人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

カテゴリ:2000年前半( 33 )

[さくら編] 大物TMまさかの入会

6月14日(水)例会より、さくらクラブに大物会員が入会された。JTC前ガバナーで東京の会員でもあるP藤山氏である。入会のきっかけは少し前に行われたさくらと東京との合同例会にあったと思うが、スピーチの機会が減っているので、人数の少ないさくらならスピーチもし易いだろう、というお考えもあったようである。実際、入会所初日となったこの日も、得意の手品を交えての実演スピーチをされていた。

続く6月28日例会にはご子息を伴っての参加。芸能界入りを考えているというご子息もテーブルトピックスにも参加し、積極的であった。P藤山氏はさくらクラブに色々なアイディアを持ち込んで、例会を盛り上げられた。それはやはり経験のある会員だからできることであり、大いに学ぶ所もあったのだが、さくらでの活動期間は1年程度に留まった。

28日は役員選挙も行われ、次期会長には児玉氏が再登板されることになった。私は引き続きの会場係であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-03 09:59 | 2000年前半

[JTC編] 或いはグランドキャニオンへの入り口

大阪の知人宅で泥酔した翌朝、気分も優れぬまま、再び西神オリエンタルホテルへと向かった。翌21日は役員研修会とJTC総会が行われた。午前中は日本語と英語クラブに分かれての役員研修会。若干遅刻した。既に梅本氏による各役員の役割等の説明が始まっていた。参加者は10名にも満たなかった。英語コンテストとの併設、しかも関西での開催とあってはそれもまた致し方のないことであった。梅本氏による研修は武蔵の事例を取り入れての説明で、分かりやすくまとめられていた。

そして午後からはJTC総会が行われた。JTCとして最後の総会となるため、重要な議題がいくつもあった。キルパラニガバナーの挨拶と共に、冒頭でまずJTCが準ディストリクトとなる申請が国際本部へなされ、7月1日からディストリクト76Pとなることが報告された。これがこの年度最大の実績であった。続いては今年度にチャーターされたクラブ、武蔵、東海、東神戸の報告。次年度に設立予定のクラブとして、筑波バイリンガル、京都、徳島が紹介されている。周年記念としては、岩国10周年、沖縄15周年、厚木座間30周年、東京50周年などが紹介された。

広報活動の著しい実績としては、広報担当の稲継氏によるディストリクト76P用の新ドメインの設置、及びホットラインとしての専用電話番号の提供が挙げられた。稲継氏はホームページの立ち上げに特に尽力され、そのためのワークショップも開かれていた。会計報告では、会計役員の藤山C氏より年間の報告と、準ディストリクトになって変わることとして、今までは国際本部からの資金援助はなかったが、準ディストリクトになると運営資金は本部からの拠出となる旨、説明がされた。

休憩を挟んで、焦点となる準ディストリクト後のエリア編成に関する協議が行なわれた。JTC案はディビジョン制が導入による、2ディビジョン、8エリアの編成で、構成は次の通りであった。

ディビジョンA(東日本地区)
エリア1:江戸、はま、武蔵、東京バイリンガル、(筑波バイリンガル)
エリア2:東京、関東、ブレックファスト、ICF千葉、キーフォース、筑波
エリア3:ACCJ、さくら、東西、福生、西東京、埼玉、イーストウェスト
エリア4:厚木座間、田園都市、三笠、湘南、横浜
エリア5:札幌、新潟、仙台、東京フェニックス

ディビジョンB(西日本地区)
エリア51:愛知、東海、春日井、肥後、熊本、名古屋
エリア52:沖縄、パシフィックパールズ、福岡、大宰府、北九州、飯塚
エリア53:東神戸、関西、大阪、岩国、岡山

全43クラブである。東京フェニックスとキーフォースはこの時点ではまだチャーター申請中で、次年度にチャーターされる予定であった。この頃はまだ沖縄にも2つのクラブがあった。所属クラブが60になると準地区から正地区になるとのことであった。

