人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

2009年 08月 01日 ( 4 )

[JTC編] 或いはグランドキャニオンへの入り口

大阪の知人宅で泥酔した翌朝、気分も優れぬまま、再び西神オリエンタルホテルへと向かった。翌21日は役員研修会とJTC総会が行われた。午前中は日本語と英語クラブに分かれての役員研修会。若干遅刻した。既に梅本氏による各役員の役割等の説明が始まっていた。参加者は10名にも満たなかった。英語コンテストとの併設、しかも関西での開催とあってはそれもまた致し方のないことであった。梅本氏による研修は武蔵の事例を取り入れての説明で、分かりやすくまとめられていた。

そして午後からはJTC総会が行われた。JTCとして最後の総会となるため、重要な議題がいくつもあった。キルパラニガバナーの挨拶と共に、冒頭でまずJTCが準ディストリクトとなる申請が国際本部へなされ、7月1日からディストリクト76Pとなることが報告された。これがこの年度最大の実績であった。続いては今年度にチャーターされたクラブ、武蔵、東海、東神戸の報告。次年度に設立予定のクラブとして、筑波バイリンガル、京都、徳島が紹介されている。周年記念としては、岩国10周年、沖縄15周年、厚木座間30周年、東京50周年などが紹介された。

広報活動の著しい実績としては、広報担当の稲継氏によるディストリクト76P用の新ドメインの設置、及びホットラインとしての専用電話番号の提供が挙げられた。稲継氏はホームページの立ち上げに特に尽力され、そのためのワークショップも開かれていた。会計報告では、会計役員の藤山C氏より年間の報告と、準ディストリクトになって変わることとして、今までは国際本部からの資金援助はなかったが、準ディストリクトになると運営資金は本部からの拠出となる旨、説明がされた。

休憩を挟んで、焦点となる準ディストリクト後のエリア編成に関する協議が行なわれた。JTC案はディビジョン制が導入による、2ディビジョン、8エリアの編成で、構成は次の通りであった。

ディビジョンA(東日本地区)
エリア1:江戸、はま、武蔵、東京バイリンガル、(筑波バイリンガル)
エリア2:東京、関東、ブレックファスト、ICF千葉、キーフォース、筑波
エリア3:ACCJ、さくら、東西、福生、西東京、埼玉、イーストウェスト
エリア4:厚木座間、田園都市、三笠、湘南、横浜
エリア5:札幌、新潟、仙台、東京フェニックス

ディビジョンB(西日本地区)
エリア51:愛知、東海、春日井、肥後、熊本、名古屋
エリア52:沖縄、パシフィックパールズ、福岡、大宰府、北九州、飯塚
エリア53:東神戸、関西、大阪、岩国、岡山

全43クラブである。東京フェニックスとキーフォースはこの時点ではまだチャーター申請中で、次年度にチャーターされる予定であった。この頃はまだ沖縄にも2つのクラブがあった。所属クラブが60になると準地区から正地区になるとのことであった。

コンテストについては、総会までに全てが決定していた。従来まで行われていたディベート及びほらふきコンテストは開催なしで、残る4つが正式コンテストとして残されれた。これはディストリクトが開催できるコンテストは年間4つまでという規定のためであった。但しこの解釈については、意見の分かれる部分もあった。ディビジョンコンテストはまだ行なわれず、英語はエリアコンテストとディストリクトコンテスト、日本語はディストリクトコンテストのみという従来の方式が維持された。

そして最大の焦点、役員選挙である。ディストリクトガバナーには、指名委員会選出の候補者として稲垣氏、対立候補として筑波の林氏が立候補されていた。結果は稲垣氏が当選。教育訓練担当副ガバナーには埼玉の佐々木氏、マーケティング担当副ガバナーに大町氏、ディビジョンAガバナーは大嶋T氏、同Bガバナーには山中氏が選出された。私はエリア1ガバナーで、もう一つの日本語バイリンガルエリアであるエリア51のガバナーには嶋田氏が任命された。

私が関係するクラブは、秋の論評コンテストを英語が横浜、日本語を武蔵が運営。春のスピーチコンテストは英語が東京で日本語を江戸が担当することになっていた。春のコンテストについては、東京と江戸で共催する合意は取れていたので、その場で東京の新会長福井氏に挨拶した。

かくしてJTCはその役割を終え、ディストリクト76Pへと移行する体制となった。それは逆ピラミッドに例えれば、グランドキャニオンの入り口に立ったようなものであった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 11:26 | 2000年前半

[関西編] コンテストは西へ

6月28日(土)、神戸の西神オリエンタルホテルで、英語の全日本スピーチコンテストが開催された。運営は関西クラブで、関西圏での初の全日本スピーチコンテストということであった。同時にJTC時代の本当に最後の全日本スピーチコンテストということでもあった。私は英語だけの全日本コンテスト参加は初めてで、武蔵会長として登録していた。これまでの私のTMイベントでの地方参加は、日本語クラブのある名古屋と熊本のみで、大阪、神戸といった地域とは縁がなかった。次年度はエリアガバナーでもあるし、関西圏のTMの方々とも交流を深めていこうという気持ちが働いていた。クラブを超えた活動の一つであった。

