人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 05月 27日 ( 3 )

[江戸編] 殺し文句

東京バイリンガルのクラブ予選に前後して、江戸クラブでもスピーチコンテストのクラブ予選が行われた。時に6月2日のことである。この頃はまだ全日本スピーチコンテストも6月に開催されていたので、梅雨といえば全日本コンテストのイメージが強い。実際この年も翌年もコンテスト当日は雨模様であった。

江戸クラブの予選への出場者は7名。結果は1位大嶋R氏、2位池田氏、3位梶谷氏と私。この頃のクラブ予選では、大嶋夫妻が出場した場合は、必ずどちらかが優勝という有様で、他の会員に出場の目はなかった。この頃は大嶋T氏は既に江戸を退会されていて、この日は審査委員長としての参加であった。既にはまクラブから全日本コンテストへ出場することが決まっていた。

6月といえば次期役員を決める季節でもあった。今はTMのルールに従って5月に役員選挙を行っているが、この頃はコンテストと同じく1ヶ月ずれで役員改選を行っていた。この日の例会の少し前の2次会で、私は大嶋R氏と現会長の庄司氏より次の会長就任を要請されていた。私はその器ではないから、と丁重にお断りしたが、「小原さんしかいない」と執拗に迫られて、断りきれない状況に追い込まれた。確かに順番的には私の番かな、という空気はあった。私はどちらかといえば縁の下の力持ち的立場の方が合っていて、トップを張る人間ではない。ただこの頃のクラブの陣容を考えれば私が就任するのが妥当な選択肢であったとも思う。入会順では上から4番目で古株の部類であった。「小原さんしかいない」と言われれば、そうかも知れないと思わざるを得なかった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 19:39 | 1998年

[東京BL編] 駆け抜けた季節

東京バイリンガルはこの年、全日本スピーチコンテストを運営することが決まっていた。単独のクラブが日本語と英語両方のコンテストを運営するのは恐らく史上初の試みで、バイリンガルクラブという特殊性もあってか、この頃の東京バイリンガルには常に時代を一歩リードするような気風が感じられた。

そのようなクラブ事情の中で入会した私もまた、自分にとっての初の試みを次々とこなすことになり、コンテストまでの期間を一気に駆け抜けた。何しろ入会宣言したばかりの人間をいきなり次の司会者に指名するような人使いの荒いクラブである。いきなり最初のスピーチを振ることだけでも荒い(粗い?)と思っている私としては、相当な緊張感を強いられた。英語の司会ということは元より、クラブメンバーの連絡先すら知らないのである。教育担当のアーバクル氏からは後で、役の割り当て表が送られてきた。外国人会員というのは連絡が取りにくい人も多く、当時筑波から通われていたコール氏などは、何度電話しても通じなかった。最終的に予め割り当てられていた役割の半数近くが当日欠席するという有様で、このアバウトさもまたバイリンガルクラブならではのものであった。

続く5月20日の例会では、コンテストのクラブ内予選が行われたが、人数の多いクラブでありながら、出場希望者は日本語3名、英語4名ということで、運営クラブの割には盛り上がっているのは一部の会員のみで、他は無関心というお寒いクラブ事情も垣間見えた。他に希望者がいないので、入会したばかりの私は日本語コンテストへの出場に手を上げた。これでどうにかコンテストの体裁を保つことができた。結果は1位安達氏、2位コール氏、3位私ということで、安達氏は関東から出場することを表明し、東京バイリンガル代表はコール氏に譲ることになった。英語はタムラ氏が1位でサッカーのフランスW杯ネタのスピーチをされていた。

そして6月3日例会にて、ついに英語での初スピーチを披露することになった。普段英語を使うことのない人間による英語スピーチなので、メモの使用はもちろんのことであったが、使い方に少々工夫を加えた。結局はそれが裏目となって散々な出来であったが、主に外国人会員の方々からは前向きなアドバイスを頂き、バイリンガルクラブの良さを感じていた。

5月、6月というのは例年クラブの中では慌しい季節である。全日本スピーチコンテスト運営というゴールへと向かうクラブ事情の中で入会した私もまた、その慌しい雰囲気に合わせるかのごとく、あれよあれよと役割をこなすばかりであった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 09:05 | 1998年

[江戸編] 放たれた矢

この年の5月、かねてから喧伝されていた大嶋R氏のスピーキングエッセイの活動がついに始動した。江戸例会でも度々チラシが配られ、5月17日の日曜午後に第1回の公開発表会が行われた。公開発表会、といってもこの日がお披露目の会であり、当然のことながらその発表会は江戸を主体としたTMの有志参加により成立したスピーチ発表会、というのが正直な所であった。

スピーキングエッセイとはそもそもどんな活動なのか。恐らくこの活動のために配られたであろう最初のチラシにはこう書いてある。曰く、「自分自身の経験、意見、感想などを一つの話にまとめ発表すること、そして発表された作品(お話)がスピーキングエッセイです。(中略)原稿を書き、推敲し、作品にまとめるだけでなく、さらに自分の声、表情、身振りを使ってより効果的に表現します。スピーキングエッセイは書き言葉での「エッセイ」に話し言葉の魅力も加えた、総合的な表現活動です」。TMの立場からすれば、TMでやっていることをヒントにしていることは明らかで、TMの一つの発展形態、または一部を流用したものと言えなくもない。

ある日の江戸クラブ2次会で、大嶋R氏がスピーキングエッセイのアイディアを語ったことがある。その時、この活動の名称として「スピーキングエッセイ」というのはどうか、と我々に意見を求めた。私は名前が長いのではないか、と答えたが、元々本人の中ではこの名前で行くことを決めていたのだから、答えるまでもなかった。文筆によるエッセイとは違った口述によるエッセイというアイディアはよいものの、それを現役のTMがTMの延長上で行うということはどういうことなのか。何かにヒントを得てそれを別のビジネスにつなげる、ということはよくあることだが、身近な人がそれを行うことには複雑なものが付きまとう。

90年代江戸クラブの看板会員であった大嶋R氏は、この後自分のビジネスに邁進し、江戸クラブからは徐々にフェイドアウトされていった。それは一つの時代の終焉でもあった。
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by inv-pyramid | 2007-05-27 08:06 | 1998年