人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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カテゴリ:2000年前半( 33 )

[さくら編] 桜色vs黄金色・東京との合同例会

4月6日(木)大手町のM物産ビルで、さくらクラブと東京クラブとの合同例会が行なわれた。弱小クラブと大クラブの顔合わせという感じだったが、さくらの方が引けを取っているような感じはなかった。それはやはりメンバーが実力派揃いということもあったと思う。決して贔屓目ではなく。ただ、それまで東京との接点はあまり感じなかったので、何故合同例会を行なうことになったのかはよくわからなかった。

大手町のM物産ビルといえば当時の東京の本拠地で、私からすれば何となく敷居が高い感じだったが、この合同例会のおかげで初めて足を踏み入れることができた。大手町の地下鉄出口に直結したビル入り口にタリーズがあり、東京のメンバーはここでよく飲み物を仕入れてから会議室に足を運ぶようだった。

当日の参加者は両クラブ合わせて30名弱、内さくらは10名弱というところで、さくらとしては参加率がよかったと思う。東京との合同例会は、私は東京バイリンガル参加時に経験済みだったので、東京のメンバーには顔馴染みも多かった。大御所の我妻、P藤山氏や植木氏、ガバナーのキルパラ二氏や前年のコンテストに出場した福井氏など、私から見れば錚錚たる顔ぶれだった。当時の会長はカーツ氏で、P藤山氏によればこのカーツ氏とキルパラニ氏が当時の東京の2枚看板ということだった。

今夜のトーストマスターは超ネアカ人間のクイグリー氏。自他共に認める陽気なキャラクターで、翌年度の江戸と東京との共催によるスピーチコンテストでは中心となる人物だった。例会プログラムはさくらクラブに敬意を表してか、それとも単に桜の季節だからか、ピンク色の用紙で印刷してあった。私の役割はアーカウンターで、少ない見せ場で目立つため、吹き出しの小道具を作って持参した。カーツ氏が例会後に感想を寄せてくれた。テーブルトピックス、スピーチ、論評とも両クラブ均等に振り分けられたので、テーブルトピックスも2ラウンド行なわれた。さくら側のマスターは当時ビジュアル面での看板だったC山田氏。何故さくらに参加していたのかよくわからないほどの美貌の外国人女性で、合同例会では東京のメンバーの注意を引くのに十分だった。

スピーチは会長対決ということで、カーツ氏と斉藤氏が行なった。二人とも後のスピーチコンテスト出場予定者であった。論評は両クラブ大御所対決で、東京が富田、植木、さくらが児玉、青木氏。総合論評はP藤山氏。P藤山氏は何を思ったのか、この後さくらに入会することになった。

例会後は東京クラブ恒例のソーシャルアワー。東京は2次会を行なわないので、例会後は同じ部屋に軽食を持ち込んで、30分ほどの歓談の時間を持つのが慣わしだった。しかしさくらのメンバーはそれでは物足りないので、その後で2次会へと流れた。

私見としてはこの前後が東京クラブの黄金期だったと思う。もちろん50年以上の歴史を持つクラブなので、それぞれの年代での黄金期があるとは思うが。私はこの後、コンテスト、新クラブ設立と2005年頃まで東京のメンバーとはよく関わる事になったので、この合同例会は顔合わせ的な意味を持っていた。
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by inv-pyramid | 2009-01-16 15:58 | 2000年前半

[武蔵編] JTC最後のコンテストを目指して

この年度、1999-2000年度はJTC時代としての最後の年度であることは前にも述べたが、その最後を飾るコンテストの通知が私の元へ届いていた。日本語のスピーチコンテストは名古屋クラブの運営で、6月11日に犬山で開催、そして英語のスピーチコンテストは関西クラブの運営で、6月24日に神戸で開催ということであった。この内我々に関係あるのは日本語のコンテストだったが、英語のコンテストへも日本語クラブからの出場は可能ということで(現在と同じ)、それぞれのコンテストへ出場者を送ることになった。英語のコンテストについてはその前段にエリアコンテストがあるので、まずはそちらへ出場者を出すことになるのだが、これについてまた後述する。

