人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 06月 10日 ( 3 )

[東京BL編] TM足らしめるもの

東京バイリンガルクラブの新年度初例会は7月1日に行われた。全日本スピーチコンテストの余韻を引きずる中、会長はパイザー氏から久利氏へと引き継がれた。この時、引継ぎの証として、チャータークラブの証として本部から授与されるクラブ認定証がパイザー氏から久利氏へ渡された。江戸クラブでは終ぞ見たことのなかった認定証を間近に見て、私は少なからず感銘を覚えたが、同時にこの時が東京バイリンガルの認定証を見た最後の瞬間であった。

入会して早や3ヶ月が経過していたが、まだまだ毎回初顔合わせの会員がいたのが驚きであった。見学時から数えれば半年が経過していたが、その間1,2回しか会ったことのない方もいた。外国人会員にその傾向が強く、毎回出席ということには拘泥しないドライさを感じた。TMは多彩な顔ぶれが集まる会だと思うが、東京バイリンガルはそれが顕著であった。それは今夜のトーストマスターの時に特によく感じた。毎回のプログラムには各人の個性の発露があった。東京バイリンガルの例会プログラムには例会回数や時間の掲載がないことは前にも述べたが、役名なども個人の好み或いは解釈で適当に付けられたりしていた。例えば「えーとカウンター」が「耳障り音キャッチャー」になったり、「役割紹介」が「今日の黒子」になったり。外国人が作る日本語プログラムにその傾向が強かった。

共通した傾向としてはその「素っ気無さ」。プログラムは毎回英語と日本語の順番が入れ替わるため、「開会」、「閉会」などが明記されず、いきなり「今夜のトーストマスター」または「司会者」から始まっていた。スピーチの目的などが書いてあるのは稀であった。
ちなみに江戸クラブでの文法チェッカーに当たる役割が「日本語の生かし方」であったが、これも役割に対する認識がない方が多かったのか、役割から落とされるケースが多かった。

それでもトーストマスターズ足りえていたのは、まだ人数も多くて役員がしっかりしていたからだろう。TT、スピーチ、論評という3本柱を外さなければとりあえず例会は成立する。ただこのアバウトさがいずれ命取りになるだろう、という予感はあった。
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by inv-pyramid | 2007-06-10 20:57 | 1998年

[さくら編] 愉しきかな、英語クラブ

江戸で新役員就任式が行われた日の翌日の7月8日、私はさくらクラブを見学した。英語のみのクラブを見学するのは初めてのことで、見学初日は期待と緊張がない交ぜになっていた。とはいえ見学することにしたのは極めて軽い気持ちからであった。

さくらクラブはかつては有楽町トーストマスターズクラブという名称で例会も有楽町で行っていた。それなりに名を馳せたクラブであり、江戸例会にも男性および女性の児玉氏や青木氏、その他の会員がゲストで参加されたこともあって比較的馴染みがあった。名前が変わったのは無論、例会が有楽町で行われなくなったからである。初期の頃はJPモルガン社の会議室で例会が行われていたのが、場所の提供者が退会することで他の場所へ移ることを余儀なくされ、クラブ名も変えたとのことであった。クラブ名は外国人が考えたものらしく、地名にするのはまた場所が変わったときに困るので、日本を代表する花の名前がいい、という理由で今の名称になったそうである。「ジプシークラブ」の異名も持ち、私が見学した時は高田馬場で例会が行われていた。場所はどこかの予備校の教室を借りて行われていたが、この教室の使用料が1回1万2千円とまた高く、そのため会費も月2000円を3ヶ月ごとに徴収していた。まさに所変われば品変わるといった所で、私も話を聞いて驚きを隠せなかった。

