人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 08月 06日 ( 1 )

[武蔵編] 所変われば品変わる!?

年明けて最初の例会の翌週、1月21日に初めての役員会が開催された。場所は事前の申し合わせで池袋で行われることになった。武蔵浦和で例会を行っているクラブが何故池袋で役員会を、と思われる向きもあると思うが、この頃の武蔵はまだ地元メンバーは少なく、東京やその他地域からの参加者の方が多かったので、埼玉と東京の中間点ということで、池袋が選ばれたのだった。当時私やパイザー氏は目黒から、JTC広報担当で武蔵にも加入していた渡辺N氏は都内、スポンサーの大嶋R氏は神田からそれぞれ武蔵浦和へ通っていた。

待ち合わせはメトロポリタンプラザの噴水の後ろにあるカフェで、ということになり、人数が集まった段階で西口の大きな喫茶店に移動して役員会を行った。議題は多岐に渡り、特に梅本氏や渡辺N氏はTMのプログラムに精通されていたので、色々なマニュアル類のコピーをたくさん準備され、我々はただ圧倒された。特に梅本氏が第1回の役員会という早い段階で議事運営手順による進行を心がけていたのはよく印象に残っている。

例会の運営の仕方については、梅本、パイザー、私の間で色々と駆け引きがあった。皆それぞれのクラブでのやり方が染み付いているので、武蔵クラブにもそれを持ち込もうというわけである。例えば江戸では「文法チェッカー」としている役割を、パイザー氏は東京バイリンガルと同じく「日本語の生かし方」にしようといい、また梅本氏は今夜の言葉は埼玉は文法係が設定している、といった具合である。まさに所変われば品変わるで、最終的には折衷案を取ることになった。以後2007年現在に至るまでこの役割構成は崩れていない。スピーチの制限時間についても微妙なずれがあったが、とりあえずはマニュアル通りで進めることになった。

広報関連ではクラブ会報を作ることが決定され、「武蔵」という案が出ていたが、発行時には「武蔵倶楽部」と修正された。ホームページについては検討課題ということになったが、初代広報担当の川上氏の行動は早く、比較的初期の段階でホームページも出来上がった。クラブ作りの黎明期の第1回役員会は、個性のぶつかり合いもあったが、みんなが同じ方向を向いて心を一つにしていく場でもあった。
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by inv-pyramid | 2007-08-06 00:06 | 1999年前半