コンテストについては、総会までに全てが決定していた。従来まで行われていたディベート及びほらふきコンテストは開催なしで、残る4つが正式コンテストとして残されれた。これはディストリクトが開催できるコンテストは年間4つまでという規定のためであった。但しこの解釈については、意見の分かれる部分もあった。ディビジョンコンテストはまだ行なわれず、英語はエリアコンテストとディストリクトコンテスト、日本語はディストリクトコンテストのみという従来の方式が維持された。

そして最大の焦点、役員選挙である。ディストリクトガバナーには、指名委員会選出の候補者として稲垣氏、対立候補として筑波の林氏が立候補されていた。結果は稲垣氏が当選。教育訓練担当副ガバナーには埼玉の佐々木氏、マーケティング担当副ガバナーに大町氏、ディビジョンAガバナーは大嶋T氏、同Bガバナーには山中氏が選出された。私はエリア1ガバナーで、もう一つの日本語バイリンガルエリアであるエリア51のガバナーには嶋田氏が任命された。

私が関係するクラブは、秋の論評コンテストを英語が横浜、日本語を武蔵が運営。春のスピーチコンテストは英語が東京で日本語を江戸が担当することになっていた。春のコンテストについては、東京と江戸で共催する合意は取れていたので、その場で東京の新会長福井氏に挨拶した。

かくしてJTCはその役割を終え、ディストリクト76Pへと移行する体制となった。それは逆ピラミッドに例えれば、グランドキャニオンの入り口に立ったようなものであった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 11:26 | 2000年前半

[関西編] コンテストは西へ

6月28日(土)、神戸の西神オリエンタルホテルで、英語の全日本スピーチコンテストが開催された。運営は関西クラブで、関西圏での初の全日本スピーチコンテストということであった。同時にJTC時代の本当に最後の全日本スピーチコンテストということでもあった。私は英語だけの全日本コンテスト参加は初めてで、武蔵会長として登録していた。これまでの私のTMイベントでの地方参加は、日本語クラブのある名古屋と熊本のみで、大阪、神戸といった地域とは縁がなかった。次年度はエリアガバナーでもあるし、関西圏のTMの方々とも交流を深めていこうという気持ちが働いていた。クラブを超えた活動の一つであった。

当日は羽田から伊丹へと飛行機で向かい、伊丹から神戸へは高速バスを使用した。伊丹で東京バイリンガル会長の石津氏と合流し、途中までご一緒させて頂いた。会場の西神オリエンタルホテルは、三宮から地下鉄に乗って終点の西神中央駅に隣接した場所にあった。神戸からは少し離れていて、30分ぐらいかかった。当時は淡路花博が淡路島で開催されていたこともあり、コンテストの案内には観光案内として淡路花博のチラシも同封されていた。

コンテストは午後からホテルの宴会場で行われた。当然のことながら日本語クラブからの参加はほとんどなく、面識のある顔ぶれとしてはバイリンガルクラブである名古屋の方々などを散見する程度であった。知り合いも少ないので私は後ろの方で座った。キルパラニJTCガバナー、野村エリア4ガバナーの挨拶に続いて、神戸市長の挨拶があった。基調講演は神戸大学のDr.ウィリス氏による、" Serendipity, Creolization, and Hybridity-New Words for a New Japan " なる講演。言語の多様化を説かれていたようだが、「クレオール化」などの専門用語を理解していないと呑み込めない内容なので、話半分で聞いていた。

コンテストの出場者は全11名。当時は6エリアで各2名ずつだったが、1エリアのみ1名のみが出場。ほとんどは既知の顔ぶれで、丸山、ギボンズ、ヤングマン、立麻、カーツ、新井、コール氏などが出場していた。さくらクラブで一緒だった丸山氏や新井氏が出場されていたのが個人的には新鮮だった。優勝は東京のカーツ氏、2位がコール氏で因縁の筑波から出場、3位が地元関西の上田氏。関西クラブ会長の佐藤K氏の挨拶で閉会となった。

この後パーティーが行われたが、私は大阪に戻ってネパールトレッキングで知り合った方のお宅にお邪魔していた。当時大阪勤務だった担当ツアコンの方も交えて、ひどく泥酔した夜になった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 09:46 | 2000年前半