さくらクラブもこの日が新年度の初日であったはずだが、新役員就任式は行われていなかった。会長は江戸にも参加している梶谷氏で、顔馴染みがいるということも見学を決めた理由の一つだった。例会は19時からで会員に外国人はいなく、日本人のみ10名前後が集まっていた。会場が教室ということもあってか、さながら英会話教室の様であった。人数が少なかったので、私にもすぐ Um-ah counter の役が振られた。私はとりあえずテーブルトピックが当たらなければ何とかなるだろうくらいにしか考えが及ばなかった。テーブルトピックはスピーチを挟んで2ラウンド設定されていたが、さすがにゲストということで指名されることはなかった。会員は総じて私と同年代が多く、あまり年配の方はいなかった。その辺が親しみ易さを感じた理由でもあった。

ちなみに私の心の中では、"Sakura" は「桜」ではなく「さくら」で、それはやはりクラブの雰囲気が柔らかく親しみ易かったからだと思う。3回の見学を経て入会を決めたのは単にその敷居の低さからであった。ゲストを繋ぎとめるにはやはり雰囲気が重要である。
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by inv-pyramid | 2007-06-10 01:16 | 1998年

[江戸編] 夏への扉

7月7日の七夕に行われた第211回例会、この日が私の江戸会長としてのデビューの日であった。7月初回といえば、この頃はまだ新役員就任式が行われていた季節である。私の時は現在サンライズクラブの会員でもあるエリアガバナーの前田氏を迎えて、新役員就任式が行われた。就任演説で何を話したのかはもう覚えていない。恐らくこの前の項に述べたこととほぼ同じことを話したと思う。他のゲストとしては、はまクラブより大嶋T氏、山下氏が来られていた。また一般ゲストとして見学2回目の平川氏という女性の参加もあった。この平川氏との出会いが後に私がさくらクラブへ入会するきっかけともなった。

続く第212回例会は、会場を東京都生涯学習センターに移しての開催となった。私が入会して以来、例会を千駄ヶ谷社教館以外で行った例としては、社教館が借りられなかった時の保険として、社教館登録代表の中野氏の会社事務所で行ったことがあるが、それとて千駄ヶ谷である。千駄ヶ谷の外で例会を行ったのは実に数年ぶりのことであった。この頃は第1、第3火曜が休日であったり、社教館が休館日であったりした時は例会は休みとしていた。TM憲章においても会則で定めた例会日、場所はむやみに変えてはならない旨が定めてある。それはその時間場所で行うことを広報しているのだから、そのつもりで来たゲストに対して失礼だから、というのが理由の一つとしてはあると思う。最近は割りと気軽に第1第3がだめなら第2第4に変更したりということが行われているが、実際そういう時に第1第3のつもりで来たら例会がなかった、という例もある。見学者のことを考えるなら、やはりむやみに変えるのは慎んだ方がいいだろう。

とはいえ、この頃の私は社教館が休館日なら他の会場を探せばよいのではないか、と思っていたので、代替会場探しにも余念がなかった。代替会場としては東京ウィメンズプラザや東京ボランティアセンターなど、現在も他のクラブが会場として使っている場所も候補としていたが、当時有楽町の東京国際フォーラムの地下にあった東京都生涯学習センターという施設が比較的新しく、場所も駅直結でよかったので、ここを第2会場にすることに決め、団体登録をした。国際フォーラムの中では地味な施設でまだ意外と利用者が少なく、後には東京バイリンガルやさくら、リーダーシップの各クラブ例会、ディストリクトの役員会も行われたほどだったが、当時はTMでの利用は皆無であった。

例会当日はパイザー氏やさくらクラブの児玉、青木氏らのゲスト参加もあり、特に大手町や日本橋近辺が勤務地であった江戸会員にとっては好評であった。もう少し条件がよかったり、有料会場でなかったらこちらに会場を移していたかも知れなかったが、数年後には都の事情により廃館となってしまった。2次会にはカフェテリアが使えたりと立地条件は本当に申し分なかっただけに残念であった。江戸での使用は結局2回に留まったが、他クラブの定例会場としては頻繁に出入りしていたので、それなりに思い出深い場所である。

会長としてのこの年の夏は、同時多発的に色々なイベントが発生して個人的には忙しい季節となった。
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by inv-pyramid | 2007-06-10 00:17 | 1998年