人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2008年 04月 22日 ( 2 )

[台湾編] 台南での合同例会・12月3日(その2)

台湾訪問弾丸ツアーの初日、名古屋のメンバーとの邂逅も束の間、ホテルにチェックインして身支度を整えるとすぐさま最初の訪問先である台南市へとバスで向かった。台南は高雄から北へバスで1時間ほどの所にある。訪問先は当時台湾の最も南で日本語例会を行っていた台南古都日本語演説会であった。

「日本語演説会」。台湾では日本語のトーストマスターズクラブはこう呼ばれていた。台南は台湾の古い都、つまり日本で言えば京都のようなもの。それで名前が「古都」ということであった。当時の台湾には6つの日本語クラブが存在した。台北3、桃園1、台中1、台南1という割合である。このツアーは、翌日行われるほら吹きコンテストの日程に合わせて訪問可能なクラブをピックアップして組まれており、ちょうどこの古都クラブが金曜開催だったので、最初の訪問先として選ばれたのである。
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夕食は古都クラブの方で各自持ち寄り形式、いわゆるポットラックパーティーを開催してくれることになっていた。例会場はなんと幼稚園の教室。決して広いとは言えない部屋の後ろの方に古都クラブメンバーの手作り台湾料理が用意されており、例会前にまずは乾杯して料理をつついた。
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例会は19時30分頃から始まった。司会は王氏。王氏は明治大学に留学していたこともあるという女性で、日本語は流暢だった。日本では今日の一言やちょっといい話などで始まる最初のウオームアップの時間は、笑い話や諺の紹介で始まった。続いて名曲(!)のコーナー。ここで何と会歌の合唱が始まったのである。自分たちで作詞作曲したクラブの歌があるクラブなど初めて見た。驚いた。楽譜のコピーを全員に配り、我々も即興で混ざって一緒に歌った。この時の模様はMDに録音してあるが、何度聞いても珍妙な驚きがある。会歌に続いては唱歌。ここでは日本の古い歌、「故郷」や「旅愁」などを歌った。年配の台湾の方々にとっては日本への郷愁、若い人たちにとっては日本的なものへの憧れがあるのだろう。そして歌を歌うことで言葉を学んでいるのだな、とも思った。
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by inv-pyramid | 2008-04-22 00:42 | 1999年後半

[台湾編] 訪問団、高雄に集結・12月3日(その1)

12月3日(金)の朝、「トーストマスターズ台湾会議」ツアーの関東出発組は成田の空港第2ビルで待ち合わせていた。午前のフライトなので朝が早い。私はまだ暗い早朝に家を出て、日暮里へと向かった。そこで近藤A氏と合流することにしていた。近藤A氏は上尾からなので私よりさらに早い。日暮里発7時台のスカイライナーに乗車した。近藤A氏はまだ大学生で、今回当初は母親である近藤K氏が行く予定だったが、都合により近藤A氏が行くことになったと言う。実はこのツアーの前に父親の海外出張に同行してヨーロッパへ行ってきたばかりとのことでもあった。学生生活最後の年なので、行ける時に海外へ、とのことだそうな。

成田に着くと既に大嶋T団長とストロガノフ氏がロビーの椅子に座っていた。9:50発のフライトで、ぎりぎりになって豊坂氏が現れた。全員揃ったところで搭乗手続きへと向かう。航空機は日本アジア航空便だった。快晴の中、成田を飛び立つ。高雄到着は13:10であった。高雄も晴れていた。空港に降り立つと現地の案内人が我々を待ち構えていた。総勢5人にも関わらず大型観光バスでのお出迎えで、バスの中で一人ずつ用意されていた台湾元に両替して貰い、南国ムード溢れるフェニックスの並木道の中、まずは当夜の宿泊地であるリンデンホテルへと向かう。もちろんまだチェックインはできないので、荷物を預けて名古屋のメンバーが到着する夕方まで高雄市内をしばしぶらついた。

通りを歩きながらいくつかのことに気付く。まずはオートバイの多いこと。そしてオートバイに乗っている人はみな一様にマスクを付けていたことである。よほど排ガスがひどいのだろうな、と推察する。さらに道路脇の歩道は、高さが均一でなく段差が激しいこと。大通りを外れて市街地の中へ入り込み、のどが渇いたので自動販売機でウーロン茶を買った。飲んでみるとこれが甘いのである。砂糖入りのウーロン茶など初めてだった。このように初日からささやかなカルチャーショックの連続であった。

そうこうしている内に夕暮れ時となり、一同ホテルへと引き返した。ホテルには既に名古屋からのメンバーが到着していて、山中氏や加藤氏らとテーブルトピックスコンテスト以来の再会を果たした。
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by inv-pyramid | 2008-04-22 00:11 | 1999年後半