[武蔵編] クラブを超えて

6月22日(木)は武蔵クラブの第41回例会であった。武蔵もこの日が年度末最終例会で、例会後には納会も予定されていた。その前の第40回例会では役員選挙が実施されており、新会長に佐藤氏、教育担当に近藤K氏という女性コンビに舵取りを任せることになった。私はと言えば、江戸と武蔵の両クラブでの会長を終え、肩の荷を下ろすところだったが、この前後に次期エリアガバナー就任を打診され、担当エリアが日本語とバイリンガルクラブのみのエリアになることを確認した上で、就任を承諾していた。サクセスフルクラブシリーズのマニュアルにある、クラブを超えて行く生活が正に始まることになったのである。JTCがディストリクト76Pになるのと同時に私もクラブ会長からエリアガバナーへの転換点に立つことになった。

武蔵の第40回の司会者は高木氏、第41回の司会者が太田氏という女子大生会員が担当、新会員に日系アメリカ人女性の仁科氏を迎えるなど、若き女性会員の台頭著しいこと、また滑川氏や今井氏のような年配の方々も健在で、参加者の年齢層がさらに幅広いものになっていた。クラブとしてのバランスがほどよく整っていた時期であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 01:36 | 2000年前半

[JTC編] ケック氏を囲んで決起集会 

6月21日水曜には、広尾のニュー山王ホテルで、当時国際会長(International President)を務められていたケック氏を招いての晩餐会 " Get Together Night With Tim Keck " がJTCの主催で行われた。ケック氏は当時ハワイ在住の米軍関係者で、これまでにも度々日本を訪れている日本贔屓のご老人、ということは周知の事実だと思う。JTC最終年度のこの年、ビジョン2010/20委員会(Vision 2010/20 Committee)なる委員会がJTCの歴代ガバナーを中心に運営されており、ディストリクト昇格後の日本のトーストマスターズのビジョンを策定していた。そのビジョン委員会によるディストリクト昇格前の決起集会とも言えるイベントがこれであった。

会場のニュー山王ホテルというのがあまり聞かない名で、何処にあるのかと探したら、何と米軍関係の施設ということで、広尾の駅から少し歩いた目立たない所にあった。米軍施設なので当然治外法権エリアである。入り口にはMPが立っていたが、これも目立たない位置だったので素通りしようとしたら、日本語で呼び止められた。トーストマスターズの関係だ、と告げたら通して貰えた。ホテル内に入るとすぐ宴会場で、ケック氏が受付付近に立っており、入場者に挨拶していた、私は初対面だったが、写真で見るより大柄な方だったので、ちょっと怖気づいてしまった。武蔵会長としての参加であった。

ケック氏の予定に合わせて急に決まったイベントだったのか、参加者は36名で、ビジョン委員会メンバーの関連クラブの方々、早い話が東京フェニックスの関係者の他、東西やさくらといった近隣クラブのメンバーの参加が目立った。内容は前半が懇親会、後半がケック氏によるOHPを使っての、ディストリクトになるとこんないいことがあるよ、という恩恵を説いたプレゼン。進行は当然英語である。私は正直場違いな気がしたが、普段入れない場所に入ったこと、JTCからディストリクトへの転換期のイベントに参加したことに意義を持った。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 00:10 | 2000年前半

[江戸編] 第250回記念は料理室で

6月20日(火)に千駄ヶ谷社教館の料理室で、江戸クラブ第251回例会が行われた。この前の回が第250回だったのだが、年度末最終例会、この頃は既に納会として定着した料理室での手料理会で、250回記念を併せて行うことにしていた。料理室で持ち寄りの食材を使って調理をしながらの例会のため、開会は19時30分としていたが、20分遅れでのスタートとなった。

