人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2008年 07月 26日 ( 2 )

[武蔵編] 東京バイリンガルと初の合同例会

大宮西高での社会人講師の日の夜、武蔵と東京バイリンガルとの合同例会が行われた。場所は東京バイリンガルの当時の本拠地、東京国際フォーラム地下の東京都生涯学習センターの会議室であった。武蔵にとっては初めての合同例会で、相手が東京バイリンガルというのも、立ち上げ時に私やパイザー氏などが関わっているので自然な成り行きであった。

この話は最初東京バイリンガルの石津会長から持ちかけられ、有楽町開催というのも当時はまだ武蔵のメンバーも東京周辺の方が多かったので、特に反対意見もなく決まった。私にとっては久しぶりの東京バイリンガルの面々との邂逅だったが、当日行って驚いたのは両クラブ合わせての参加者が約20名であったこと。特に東京バイリンガルは私が退会してからまだ半年しか経っていなかったにも関わらずメンバーが激減したようで、一つの勢力を保っていた外国人会員も3名しか残っていなかった。内一人は江戸から移籍した小俣S氏であった。

司会は東京バイリンガルの中心メンバーである町田氏。この方がいなければ東京バイリンガルは成立しないというほどの方であったが、結局は後に退会されてゆく。私はテーブルトピック担当で、その日に行われた社会人講師ネタで出題した。スピーチは両クラブから2名ずつで、武蔵が加藤氏と滑川氏、東京バイリンガルがマッキンタイア氏と小俣S氏。加藤氏の壁に頭をぶつけるパフォーマンスのスピーチが体を張ったスピーチとして印象に残っている。

論評は武蔵が梅本氏、佐藤氏、渡辺N氏、東京バイリンガルが大嶋R氏。東京バイリンガルはコール氏の名前があったが欠席されたので、渡辺N氏が急遽入った。総合論評は会長の石津氏が行った。東京バイリンガルの参加者を見ていると、私が会員だった頃から残っているコアなメンバーがほとんどで、日本語だけの例会だったから、曜日が木曜だったからということも考えられた。しかしこの後の会員数の減少には歯止めが掛からず、長い長いトンネルへと潜り込んでいった。
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by inv-pyramid | 2008-07-26 16:29 | 2000年前半

[武蔵編] 束の間、教壇に立つ

2月18日の木曜午後、私は社会人講師として大宮西高校の教壇に立っていた。高校1年生を相手に、「地域の社会人から生き方を学ぶ」という趣旨の下、私の生き方についてスピーチするためであった。なぜこのようなことになったのか言えば、それは武蔵クラブの会員に同校教員だった近藤K氏がいたからである。進路指導の一環として、社会人講師を招いてロングホームルームの時間に「私の生き方」や「私の高校時代」などのテーマで話をしてもらうという企画があるので、武蔵からもどなたかにお越しいただけないか、ということで私にお鉢が回ってきたのであった。

トーストマスターズでいくら人前で話す練習をしているからといって、私のような一般の会社員には外部でスピーチをする機会などそうそうあるものではない。平日なので休みを取る必要があるが、好奇心も手伝って私はこの話を引き受けることにした。1年生は8クラスあり、内2クラスが女子クラス。社会人講師は1クラス2人づつで合計16人、一人の持ち時間は20分ということだった。20分のスピーチなどそれまでしたことがなかったので、事前に武蔵と江戸の例会でリハーサルすることにした。テーマは「私の生き方」で、転職を通しての生き方の価値観の変化などについて話した。

トーストマスターズからの参加者は私一人で、後は西高の卒業生や地域の職業人の方などが主な顔ぶれであった。私と同じクラスになった方は住宅関係の営業マンとのことで、会社員生活の悲哀などについて話されていた。クラスに入って驚いたのは、時代を反映してか茶髪やガングロの生徒が多かったこと。茶髪はまあいいとしてもガングロの生徒が実際に学校の中にいるということにたじろいだ。近藤K氏によれば、今はそれが普通なのだという。高校の教室に足を踏み込むなど、何十年ぶりかの体験だったので、世代間格差のようなものを感じた。

それでもいざ話だすと、みな結構真面目に聞いてくれたようで、私も話を逸らさないように、失恋体験や燃え尽き症候群などの体験談を織り交ぜながら、「人生のリセットはできないが、生き方の選択はできる」という大層なメッセージで話をまとめた。終わったあとで生徒が書いた感想文を読み返すと、話の細かいところまで聞いてくれていたり、共感してくれたりで、こちらが逆に励まされた。トーストマスターズの教えを身をもって実感することになった。

このイベントは以降毎年続くことになり、いつの間にか講師はトーストマスターズで占められるようになった。武蔵ができ、近藤K氏との出会いがなければこのような流れにはならなかっただろうと考えると、人の縁とはつくづく異なものである。
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by inv-pyramid | 2008-07-26 15:03 | 2000年前半