人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2010年 01月 02日 ( 5 )

[江戸編] ついに!?拙宅でのホームパーティー

8月12日(土)の午後から江戸クラブの納涼ホームパーティーを和光の拙宅で初めて行なった。この頃はまだ新居に引っ越したばかりで荷物も少なく、スペースが空いていたのでホームパーティーを行なうにはちょうど良いタイミングであった。私が入会してからは江戸のホームパーティーといえば大嶋邸であったが、大嶋夫妻は既に退会されているので、新たな会場として名乗りを上げてのことであった。参加者は我々夫婦を除いて6名で座卓を囲むにはちょうどよい人数であった。
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形態は基本的には持ち寄り形式のポットラックパーティーだったが、私の手料理を振舞うというお約束もあった。既に料理室納会では披露していたので、味については織り込み済み(?)。この頃はとにかく武蔵の陳氏から教わった餃子作りの腕前を披露するのが一つの楽しみだったので、機会があれば餃子を作っていた。

我が家は所謂日本式マンションの3LDKで、まだ1室が丸々家具などが置いていないスペースになっていた。なのでパーティーを行なうにはちょうど良かった。拙宅でのホームパーティーはこの後、武蔵、やまのてと続いた。
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by inv-pyramid | 2010-01-02 13:43 | 2000年後半

[鶴ヶ島編] 何故?鶴ヶ島にクラブ誕生

8月11日(金)夜、鶴ヶ島クラブの第2回例会に参加した。鶴ヶ島は埼玉県内の小都市で、鉄道路線で見ると東武東上線の沿線で川越以遠になる。最寄り駅は鶴ヶ島駅。埼玉県内では、埼玉、武蔵に続く3番目のクラブである。

何故この鶴ヶ島にクラブが出来たかと言えば、話は少々ややこしい。クラブ設立の中心メンバーは鶴ヶ島市在住で、元々は羽村のウェスト東京クラブに在籍していた。つまり鶴ヶ島から羽村まで通っていたのである。車でおよそ1、2時間という所だろうか。しかしやはり越境して通うのは大変なので、地元にクラブが作れないかと模索していた。ただ当時のウェスト東京クラブは少人数だったため、鶴ヶ島への新クラブ設立でメンバーが移籍することはクラブの弱体化を意味した。それがウェスト東京の他のメンバーには快く思われなかったようで、「クラブを出て行くなら**するぞ」などと脅されもしたらしい。結局なかば分裂する様な形での設立になったとのことである。2次会で伺った話なので、真相は当事者のみぞ知る、という所か。

ちなみに発起人メンバーは3人であった。その内の一人中村氏は、以前ウェスト東京からエリアスピーチコンテストに出場されていた方で面識があった。また武蔵の近藤K氏が中村氏と旧知の仲とのことで、近藤K氏も鶴ヶ島のメンバーに誘われていた。

鶴ヶ島の例会場は鶴ヶ島市南公民館で、東上線の鶴ヶ島駅からは徒歩でも行けるが、途中民家を抜けて行くので初めて行く人にはわかりずらい所にある。私はこの時は夏休み中ということもあり、車で出かけた。私が参加した回は、近所の主婦の方などが参加されていた。2次会の席でスポンサーを依頼されたので、同じ東上線沿線ということもあり引き受けることにした。
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by inv-pyramid | 2010-01-02 13:36 | 2000年後半

[武蔵編] 涙のどたキャン

8月10日(木)の武蔵第44回例会。この日は、稲垣DGと佐々木LGETが揃って武蔵例会を訪問されていた。稲垣氏は夏休み中なので、あちこちのクラブを訪問中とのこと、また佐々木氏は梅本氏のスピーチ、対人関係のコミュニケーションの相方を依頼されてのことであった。両氏がディストリクトのイベント以外で揃い踏みするということは、まだ蜜月が保たれていた頃ならではの出来事だろう。そしもう一人埼玉クラブの広瀬氏がゲスト参加されていた。