さて、日本語のオールジャパンスピーチコンテスト(名古屋はバイリンガルクラブのため、表記にはやや英語色が漂う)に出場者を出すためのクラブ予選は5月11日の第38回例会で行なわれた。出場資格はこの時代は基本マニュアル#4まで修了していればよしとされていたので、例会に参加できる人で武蔵の有資格者は近藤K氏、梶村氏、佐藤氏の3人になった。私は翌週に江戸の予選もあったので、武蔵の方はコンテスト委員長に徹することにした。審査委員長は武蔵の会員でもある山下氏。

結果は1位梶村氏、2位佐藤氏、3位近藤K氏となったが、梶村氏と佐藤氏は犬山へは行けないということなので、近藤K氏が武蔵からの代表ということになった。1位の梶村氏は論評コンテストでも1位になったほどで、この頃の武蔵会員の中ではスピーチの安定感は抜群の方だった。全国レベルコンテストへ一度も出場されないまま、後に退会されたのは甚だ残念なことであった。近藤K氏は既に10本のスピーチは修了されていたので、実績は申し分なく、初出場となるコンテストに期待がかかっていた。
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by inv-pyramid | 2009-01-12 21:09 | 2000年前半

[武蔵編] 個性豊かな顔ぶれ

4月になるとまた続々と個性的な顔ぶれが武蔵に入会してきた。4月13日の第36回例会では、近藤K氏に伴われて当時大宮西高にALTとして赴任していたイードリス氏が例会に参加した。このイードリス氏、アメリカ人の大柄な黒人女性で、パワフルで気さくな人柄が親しみやすい方であった。ご子息を伴っての来日で、ご子息も日本の高校に通われていた。後に入会早々英語のコンテストに出場され、一波乱があったりもしたが、ブラックパワーとでもいうのか、スピーチにおける声の使い方は迫力満点だった。次の例会ですぐ入会されることになった。

お花見にも参加された能勢氏は、知る人ぞ知るクイズ王で有名な方で、アメリカ横断ウルトラクイズで優勝したこともあるという。そんな有名人が武蔵に入会されたのは、スピーチの練習はクイズにもつながるということで、確かに後にテレビ画面でその雄姿を拝見した時は、その理由もわかる気がした。テーブルトピックスなどは特に相通じるものがあるのだろう。4月27日の第37回例会での初スピーチ、「趣味によって変わった人生」でその経歴が明らかになった。

このような個性豊かな顔ぶれが創立以来、入れ替わりに入会していたのがこの頃の武蔵の特徴で、それぞれの持ち味が小気味よくクラブにブレンドされていった。
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by inv-pyramid | 2009-01-12 20:47 | 2000年前半

[武蔵編] 浮間公園で2回目のお花見

4月9日の日曜日に板橋区の浮間公園で2回目のお花見会が行なわれた。武蔵の花見イベントは現在は行なわれていないが、創立以来何年かは続けられた。時期は開花に合わせるため、3月だったり4月だったりしたが、この年は遅咲きだったので4月第2週であっても十分観賞可能であった。9日なったのは、1日がユーモラスコンテストだったこともあった。

晴天に恵まれたこの日は、梅本ファミリーや佐藤氏、私の他、入会されたばかりの高橋氏、太田氏、そしてゲスト参加しただけでまだ入会前だった能勢氏夫妻の参加があった。陣取った場所は前年と同じくわかり易さで風車の近くにした。但し、前年は事前に川上氏が場所取りをしてくれたのだが、今回は場所取り要員がいなかったので、他のグループが陣取っていた場所の隙間を埋めるような形になった。

各自持ち寄り形式で、前回の時に得意料理などもわかっていたので、同じものが持参されてないと、「何で?」などと尋ねたりもした。2回目なので手際よく準備できたと思う。このようなイベントが気軽に行なえるのが地域クラブの良さである。
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by inv-pyramid | 2009-01-12 20:14 | 2000年前半

[武蔵編] スピーカーズ・ビューローへの招待

トーストマスターズにはスピーカーズ・ビューロー(Speakers Bureau)という講師派遣制度がある。これについては私のもう一つのブログ、「今夜もトーストマスターズに乾杯!」で説明したので、詳しくはそちらに譲るが、トーストマスターズの会員に外部でスピーチする機会を斡旋する制度のことだ。前に述べた大宮西高での社会人講師などの機会もその一つである。

