人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2008年 07月 15日 ( 3 )

[武蔵編] ふたたびの会長職

2000年1月13日の武蔵第30回例会がこの年の始まりであった。この日より正式に武蔵会長に就任した。前年度の江戸会長に続いて2度目の会長職となった。2度目とはいえ、チャーターしたばかりのクラブの会長は初めてでもあり、既に創立10年を経過した江戸とは勝手が違うと思った。ディストリクト元年に向けてJTCの活動も例年になく活発になっていた。

この日は当時エリアガバナーだった児玉氏をゲストにお呼びし、新役員就任式を行った。児玉氏とはさくらクラブで既知の仲だったが、武蔵のチャーターをきっかけとして日本語クラブへも少しずつ顔を出されていた。後にやまのてや響設立にも関わって頂くことになるので、この頃はそのための伏線ともいえた。チャーターまで役員を務めていた外国人メンバーの姿は既になく、チャーター前後に入会された方々を新役員に迎え入れての船出であった。新役員の中では特に教育担当副会長の加藤氏が積極的で、舌鋒も鋭く、クラブへの疑問点を次々と投げかけられて、私もいい刺激を受けた。

スピーチはこの日でちょうど10番目を終える近藤K氏と私だったが、私のスピーチは実はこの年の2月に行われる予定の、大宮西高校の社会人講師のリハーサルを兼ねていた。この年は現在既に9年目を迎えた社会人講師の初年度でもあった。前年より近藤K氏からお誘いは受けていたのだが、やはり未経験のことなので例会でまずリハーサルをと思っていた。「敗者復活戦」という題のスピーチは、私のスピーチの中では一つのテーマであり、形を変えて時々行っている。これを高校生相手に話そうというわけである。

日本のトーストマスターズの変革期の中で、私の中でも何かが変わりつつあった。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 21:16 | 2000年前半

2000年、ミレニアムはディストリクト元年

西暦2000年といえばまずは2000年問題だろう。コンピュータの西暦年数の下二桁処理により、「99」から「00」となる瞬間に大きな混乱が起こるということで、社会的な問題となったのは記憶に新しい。というか今から思えばそんなこともあったな、という程度のことでもあった。何でも400年ぶりの世紀末閏年ということで、「Y2K」、「ミレニアム」などの言葉も流行した。

新潟少女監禁事件、西鉄バスジャック事件、岡山金属バット事件、そして年末には世田谷一家惨殺事件などが起きている。少年犯罪が増え出した年でもあった。私の身近では地下鉄日比谷線の脱線事故などが起きている。いつも通勤の車窓から線路際の慰霊碑が見える度にこの事件を思い出さずにはいられない。

九州沖縄サミットや、Qちゃん、柔ちゃんらの金メダルで沸いたシドニーオリンピックが開催された年でもあった。

このような時代背景の中、日本のトーストマスターズは、JTCという自主運営の未認定地域から、トーストマスターズの一員として国際本部から支援を受けられる準ディストリクトとして認定されることになった。スピーチの世界選手権への扉はまだ開かれなかったが、これでようやくトーストマスターズの世界標準で運営ができる体制が整ったのである。奇しくもお隣の台湾もこの年に準ディストリクトに昇格した。

20世紀最後の年は、日本と台湾にとっては記念すべき新世紀の幕開けとなったのである。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 16:06 | 2000年前半

[武蔵編] 初めての忘年会

武蔵の忘年会は、江戸の前週の12月16日に行われた。こちらは第29回例会を別所公民館で行ってから、場所を移しての忘年会であった。会場はこの頃武蔵が2次会エリアとしていた武蔵浦和駅ビルのマーレ。2次会はその中のサイゼリヤで行うことが多かったが、この日は949という居酒屋にした。
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武蔵にとっては何事も初尽くしが多かったこの年だったが、忘年会の開催も初めてだった。前年はまだ人も少なく、忘年会と銘打つこともなかったからだ。例会参加者が全員そのまま流れて、10名ほどで和やかに行われた。写真を見返すとみな若い。懐かしさが込み上げてくる。
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現在のように新クラブが乱立気味の状態では、一つ一つの感動も薄くなりがちだが、まだ20世紀だったこの頃は、近隣のメンバーが協力し合ってみんなで立ち上げたという印象が強く残っている。特に武蔵の場合は私が立ち上げに関わった初めてのクラブでもあり、チャーターした年の最後に行われた初めての忘年会では、その余韻に浸るのみであった。
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by inv-pyramid | 2008-07-15 12:51 | 1999年後半