人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 07月 08日 ( 2 )

[武蔵編] 本当の始まり

盛況だった第1回のデモ例会から打って変わって、10月22日木曜19時より武蔵クラブの正規の開催日での例会が始まった。日曜日と平日とではこれほど参加者層に差があるのかと思わせるほど、見事に第1回のデモ例会に参加された方は来なかった。ただ一人佐藤氏という女性の方が引き続き参加されていた。私は軽い失望を覚えた。と当時にこれからが本当の始まりだな、という予感がした。

この日の参加者は計14名で、内過半数が外国人だった。その外国人勢の多数を占めていたのが、北浦和にある文部科学省の日本語国際センターに日本語の研修に来ていた留学生たちで、同センターに武蔵のチラシが置いてあったのを見て来られたとのことだった。武蔵の設立コンセプトの一つは「外国人への恩返し」であるから、外国人が多数参加するという状況は好ましいと言えた。後はいかにトーストマスターに取り込むかであった。

今夜のトーストマスターは私が行った。この日は2回目ということで、マニュアル通りに進めるなら、クラブ役員や規約などを決める段階の集まりであり、まさにその通りの展開となった。テーブルトピックと招待スピーチのみがスピーチプログラムとして行われたが、この日のハイライトは東京バイリンガルクラブのコール氏による「上手に話せなくても良い」というスピーチで、外国人留学生たちにとっては特に励みになる内容でよかった。

スピーチの後、役員選出を行い、最終的にヴォート会長、パイザー教育副会長、小原会員担当副会長、管財接遇梅本、会計陳という顔ぶれが選ばれた。また1回目に引き続き参加された佐藤氏も準備会メンバー以外での新会員第1号となり、成り行き上書記ということになった。広報は後でまた決めることとした。

次の第3回例会でも引き続き留学生メンバーの参加があり、ユスフ氏とイネッサ氏がアイスブレーカーでスピーチをした。ユスフ氏は「トーストマスターズクラブまで歩いてきた道」という、かなり意欲的な題でスピーチをしたが、参加は結局この回止まりであった。この回は埼玉クラブより数名の応援があり、また川上氏という地元の菓子メーカーの会社員の方の参加があった。この川上氏が後に広報担当となり、武蔵のホームページを作ることになった。

このように初期数回は外国人参加者の比率が高かったものの、それを定着させるのはまた別の話であった。
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by inv-pyramid | 2007-07-08 19:05 | 1998年

[江戸編] 歴代会長集合

このブログは私の記憶と記録を頼りに綴っているため、どちらかが欠けていると話が飛んでしまうことがある。前回の武蔵編で初めて写真をアップした時、アルバムを見ていたら、抜けていたエピソードがあったことに気付いた。

話が少し遡るのだが、9月6日の日曜日、日吉の大嶋邸で8月に続いて再びホームパーティーが行われた。それは江戸クラブ3代目大統領(!)のルーマン氏が突然来日されたことによるものだった。何でも会社の仕事で来日中とのことで、この日の前日のはまクラブ例会にも出席されていた。私はルーマン氏が参加するからはま例会に来ないか、と誘われ横浜へ赴き、翌日の大嶋邸でのホームパーティーにも参加した。ちなみにはま例会の後には東京バイリンガルのパイザー氏と江戸クラブ武田氏の結婚式があり、私ははま例会の後、2次会から参加した。ちょうどこの1週間前に江戸の常石氏の結婚式があったばかりで、江戸クラブはおめでた続きであった。

私はルーマン氏と顔を合わせるのはこの時が初めてだった。江戸に入会する時に見た雑誌に掲載されたクラブ紹介記事にルーマン氏が写っていたので、「この人が」という感じだった。このルーマン氏の歓迎パーティーには江戸クラブの歴代会長が顔を揃えた。順に、飯牟礼(2代)、ルーマン(3代)、大嶋R(4代)、大嶋T(6代)、朴(7代)、野島(8代)、小原(11代)という顔ぶれで、この時点では飯牟礼氏、朴氏はTMOBで、ルーマン氏もサンフランシスコJETS所属ということで、日本のTMには当然所属されていない。OBと現役をつなぐ誰かがいなければ実現することはない会合であった。私は例によって手料理を披露。以降、江戸ではホームパーティーを組む機会が何度かあったが、私の手料理は定番となった。
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つい数ヶ月前にもさながら江戸クラブOB会のごとく歴代会長が顔を合わせる機会があった。過去の主だった方々とはもはや年賀状を交換する程度のおつき合いしかないが、折に触れ再会することもまた愉しきものである。
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by inv-pyramid | 2007-07-08 02:52 | 1998年