた。

そして3月7日の第245回例会が、これまたユーモアスピーチコンテストの予選会で、審査員には武蔵の滑川氏や東京バイリンガルの石津氏をお招きした。私を含めて4名の出場者だったが、優勝は榊原氏であった。ディストリクトになると開催するコンテストは制限されるとのことで、JTC最後の年度は、テーブルトピックス、論評、ディベート、ユーモアスピーチ、そしてスピーチコンテストが駆け足で行われた。江戸はこの年度はコンテスト運営を免れているので、比較的余裕があるように見えたのかも知れないが、少ない人数で出場者を繰り出すことに異論を持たれる方もいた。クラブの活動はコンテストありきではもちろんないのだが、立て続けに行われるとそのような印象を持たれる方もいるということだろう。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-07-21 11:04 | 2000年前半