人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

2010年 05月 03日 ( 4 )

[江戸編] 東京バイリンガルとの合同例会(ホーム編)

10月17日の江戸例会日は東京バイリンガルとの合同例会であった。当時は合同例会は例会回数には含めなかったので、回数はなし。東京バイリンガルとの合同例会は、東京バイリンガル前会長の石津氏に話を持ちかけられて、私の方からやるならホーム&アウェイでお互いの例会場で2回やりましょう、という話をしていた。それには理由があり、両クラブとも人数が少ないので1回だけではどちらの場所で行なうか、という懸念があったからである。
b0108857_21542760.jpg

というわけでまずは千駄ヶ谷でのホーム合同例会。参加者17名と久しぶりに人数の多い例会となった。はまにゲストで来られていた卓丹氏も約束通り参加された。合同例会なので、今夜のディベートもなし。今夜のトーストマスターは私が勤めた。各役割は全て江戸が担当。7月に見学に来られた高橋N氏もこの回からようやく入会して、タイマーを担当した。
b0108857_21545618.jpg

庄司氏によるテーブルトピックスの後、スピーチは江戸が織田氏と池田氏、東京バイリンガルが本間氏と石津氏で2名ずつ、論評もたすき掛けで両クラブから2名ずつが担当した。ほぼ時間通りの進行で雰囲気のよい合同例会となった。最後に集合写真を撮り、猪八戒で2次会。次のアウェイ例会は12月に行なうことになった。
b0108857_21551777.jpg

[PR]
by inv-pyramid | 2010-05-03 23:53 | 2000年後半

[横浜&武蔵編] D76P論評WS&コンテスト打合せ(その3)

クラブ内論評コンテストが連続して行なわれている中、ディストリクトの論評ワークショップ及びコンテストまで3週間足らずという状況になっていた。10月に入って横浜クラブより急遽打合せの申し入れがあり、10月4日(水)19時から内幸町の中尾氏の事務所で打合せを行うことになった。急な話だったので武蔵からの参加者は私だけとなった。

議題としては、前回の打合せまではワークショップの話が中心でコンテストの詳細を詰めていなかったので、その話題を中心とした。まずコンテストの順番は英語、日本語の順で、コンテスト委員長は英語が中尾氏、日本語が梅本氏。表彰は最後に英語、日本語まとめて行なうこととした。備品関係、プログラムの印刷等は吉田氏、名簿のまとめは私が担当となった。出場者はこの時点ではまだ出揃っていなかったので、テストスピーカーなどの選定はこの時点ではできなかった。

そして最後の打合せが1週間前の10月16日(月)、内幸町の吉田氏の事務所で行なわれた。直前なので、プログラムの最終確認が主であった。コンテストの出場者は英語が5名、日本語が6名という所であった。論評コンテストは英語に関しても各クラブの優勝者が全日本へ進むことになっていたが、この頃は全日本を謳いながらも、スピーチコンテスト以外のコンテストで全国から人が集まるのは稀であった。テストスピーカーはワークショップが英語が横浜の浅井氏、日本語が東海の加藤Y氏、コンテストが英語が横浜の細田氏、日本語が江戸の池田氏と決まった。

私の懸案事項はトロフィーの彫刻プレートをどうするかということであった。というのもディストリクトになってからの初のコンテストであるため、その「ディストリクト」という言葉を日本語で彫る時にどう処理するかを考えていた。稲垣氏に相談した所では、「地区」とすると、「ディビジョン」や「エリア」にうまい訳語がないので、意味的には「日本支部」が近いが、当面「ディストリクト」で良いのではないか、ということであった。この当面が結局現在まで続くことになるのだが、今もって日本語にした時は別の言葉に置き換えられないか、と思っている。

トロフィーの彫刻は、一文字いくらが相場なので、文字数が少ないに越したことはないのである。その意味では英語より日本語の方が文字数が少ないので多少は安くなる。いかにして文字数を減らすか、それが最後の課題であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2010-05-03 22:42 | 2000年後半

[鶴ヶ島編] 夕闇の民家を抜けて

10月13日(金)、鶴ヶ島南公民館で行なわれた鶴ヶ島クラブの例会に参加した。18時30分開始で会社帰りでは定刻には間に合わないため、途中からの参加であった。前回訪問時は車で出かけたが、今回は電車で行った。鶴ヶ島駅で下車するのは初めてであった。地図を頼りに公民館へ足を向けたが、駅前の通りを曲がってから公民館へ行くまでの道筋は、一本道ではなく薄暗い民家の合間を抜けていくような感じで、この道で本当に良いのか、と考えながら歩いていた。やがて民家を抜けると少し広い通りに出て、公民館に辿り着いた。時計を見たら19時20分だった。

例会はジョークマスターに差し掛かっており、会長の三上氏がスピーチをされていた。参加者は私を含めて7名で、外国人の参加者が1名あった。ALTで来日されている方で、例会中は「ケン先生」と呼ばれていた。鶴ヶ島は発起人グループの方々が高校の英語教師故か、例会中お互いに「××先生」と呼び合っているのが特徴と言えば特徴で、ちょっと微笑ましい感じがした。

スピーチは前回もいらした福田氏とケン先生で、どちらもアイスブレーカー。論評は発起人の中村氏と三上氏。ベストスピーカーはまあ当然のことながら、ケン先生。今回は2次会はなしで、中村氏の車で鶴ヶ島の駅まで送って頂いた。車で駅まで行くにはやはり回り道するしかないようであった。
[PR]
by inv-pyramid | 2010-05-03 18:48 | 2000年後半

[東京&江戸編] D76P全日本スピーチコンテスト打合せ(その2)

10月12日(木)19時より、東京ウィメンズプラザで2回目の全日本スピーチコンテスとの打合せが行なわれた。第2回以降はほとんどが東京ウィメンズプラザでの打合せとなった。また東京クラブの都合で第2木曜に設定されることが多かったので、武蔵の例会とぶつかる私としては途中で退席することがしばしばあった。

第2回打合せは、実行委員会の割り振りが主題であったが、東京側は既に細かく分担を決めており、PR、スポンサー、プログラム、会場、パーティーと大きく5つの委員会に役割分担をしていた。その各委員会の各担当についても大まかな割り振りがされており、あまり人数の割けない江戸としては、個別に協力する他なかった。東京側のコンテスト委員長はカナダ人で当時教育担当副会長だったクイッグリー氏、江戸は榊原氏にお願いした。さらに全体の統括責任者として我妻氏が監修することになっていた。
[PR]
by inv-pyramid | 2010-05-03 18:19 | 2000年後半