人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 10月 15日 ( 1 )

[熊本編] 全日本スピーチコンテスト・邂逅の時

1999年の全日本スピーチコンテストは4月24日(土)、熊本市の熊本テルサで行われた。運営はもちろん熊本クラブである。熊本クラブは日本語クラブの老舗で、経験のあるメンバーが揃っていた。私はTMで熊本を訪れるのは初めてで、他のイベントで熊本の方と交流した機会も乏しかったので、この日が熊本クラブの面々との実質的な邂逅であった。

このコンテストでは他にもいくつもの邂逅が待ち受けていた。まずは肥後クラブである。肥後クラブは熊本で2番目の日本語クラブとして1998年にチャーターしたクラブで、私がそれを知ったのはチャーターした後だったので、正直驚いた。首都圏のクラブはついつい首都圏の方が中心であるかの如く考えてしまうが、それは単に交流がない、情報が伝わらないからそう思うだけで、クラブ誕生の芽はどこにでもあるということを肥後のチャーターにより思い知った。同じ様な誤解はこの後にも待ち受けていた。メンバーは熊本クラブより上の世代の方が中心で、一時期は熊本よりも人数が多いこともあった。

もう一つは、台湾の日本語クラブの方々との邂逅である。台湾の方々が熊本のコンテストに参加することになったのは梅本氏が誘ったのがきっかけだった。梅本氏は海外のTMとのチャットなどにも積極的で、私などとは比べ物にならないチャンネルを持っていた。台湾にも日本語クラブがあるということなどこの時まで知る由もなく、この話を聞いた時は驚いたものだ。台湾の方々はこのコンテストに参加すべく、メンバーを募って日本訪問ツアーを組んで来日された。これが現在まで続いている日台交流の礎であった。

我々関東の熊本ツアー一行も曇天の熊本空港に着陸するや否や、バスで熊本市内へ直行、途中のバス停で降りて会場の熊本テルサへ徒歩で向かった。会場には既に台湾の一団や名古屋の方々が到着していた。私も今まで何度となく「全日本」と冠されたコンテストに参加したが、全国の日本語クラブの面々が一同に会する場で出場者として振舞うのは初めてのことで、これが実質的な全国デビューと言ってよかった。この日が新たなる交流の始まりの日となったのもきっと何かの因縁だろう。
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by inv-pyramid | 2007-10-15 20:42 | 1999年前半