この制度の元で梅本氏がある企画を立てていた。4月にある企業で行なう新人研修に梅本氏と私が講師として参加するというものである。元々は12月に見学に来られたゲストの方から持ち込まれた話で、その方は会社の新人研修にTMを使えないか、ということで武蔵に見学に来られたのだった。梅本氏は早速スピーカーズ・ビューローの趣旨に乗っ取って企画書を作成し、その企業に送った。私は補助員として声を掛けられたのだが、一般企業の新人研修にTM会員が講師を任されるということには半信半疑であった。もちろん実現すれば素晴らしいことである。この時点では私はまだスピーカーズ・ビューローには登録していなかったので、当時世話役を務められていたP藤山氏から、後日登録に関する資料が送られてきた。梅本氏が登録を要請されたのである。

この様にしてかなり根回しがされていたが、結局この話は流れた。理由は不明である。実績がないからかな、と私は思っていた。自分が受けた会社の新人研修などは、TMのスピーチ訓練とほとんど変わらないことを考えると、もし実現していれば案外できたのかも知れない。本来地域貢献のボランティアの活動なので、たとえ流れても文句を言う筋合いでもない。この後何件か同種の話があって、実現したものもあるので、果報は寝て待てということだろう。
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by inv-pyramid | 2009-01-12 19:06 | 2000年前半

[江戸編] 最早、風前の灯!?

実質的には5月の例会から私が会長代行としてクラブを取り仕切った。5月の例会からといっても第1火曜は連休で休みのため、第3火曜から。つまり残すところ3回というわけである。その5月16日第249回例会だが、会員3名、ゲスト2名というお寒い状況だった。コンテストの前後も一桁台の出席者数は改善されず、そこへ来ての会長降板劇で、もはや江戸も風前の灯かと思われた。

しかもこの状況で、6月に行なわれる全日本スピーチコンテストのクラブ予選を行なうことになっていた。出場者は私を含めても2名しかおらず、この日は今夜のトーストマスター、テーブルトピックマスターに加えてコンテストスピーチも行なうという有様だった。もう一人の出場者はユーモラススピーチコンテストで優勝した榊原氏。残る会員参加者は4月に入ったばかりの織田氏なので、流石にコンテストには出場させられなかった。この織田氏であるが、元々は横浜クラブに見学に来られた方で、先のユーモラススピーチコンテストにゲスト参加された際に日本語スピーチに興味を示され、江戸に入会されたというこの時期には貴重な入会者であった。審査委員長には、はまの山下氏をお招きした。

コンテストは2名なので盛り上がるわけもなかったが、その分話すことには集中できたと思う。結果は私が1位で、名古屋で行なわれるスピーチコンテスト出場を決めた。私のスピーチは父親との関係を綴ったもので、以前から話してみたいテーマだったが、難しいテーマなのでこの回限りとした。

クラブコンテストは別の日に行なえばよかったのかも知れない。しかし2ヶ月に1度の割合でコンテストの予定が組まれていた状況では、それも難しかっただろう。人数が少ないので、いつ行なっても大して変わらないのだ。この回などは私以外の会員参加者はここ1年の間に入会された方ばかり。しかも年齢は私より上。クラブ存亡を掛けての正念場というのがこの時期であった。
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by inv-pyramid | 2009-01-07 01:51 | 2000年前半

[江戸編] 舞台裏の憂鬱

成功裏に終わったかに見えたユーモラススピーチコンテストだったが、舞台裏では思わぬ、いやある程度予想された余波が訪れた。あるスピーチを巡って事件が起こったのである。東海から出場された成瀬氏の「抑止力」という題のスピーチが中日関係に触れていたのだ。台湾のメンバーが参加されている席でこのようなスピーチは配慮がないと言えた。

実はこのスピーチは私が3月に東海クラブを訪問した時にもされていて、微妙なものを感じたのだが、それが現実のものとなった。台湾の方々は表立って何かを言うようなことはなかったが、JTC役員として参加されていた大嶋R氏がこれを遺憾に思い、突如としてトーストマスターズ脱退を宣言。JTC前ガバナーという要職はあっさりと放棄された。当然江戸クラブも退会ということになり、江戸は今期2度目の会長交代を余儀なくされた。残り2ヶ月強の期間は私が会長代行を務めることになった。