今夜のトーストマスターは、この頃最も成長著しかった片塰氏。TMマニュアルの理解度などが論評での発言などに良く表れていた。私はこの会はスピーチで、料理は得意(?)のチャーハンを作っていた。このチャーハンをスピーチに使う予定だった。題名は「今日からあなたもネパーリ」。知らせるスピーチ3番のデモスピーチだったが、別にチャーハンの作り方を実演するわけではなかった。実はこの年の5月連休にネパールへトレッキングに出かけており、その前後でネパール語を習っていたこと、そのネパール語教室でネパールの作法でカレーを食べさせられていたこと、ネパール滞在時はその流儀を通して右手を使って食事をしていたことを述べ、その手づかみで食事をするということを実演したのであった。ただしカレーを作るのは大変なので、チャーハンでの代用ということであった。聴衆にも実演して貰うつもりだったが、やはりそれは無理というものか。慣れればどうということはないのだが。私のスピーチへの論評は庄司氏にして頂いた。

参加者10名に満たない250回記念納会だったが、料理室での手料理パーティーは心和む一時であり、私の代行会長も一先ず終わりということで、良い締めくくりとなった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-07-31 23:16 | 2000年前半

[名古屋編]  JTC時代最後の全日本スピーチコンテスト

6月11日の午後からは、犬山国際観光センター・フロイデにて、日本語の全日本スピーチコンテストが行われた。台・日合同例会参加組は車で移動して慌しく犬山のスーパーの飲食店街で食事を取った。JTCとしては最後となる全日本スピーチコンテストの運営は名古屋クラブが行った。日本語クラブの聖地名古屋で、日本語クラブの開祖である名古屋クラブが最後のコンテストを仕切るのも、きっと何かの縁だったのだろう。出場者は総勢10名で、台湾のクラブやこの年チャーターしたばかりのイースト神戸クラブのメンバーも出場していた。イースト神戸は当時はまだバイリンガルクラブで、この日の出場者も、ニュージーランド人留学生だった。

13時より開会で、開会宣言はまず名古屋の重鎮山中氏。重鎮の山中氏が総合司会で身の引き締まる思いがした。続いてキルパラ二氏、名古屋会長の孔井氏の順でスピーチ。審査委員長は大嶋T氏。コンテストスピーチは下記の通りだった(発表順)。

森口(熊本) 「1ドルのおもみ」
呂(太平洋) 「ごみゼロ社会」
フィリップス(イースト神戸) 「日本にいる留学生」
近藤(春日井) 「名古屋人だがね」
河田(愛知) 「長寿の光と影」
小原(江戸) 「つかの間の故郷へ」
李(成功) 「ガラクタ喫茶店」
西村(東海) 「専門店 推奨委員会」
杉山(名古屋) 「心に残る先生」
近藤(武蔵) 「ハンガーサイトをクリックして下さい」

b0108857_23284783.jpg

私は江戸からの出場で、6番目。スピーチは登山がテーマで、「頂上に登るのがゴールではなく、無事に帰って来ることが大切」、ということを身振り手振りを使って表現した。一つの試みとしては椅子をステップとして使い、登るという動作を見せたこと。最近でもどなたかがやられていたが、水平方向でなく垂直方向にも動くというのは意外性があると思う。その甲斐あって3位入賞。1位は台湾の李氏、2位は東海の西村氏。ひねりという点では私にはないものを感じた。
b0108857_23292332.jpg

コンテスト後は同じ場所で懇親会。ポットラック形式で和気藹々と行われた。台湾の方々は翌日は詩吟の発表会とのことで、懇親会終了後はまた名古屋まで戻られた。当時まだ出来たばかりだったマリオットホテルにお泊りとのことで、ロビーの喫茶室で終電ぎりぎりまで談笑していた。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-06-02 23:05 | 2000年前半

[春日井編] 姉妹クラブ提携と台・日合同例会

東海クラブの例会参加、台湾訪日団を交えての宴会と続いた日の翌日、6月11日も朝からイベントが続く長い1日となった。午前中は春日井クラブの例会場である春日井東部市民センターへと赴き、春日井クラブと台湾の太平洋クラブとの姉妹クラブ提携式、及び合同例会に参加した。