当日は羽田から伊丹へと飛行機で向かい、伊丹から神戸へは高速バスを使用した。伊丹で東京バイリンガル会長の石津氏と合流し、途中までご一緒させて頂いた。会場の西神オリエンタルホテルは、三宮から地下鉄に乗って終点の西神中央駅に隣接した場所にあった。神戸からは少し離れていて、30分ぐらいかかった。当時は淡路花博が淡路島で開催されていたこともあり、コンテストの案内には観光案内として淡路花博のチラシも同封されていた。

コンテストは午後からホテルの宴会場で行われた。当然のことながら日本語クラブからの参加はほとんどなく、面識のある顔ぶれとしてはバイリンガルクラブである名古屋の方々などを散見する程度であった。知り合いも少ないので私は後ろの方で座った。キルパラニJTCガバナー、野村エリア4ガバナーの挨拶に続いて、神戸市長の挨拶があった。基調講演は神戸大学のDr.ウィリス氏による、" Serendipity, Creolization, and Hybridity-New Words for a New Japan " なる講演。言語の多様化を説かれていたようだが、「クレオール化」などの専門用語を理解していないと呑み込めない内容なので、話半分で聞いていた。

コンテストの出場者は全11名。当時は6エリアで各2名ずつだったが、1エリアのみ1名のみが出場。ほとんどは既知の顔ぶれで、丸山、ギボンズ、ヤングマン、立麻、カーツ、新井、コール氏などが出場していた。さくらクラブで一緒だった丸山氏や新井氏が出場されていたのが個人的には新鮮だった。優勝は東京のカーツ氏、2位がコール氏で因縁の筑波から出場、3位が地元関西の上田氏。関西クラブ会長の佐藤K氏の挨拶で閉会となった。

この後パーティーが行われたが、私は大阪に戻ってネパールトレッキングで知り合った方のお宅にお邪魔していた。当時大阪勤務だった担当ツアコンの方も交えて、ひどく泥酔した夜になった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 09:46 | 2000年前半

[武蔵編] クラブを超えて

6月22日(木)は武蔵クラブの第41回例会であった。武蔵もこの日が年度末最終例会で、例会後には納会も予定されていた。その前の第40回例会では役員選挙が実施されており、新会長に佐藤氏、教育担当に近藤K氏という女性コンビに舵取りを任せることになった。私はと言えば、江戸と武蔵の両クラブでの会長を終え、肩の荷を下ろすところだったが、この前後に次期エリアガバナー就任を打診され、担当エリアが日本語とバイリンガルクラブのみのエリアになることを確認した上で、就任を承諾していた。サクセスフルクラブシリーズのマニュアルにある、クラブを超えて行く生活が正に始まることになったのである。JTCがディストリクト76Pになるのと同時に私もクラブ会長からエリアガバナーへの転換点に立つことになった。

武蔵の第40回の司会者は高木氏、第41回の司会者が太田氏という女子大生会員が担当、新会員に日系アメリカ人女性の仁科氏を迎えるなど、若き女性会員の台頭著しいこと、また滑川氏や今井氏のような年配の方々も健在で、参加者の年齢層がさらに幅広いものになっていた。クラブとしてのバランスがほどよく整っていた時期であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 01:36 | 2000年前半

[JTC編] ケック氏を囲んで決起集会 

6月21日水曜には、広尾のニュー山王ホテルで、当時国際会長(International President)を務められていたケック氏を招いての晩餐会 " Get Together Night With Tim Keck " がJTCの主催で行われた。ケック氏は当時ハワイ在住の米軍関係者で、これまでにも度々日本を訪れている日本贔屓のご老人、ということは周知の事実だと思う。JTC最終年度のこの年、ビジョン2010/20委員会(Vision 2010/20 Committee)なる委員会がJTCの歴代ガバナーを中心に運営されており、ディストリクト昇格後の日本のトーストマスターズのビジョンを策定していた。そのビジョン委員会によるディストリクト昇格前の決起集会とも言えるイベントがこれであった。

会場のニュー山王ホテルというのがあまり聞かない名で、何処にあるのかと探したら、何と米軍関係の施設ということで、広尾の駅から少し歩いた目立たない所にあった。米軍施設なので当然治外法権エリアである。入り口にはMPが立っていたが、これも目立たない位置だったので素通りしようとしたら、日本語で呼び止められた。トーストマスターズの関係だ、と告げたら通して貰えた。ホテル内に入るとすぐ宴会場で、ケック氏が受付付近に立っており、入場者に挨拶していた、私は初対面だったが、写真で見るより大柄な方だったので、ちょっと怖気づいてしまった。武蔵会長としての参加であった。

ケック氏の予定に合わせて急に決まったイベントだったのか、参加者は36名で、ビジョン委員会メンバーの関連クラブの方々、早い話が東京フェニックスの関係者の他、東西やさくらといった近隣クラブのメンバーの参加が目立った。内容は前半が懇親会、後半がケック氏によるOHPを使っての、ディストリクトになるとこんないいことがあるよ、という恩恵を説いたプレゼン。進行は当然英語である。私は正直場違いな気がしたが、普段入れない場所に入ったこと、JTCからディストリクトへの転換期のイベントに参加したことに意義を持った。
[PR]
by inv-pyramid | 2009-08-01 00:10 | 2000年前半