人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2008年 06月 08日 ( 2 )

[台湾編] 弾丸ツアー最後の晩餐会・12月5日(その5)

合同例会も幕を閉じ、台湾訪問弾丸ツアーもついに最後の晩餐となった。視聴教育中心(センター)の地下に大ホールがあり、ここが懇親会場となった。食事は手際よく幕の内弁当で、我々の参加費は無料とのことであった。丸テーブルに訪問団のメンバーがバラバラに座り、桃園の見知らぬ方々と同席することになった。成功クラブの雰囲気は、日本で言えばICF千葉クラブの雰囲気に近い。メンバーは夫婦や親子という方も多く、家族ぐるみで参加されているので暖かみが感じられた。私のテーブルにはメンバーでない、会員の方のご家族が同席されていて、最初事情がよくわからなかった私は、同席した全員に名刺を配った。今回用にトーストマスターズの名刺をたくさん作って持参していたのである。日本語がわからないようなので、成功クラブの方に私のことを紹介して頂いた。

宴たけなわとなった頃、訪問団メンバー一人一人の自己紹介を要求され、一人ずつ壇上に上がった。ここで驚いたのは三笠クラブのストロガノフ氏が「私はピーターです」と言って日本語で自己紹介されたことである。いつもはにかんだ印象を受ける控えめなストロガノフ氏は、この時まで一言も日本語を話さなかったので、流暢に自己紹介された時は一同唖然としていた。きっとこの時のために準備されていたのだろう。後で日本語上手ですね、と話しかけると少し照れた表情を見せた。

自己紹介の後はさらにカラオケならぬアカペラタイムとなり、大嶋団長の「鉄腕アトム」に始まって各自持ち芸を披露した。私も歌を歌ったが何を歌ったかはもう忘れた。最後は成功クラブ特製の赤い半被を着せられ、みんなで日本の踊りを踊ってお開きとなった。締めとして訪問団全員が壇上に上がり、代表として名古屋クラブ会長の孔井氏が表彰を受けた。
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台北への帰路は鉄道組とタクシー組に分かれた。私は鉄道で帰りたかったのだが、何となく自然な流れで車に誘導され、平和クラブの李氏の横に座って約1時間の道のりについた。この間、李氏は私に色々と日本語で話しかけてくれた。現在の自分の境遇やら、日本へ留学する予定など、後年、そして現在も続いている李氏との交流の中で、この時が最も李氏が心情を吐露された瞬間のような気がした。真実の瞬間であった。
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by inv-pyramid | 2008-06-08 21:08 | 1999年後半

[台湾編] 文化の交流は地球村の実現・12月5日(その4)

本稿のタイトルは、合同例会で配布されたプログラムのヘッダーに書いてあったコピーである。合同例会の正式呼称は「中日国際日本語演説連合大会」。続いて「中日文化交流の先駆大嶋団長と日本文化交流訪問団御一行様の御来訪」と記されていた。ちなみに創立第18回例会とのことであった。成功クラブは毎月1回の本例会と、その前に行う予行例会が基本とのことで、入念な準備の下で本例会が行われるとのことであった。この日は、台湾のトーストマスターズ評議会(中華民国国際演説会)ガバナー方氏とエリアガバナー卓氏も出席されていて、最初はまずこれら来賓の方々の挨拶が続いた。司会は瀟氏の奥様で、熊本のコンテストで第3位に入賞された陳氏が務められていた。

例会の内容は台南とほぼ同じで、笑い話、プロジェクトスピーチ、即席演説、論評、言語講評、総合講評と続いた。ただ、この日は論評の前に、JTC副ガバナーとして東海クラブの浪川氏が特別スピーチ「2000年トーストマスターズへの期待」と題して、ディストリクト昇格を前にした将来への展望を語られた。

今回役割を持っていたのは他に私と名古屋の瀧川氏がスピーチ、同じく名古屋の今枝氏と大嶋団長が論評、そして山中氏が総合論評という顔ぶれであった。日本を発つ前に私に役割としてスピーチが振られたので、既に上級スピーチに取り組んでいたものの、台湾の方々を意識して基本マニュアルを選んだ。課題は#8の説得力を持って話せとした。題名はこれも台湾の方々の受けを狙って、富士山をテーマとして西暦2000年問題と絡めて、「富士・西暦2000年」としたが、上手く伝わらなかったのか、プログラム上では「西暦2000年」としか記されていなかった。そのため、論評では題名と中身が合っていないという評価を頂いてしまった。ちなみに論評者は、台湾の大学で教鞭を取られており、成功クラブでは顧問をされていた吉田氏であった。
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また言語講評では、同じく顧問をされていた孫氏より、「前置きが長い」という指摘を受けた。台湾の方々へあれもこれも伝えようと欲張り過ぎたために、本題がぼけてしまったのだ。台湾の方々は我々を日本語を母語とする国から来た人々と見ているから、我々も気が抜けなかった。

例会最後には、訪問団全員が壇上に上がり、大嶋団長が成功クラブ会長の梁氏より表彰を受けた。
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そして最後に集合写真を撮って合同例会は幕を閉じた。この後、地下のホールへ移動して懇親会が行われた。
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by inv-pyramid | 2008-06-08 20:25 | 1999年後半