朝9時からの開会ということなので、名古屋駅前のホテルを7時には出、名古屋駅と向かう。春日井クラブの例会場の最寄り駅はJR中央西線の高蔵寺。名古屋からは電車で数10分の距離である。名古屋駅で中央西線に乗り込むと、偶然にも隣の席にキルパラ二氏が座っていた。名古屋までどうやって来たのか尋ねると、新幹線の格安チケットである「ぷらっとこだま」を使って来たということであった。JTCガバナーの苦労が偲ばれた。高蔵寺駅に着くとさらに何人かのTM関係者、台湾の方々が揃っていた。駅には春日井のメンバーが車で迎えに来てくれていて、一同分乗して市民センターへ向かった。
b0108857_22513885.jpg

8時40分から受付が始まり、9時には会が始まった。最初の30分は春日井、太平洋両クラブの姉妹提携式ということで、春日井の嶋田会長、太平洋の高会長がそれぞれ挨拶し、続いてJTC役員の稲継氏による提携式へと続いた。何故この2つのクラブが姉妹提携することになったのかといえば、この両クラブが日本、台湾それぞれにおける日本語クラブの祖だから、という理由らしかった。式の後、嶋田氏による「日本のトーストマスターズの歩みと現状」という題での講演が行われた。例によって、スライドを使って分かりやすく日本語クラブの変遷が綴られた。
b0108857_2252588.jpg

9時40分からは合同例会。司会は春日井の伊地知氏。テーブルトピックは同じく春日井の伊藤氏で、6人が指名され、最後の6番目で私も指名を受けた。出題は「土産のおすすめ」だったが、何を話したかはもう覚えていない。しかし、最後に最優秀テーブルトピック賞を頂くことができた。スピーチ、論評は両クラブから2名ずつ計4名。内2名(春日井と太平洋)が環境問題のスピーチで、両国の環境問題の捉え方が垣間見えた。最優秀スピーチ賞は春日井の鈴川氏、論評賞は太平洋の黄氏が受賞した。
b0108857_22523131.jpg

11時20分に閉会後、また車に分乗して、午後からのスピーチコンテスト会場である犬山国際観光センターへと向かった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-06-02 22:13 | 2000年前半

[東海編] 再びハイウェイバスに乗って

6月10日(土)の午後、東海クラブ例会に再び参加した。前回訪問時と同じく、翌日が全日本スピーチコンテストのため、その合間を縫っての参加であった。しかも今回は台湾のメンバーが来日し、翌日春日井クラブと合同例会を持つことにもなっていて、その歓迎会がこの日の夜に行なわれることになっていた。私は前回と同じく東名ハイウェイバスに乗ること6時間で名古屋入りした。2度目なので要領もわかり、小牧インターを出てすぐのバス停で降りて地下鉄に乗り換え、会場の名古屋芸術創造センターへ向かった。それでも入室は10分遅れであった。
b0108857_23325067.jpg

この日はビジネスセッションが長目に取ってあり、私が入ると会長の加藤氏がまだ壇上で司会をしていた。次期役員選挙の最中なのだった。次期会長は爽やか系の石川氏で、後に東京へ転勤となる渡辺氏は広報担当。武蔵同様チャーターしたばかりなので、勢いを感じた。前回とは半数ほどメンバーの顔ぶれが変わっており、初対面の方もいた。初夏ということもあり、服装も半袖なのでリラックスした雰囲気で会が進行していた。テーブルトピックスでは私にも夏の話題が振られた。
b0108857_23331290.jpg

この日のスピーチは3人であったが、内一人が名古屋地区にこの人有り、という名物会員の嶋田氏で、またもやOHPを使ったワークショップ風スピーチ。「聴衆を引きつけよう」ということで、ベタースピーカーシリーズのプログラムを、上級マニュアル・知らせるためのスピーチで行なうという、2重構造の内容であった。今回はオリジナルでない、TMの資料に基づいた内容だったが、TMのマニュアルにどの様な物があるのか知らない身にとってはとても有意義な内容であった。先輩会員のあるべき姿を垣間見た気がした。

論評では、今回初顔合わせとなる西村氏が登場。聞けば翌日のコンテストに出場されるとのことで、同じく出場する身としては手の内を見せない程度に話をした。

例会終了後は会場を移して台湾のメンバーと合流した。今回は太平洋クラブの方々が中心で、黄氏や陳氏など訪台時にお世話になった方々とも再会した。キルパラニ氏も前夜から名古屋入りしており、翌日のことなどそっちのけで盛り上がっていた。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-04-09 23:38 | 2000年前半