以前、韓国人ゲストに対する差別発言を巡っての際にも同様の悶着があったが、それが再現された格好になった。このような事態が起こったときはどうすればよいのか。コミュニケーションの取り方を学ぶ者としては、外国人への接し方、そして組織内部のトラブル発生時の対処の仕方など、多くのことを考え、学ぶきっかけにもなった。そしてトーストマスターといえど、コミュニケーションの取り方については人それぞれの考え方があるということも。
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by inv-pyramid | 2009-01-03 23:59 | 2000年前半

[はま&横浜編] 場内爆笑!!ユーモラススピーチかくあるべし

4月1日(土)、奇しくもエイプリルフールのこの日、横浜ランドワークタワーにあるフォーラムよこはまにて、「2000全日本ユーモラススピーチコンテスト」が開催された。前年までは「ユーモア」スピーチコンテストとして開催されていたが、今回は初めて英語クラブと共催するということで、コンテスト名も英語に合わせて「ユーモラス」と改められた。最も発音に忠実にするなら「ヒューモラス」ということになるのだろう。

13時からのスタートで、前半が横浜クラブによる英語コンテスト、後半がはまクラブによる日本語コンテストという順番で行なわれた。ただし、別々に行なうのはコンテストの部分のみで、開会や閉会、表彰式などはバイリンガルで行なわれた。この方式には今でも賛否両論あるが、1日で両言語のコンテストを行なう場合は有効だと思う。

開会の挨拶は横浜の中尾会長、はまの山下会長が並び立って行なったが、実際に話していたのは中尾氏のみで山下氏は添え物感が強かった。これは段取りが良くなかったのだろう。続いてはキルパラニガバナーの挨拶、そいて今回台湾からの訪問団代表として平和クラブ李氏が挨拶された。台湾からの訪問団の今回の最大の目的は翌日に名古屋で行なわれた合同例会の方にあった。英語のコンテストは総勢10名の出場者で、初めて見る顔ぶれが多かった。優勝は当時のACCJから出場したヤングマン氏。温泉をテーマにしたスピーチで、表情や手ぬぐいを使った仕草はいかにもユーモラスで文句なし。2位はコンテスト常連のコール氏で、リストラがテーマ。3位は横浜から出場の浅井氏で、クイズ番組で使う○×表示器を使ったスピーチがユニークでった。後にやまのてで女房役となる浅井氏との出会いはこの時が初めてだったが、まだ言葉を交わすには至らなかった。
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続く日本語コンテストははまクラブが運営。今回は台湾のクラブからの参加もあり、特別枠で桃園成功クラブの瀟氏が出場された。総勢9名の出場者の内、江戸からは榊原氏、そして武蔵からは都合が悪く不参加となった加藤氏に代わり私が出場することになった。私のスピーチは準備期間も短かったので、不出来だったクラブコンテストとは内容を変え、以前東京バイリンガルで披露したスピーチを少しアレンジし、「青天の霹靂」と改題して行なった。リハーサルも十分ではなかったが、いざ始めてみると場内爆笑で、特に最前列で座っていたヤングマン氏が身を乗り出して大受けしてくれたのが印象的であった。結果は榊原氏が1位、はまの東氏が2位、私が3位という順であった。
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日英のクラブが共催で行なうコンテストは前年の論評コンテスト以来久しぶりだったが、今回はその相乗効果がいい形で表れたと思う。タレントも豊富で、何よりユーモアスピーチの競演という舞台設定がよかった。ただし、後日後味の悪い結末を迎えることになった。
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by inv-pyramid | 2009-01-03 16:16 | 2000年前半

[武蔵編] コンテストの狭間で

論評、ディベートのコンテストが終わったのも束の間、次のコンテストが近づいていた。ユーモアスピーチコンテストである。はま、横浜クラブ合同運営による日本語と英語の全日本ユーモラススピーチコンテストは4月1日(土)に予定されていた。そのコンテストを控えた3月23日の武蔵第35回例会のプログラムは盛りだくさんの内容であった。