この日はちょっとした事件があった。会長の佐藤氏がスピーチにも関わらず遅れてこられ、スピーチの紹介の時に紹介された題名が「お詫び」ということであった。しかし実はこれは題名ではなく、スピーチが準備できなかったことへの「お詫び」。一同仰け反ったが、これだけなら単なるどたキャンである。問題はこの後、総合論評で広瀬氏がこの件を糾弾されたことであった。つまりスピーチが準備できないのなら事前に連絡しておくべき、ということを述べられていた。広瀬氏は歯に衣着せぬご意見を述べられる方で、指摘ももっともなことであったが、佐藤氏は閉会の挨拶後、足早に会場を後にされていた。気になったので後を追いかけると、目頭を熱くされていた。

どたキャンの功罪はよく言われることだが、出来なかったことを責めるのではなく、出来なかった場合に備えて代役を立てるなどの工夫をした方がTMらしく建設的であると思う。TMで女性の涙は見たくないものである。
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by inv-pyramid | 2010-01-02 07:59 | 2000年後半

[武蔵編] 喫茶スペースでお茶なし役員会

8月3日(木)19時15分より、武蔵浦和駅ガード下のマーレ飲食店街の喫茶スペースで武蔵クラブ今期初の役員会が行なわれた。この頃の武蔵の2次会はマーレのサイゼリヤに定着していた。正直な所、例会場の別所公民館とは反対側でマーレの一番端にあるので、移動にも時間が掛かるのだが、駐車場には逆に近く、当時の武蔵メンバーは車で来られる方も多かったので、駐車に躊躇することなく2次会に参加できるのが良かった。何より飲食代が安く済むのが有難かった。

役員会はその飲食店街の中央に設置されている喫茶スペースで、特に飲食することもなく行なわれた。夏休み中にも関わらず全員出席していた。内容はマニュアルの使用法や例会の進行方法の確認、各役員の役割の分担決め等の基本的なことが中心だった。注目すべき点としては、「進歩したで賞」を新たに設置したことであった。これは投票用紙の " MOST INPROVED "欄に注目された方がいて、「これは何」という質問が上がった事から表面化した。これは前回から比べて進歩が見られる方に投票するもので、国際本部ではこの投票欄に対応するミニ賞状をちゃんと用意しているのだが、この賞を例会で設けているクラブは他に見たことはなかった。現在でもこの賞を活用しているクラブは私の知る限りはない。

最近はクラブ独自の賞を設けることが流行っているが、規定されているにも関わらず、意外と見過ごされていることがあるということである。そしてこの様な意見を議題で取り上げ、議論して決定することができる雰囲気があるということが新設クラブの良さだろう。真夏の夜、お茶も飲まずに喫茶スペースの片隅で我々は熱い議論を繰り広げていた。
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by inv-pyramid | 2010-01-02 07:57 | 2000年後半

[江戸編] 苦肉の策!?今夜のディベート

8月1日の第254回例会から一つの試みをスタートさせた。「今夜のディベート」である。実際に「今夜のディベート」と題して始めたのはその次の例会からだったが、この日が事実上の始まりであった。内容は以前も時々ワークショップとして行っていたミニディベートを毎回行なうということであった.これは少ない出席者数とそれに伴うプログラムの貧弱化を補うための打開策というか苦肉の策であったが、2回目からは定刻に人数が揃わないというもう一つの弱点を補う目的も持たせて、例会開始早々、今夜のトーストマスターの紹介前の最初の30分で行なうことに路線変更した。ミニディベートだけなら4,5人でもでき、その間に人数が揃って通常例会ができるというメリットが得られた。

この手法は当時の江戸に合っていたので受け入れられ易く、3回目以降からは毎回行なわれるようになり、しばらくは江戸の名物になっていた。
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by inv-pyramid | 2010-01-02 07:55 | 2000年後半