[武蔵編] まぼろしの優勝~エリア2スピーチコンテスト

5月28日(日)、つくばでエリア2スピーチコンテストが行なわれた。無論英語のコンテストである。JTC時代はまだ英語クラブと日本語クラブが混在したエリア編成のため、武蔵はつくばや埼玉、ICF千葉といった英語クラブと同じエリアに所属していた。そしてエリア2スピーチコンテストに武蔵からも出場者を出すことになっていた。

このコンテストに先立ち、つくばの林氏より私宛にコンテスト出場要請のメールが届いていた。出場者が少ないので、誰か出る人はいないか、ということであった。当時の武蔵クラブは日本語クラブであっても、外国人や帰国子女、英語教師などの会員が多数いたので、英語コンテストへの出場に応じることは問題なかった。またチャーターした年度なので、スピーチ課題6まで完了していなくても出場できるメリットもあった。とはいえそこは日本語クラブ、応じる方がいなかった。会場がつくばということでちょっと遠方ということもあったと思う。まだつくばエクスプレスも開業していない時代である。結局、入会したばかりのイードリス氏が出場することになった。

当日は私の車で、イードリス、梅本、私の3人が武蔵浦和に集合し、外環から常磐自動車道を経てつくば入りした。つくばは出張で気象研などによく出入りしていたので、道順などはよく知っていた。会場はつくばの国際会議場エポカルつくばの会議室。我々は近くの駐車場に車を停めて、会場入りした。出場者は4名で、イードリス氏の他にはコール氏(つくば)、立麻氏(ICF千葉)、斉藤氏(さくら)。日本語クラブを混ぜて4名という所に
運営クラブの裏事情が垣間見えた。司会に根木氏、審査委員長にヤングマン氏。

イードリス氏のスピーチは冒頭からボリュームたっぷりで "Amazing Grace" を歌うところから始まった。ここでまず聴衆の度肝を抜き、本題の携帯電話によるコミュニケーションの問題へと繋いでいった。これでは他の出場者も圧倒されてしまうだろう。結果はもちろん優勝。コール氏が2位であった。
b0108857_22522680.jpg

さあ、これで次は神戸の最終ステージ、どうやって行こうか、などの算段をしながら帰路に着いたが、後日予想外の結果が待ち受けていた。イードリス氏はチャーターメンバーではなく、スピーチもアイスブレーカーしか終わっていないため、出場資格無しということであった。私は当時はまだコンテストルールにさほど精通しておらず、梅本氏が出場資格に問題無しという判断を下していたので、イードリス氏をコンテストへ送り出したのだったが、結局その年度にチャーターしたクラブの出場資格を読み違えていたのだった。つまり、当該年度の7月1日以降にチャーターしたクラブのチャーターメンバーのみが、スピーチ課題6が修了していなくてもコンテストに出場できる、というのが正規のルールであるが、これを7月1日以降にチャーターしたクラブのメンバーは当該年度のコンテストに出場可と解釈したのである。後で聞いた話では、この事実は審査委員長のヤングマン氏は知っていたが、コンテストではそのまま通したということであった。

このコンテストルールの解釈を巡っては、私と林氏との間でメールで何度もやり取りしたが、拉致が明かないので最後はキルパラニガバナーの裁定により、イードリス氏には次のレベルへの出場権はなし、ということで決着した。つまりエリア2コンテストでは出場資格がなかったものの、コンテスト中に異議申し立てがなかったので、エリア2コンテストの結果は覆さず、次のレベルへの出場資格のみを剥奪するということである。ルール通りならこの判定は正しい。この結果、2位のコール氏と3位の立麻氏の全日本スピーチコンテスト出場が決まった。

私にとっては苦い経験となったが、同時にコンテストルールへ目を向けるきっかけにもなった。現在でも未だにルール無用のコンテストが行なわれていたり、ルールの解釈を巡っての場外乱闘(?)が行なわれているのを見るにつけ、私が目を光らせているのもご理解頂けることと思う。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-04-09 21:46 | 2000年前半