まずは2月の例会で鮮烈なデビューを飾った高橋氏の入会式。以後の武蔵クラブの核となる人材であった。テーブルトピックスでは、梅本氏が一人ディベートとして、色々な社会問題について肯定、否定の意見を述べさせる形式で行った。「介護」、「総合学習」、「401K」などの出題を見ていると時代を感じる。

3本のスピーチと論評の後は、ユーモラススピーチコンテストに武蔵代表として出場する加藤氏のリハーサルが行われた。「カベとベカ、バカとカバどちらも当たると痛い?」という珍妙な題、壁に体当たりする演技もあるスピーチは熱がこもっていた。

例会の最後では、今回のコンテストに合わせて来日される台湾の平和クラブに対して、姉妹クラブである武蔵として何かお土産を渡そうということになり、その内容について話し合われた。埼玉の名産品が良いということで意見が一致し、草加煎餅を贈ることになった。後日私がまとめ買いすることになったのだが、煎餅とは嵩張る物であるということが購入時によくわかった。
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by inv-pyramid | 2009-01-03 03:00 | 2000年前半

[春日井&愛知編] 肯定か否定か・いざ論戦の時

昼食を挟んで午後からはディベート大会が行われた。コンテストではなく何故大会なのかと嶋田氏に尋ねた所、ワークショップとコンテストを行うので大会です、ということであった。春日井の伊地知氏による司会進行で、まず嶋田氏によるワークショップが行われた。内容はディベートのルールと進め方に関するもので、午前同様視覚器材を駆使してわかり易く説明された。
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続いてのコンテストは、名古屋、東海、愛知、春日井の4クラブと武蔵、熊本クラブ合同チームによる5チームのトーナメント制で行われた。5チームなので、組み合わせると1グループは1試合少なくなる。くじ引きの結果、幸運にも武蔵熊本合同チームが勝ち上がれば1試合免除となる組み合わせになった。会場正面には手作りの大きなトーナメント表が掲示してあり、ここに組み合わせが書き込まれた。

予選第1試合:東海(肯定)×春日井(否定)
予選第2試合:武蔵熊本(肯定)×愛知(否定)
準決勝:名古屋(肯定)×春日井(否定)
決勝:名古屋(肯定)×武蔵熊本(否定)

という流れでコンテストは進行した。肝心の論題は、「日本政府は2005年愛知万博の開催を中止すべきである」というご当地もの。「2005年愛知万博」、「開催を中止」という2つのキーワードの定義がなされ、論点は「環境問題、財政問題、世論の動向に限定する。否定側は現状維持の立場から反駁する」とされた。ディベートは、第1立論、第2立論、尋問、反駁という構成で行われた。当時の名古屋地区で最も熱い問題であり、地元のクラブの方がもちろん有利な内容であった。

出場クラブには事前に春日井クラブから愛知万博に関する資料が送られていた。この手の話題は私も興味のあるので、新聞記事などはよく読んでいた。この内容ではどちらかいえば肯定側の方が心情的に入りやすいので、最初の予選で肯定側になったのは都合が良かった。一般論は嶋村氏、独自な主張は私という受け持ちで、予選は勝ち上がることができた。しかし決勝は否定側に回ることになり、最初の主張をひっくり返すことになったので、歯切れの悪い論陣となり、地元名古屋クラブの正当な主張に防戦一方となった。結果は名古屋が優勝、武蔵熊本が準優勝、ベストディベーターには終始落ち着いていた嶋村氏が選ばれた。
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それにしても、同じ論題で4回ものディベートを繰り広げるこのコンテストは、話し手にも聞き手にも体力のいるものだと実感した。トーストマスターではディベートのマニュアルも存在するが、あまり行われないのは企画、準備、実演が大変だからだろう。実際この大会以降はディベートコンテストは開催されていない。自分の考えとは関係なく肯定、否定に回って論陣を張るのは日本人には不向きである、という意見もある。しかし裁判員制度も始まろうという時代の流れの中、自分の主義主張とは無関係な立場で、客観的な議論を練習する場としてディベートを取り入れることは今後重要になるだろう。
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by inv-pyramid | 2009-01-03 02:47 | 2000年前半