人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 09月 08日 ( 2 )

[江戸編] 5年目の結実

3月16日の第225回例会。この日に今年度のクラブスピーチコンテストが開催された。全日本スピーチコンテストは4月に熊本で開催予定で、会長の森口氏からの案内は既に届いていた。人数の減っていた時期に相応しく、出場者も私と田中、パイザーM氏の3名という顔ぶれで、大嶋夫妻や野島氏などのかつての実力者の姿もない状況では、私にも勝機は十分にあった。あまりに人数が少ないということで、司会の大嶋R氏の計らいにより、急遽池田氏と入会したばかりの榊原氏にオープン参加が認められた。

勝機ありと思ってはいたものの、スピーチのアイディアに良いものが浮かばず、コンテスト数日前にようやく一つのアイディアが浮かび、頭の中でイメージを膨らませて、コンテスト当日に臨んだ。最初の関門であるクラブコンテストではいつもこんな感じであった。「走れメロスのように」というのがその題名で、昨今のネット社会において主流になりつつあるメール等でのやりとりを素材として、走れメロスのようにあちこち駆けずり回っての生のコミュニケーションをもっと見直そうというメッセージを謳った。審査は事前のやりくりがつかなかったので全員審査というスタイルで行われた。
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結局私が1位通過で熊本での全日本スピーチコンテストに臨むことになった。コメント用紙上での反応もよく、前より向上したとのお褒めの言葉も頂け、自分としては及第点での出来であったので、入会5年目にしてやっと全国の舞台へ立てるということを素直に喜びたかった。
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by inv-pyramid | 2007-09-08 23:44 | 1999年前半

[江戸編] 翼の折れたエンジェル

1998-1999年度の中盤ともいえるこの時期が、私が会長だった頃の最も苦しい時期であったと思う。何しろ年度初め、本来は7人選出すべき役員を6人しか立てることができず、内1名は直ぐに連絡が途絶え、2名がほぼ休会状態になり、最終的に毎回出席していたのは私と会計のパイザーM氏ぐらいであった。とりわけ教育担当と会員担当という上位3役の内の2役が例会に来ない影響は非常に大きく、両翼を捥がれた状態でのクラブ運営は毎回綱渡りをしているようなものであった。毎回の役の割り当てなど、どうやっていたのかよく覚えていない。荷物運びは次の例会の今夜のトーストマスターに預けることにしていたので、次の司会役だけは例会当日に決めていたが、私が持ち帰ることの方が多かった。備品管理の件では以前切れたこともある私だったが、この頃はもう腹を括っていた。現在東京バイリンガルや宇都宮などで何役も掛け持ちで役員をこなしている私であるが、この頃の姿がその原点であるかも知れない。

さて、社教館まつりの前後は準備や後片付けで社教館は休館になる。というわけで3月2日の例会は東京都生涯学習センターで行われた。7月に続いて2回目であった。この頃の参加者は会社員より自営業者の方が多く、服装もカジュアルな方が多かったので、人数は少なかったが雰囲気的には柔らかなものがあった。それまで長期休会中だった会員担当の池田氏がゲスト2名を伴って久しぶりに参加していた。美術家である池田氏はこの頃動物園との、今風に言えばコラボレート企画に参画されていたのが長期欠席の理由だった。そのゲストの一人砂川氏は後に入会され、2年後の全日本論評コンテストで見事優勝されるほどの人物だった。

今夜のトーストマスターは私が務めた。テーブルトピックも欠席の野島氏に代わって私が務めたということで、この様な自作自演の例会がこの頃は何度も続いた。スピーチは2月に入会され、後に名物会員となるヨガ道場主榊原氏と、はまから移籍し次年度会長となるも半年で姿を消した田中氏、そして池田氏ということで人数が少ない分、会員の異色さが際立っていたのもこの頃の特徴として記憶しておきたい。

江戸として東京都生涯学習センターを使ったのは2回に留まったが、東京バイリンガルやさくらでもよく出入りしていたので、私にとってはすっかり馴染みのある会場になっていた。
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by inv-pyramid | 2007-09-08 22:04 | 1999年前半