人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2007年 05月 26日 ( 2 )

[江戸編] 初開催!?ユーモアスピーチコンテスト

4月25日(土)、横浜のランドマークタワー内にあるフォーラムよこはまにて、日本語の全日本ディベートワークショップ及びユーモアスピーチコンテストが開催された。ディベートワークショップははまクラブ、ユーモアスピーチコンテストは江戸クラブが運営を務めた。この頃は日本はまだJTC(日本トーストマスターズ評議会)の時代であるから、全日本を謳っていても、実質的には関東地域のイベントの様を呈していた。ディベート関連イベントはこの頃はほぼ毎年開催されていたが、日本語のユーモアスピーチコンテストは少なくとも私がTMに参加してからは初開催であった。

この頃は関東開催のイベントは、ほとんどが横浜で行われていた。フォーラムよこはまもよく使われた会場で、ランドマークタワーの13階という眺めのよい場所でのイベントは、スピーチよりも外の景色についつい目を奪われてしまうほどであった。

ユーモアスピーチコンテストに先立って行われたディベートワークショップは講師にお馴染みの井上氏を招いて、アメリカ式、イギリス式のディベートの違いの説明や二人一組になってのペアディベートを行ったりして、和やかに行われた。ちなみにこの時私とペアを組んだのがP藤山氏で、ちょうどこの年JTCのガバナーを務められていた。奇しき縁での初顔合わせとなった。

続くユーモアスピーチコンテストは6名の出場者で行われた。全日本という触れ込みではあったが、事前の根回しが足りなかったのか、関東地区の日本語及び英語クラブから出場者を募ってのコンテストとなった。江戸からの出場者は池田氏で「もてなかった私」という題で、ご主人と出会うまでのエピソードを面白く演出して見事2位入賞を果たした。1位は関東クラブからの出場となった東京バイリンガル会員でもある安達氏「オペラ座の怪人」、3位は東京バイリンガルから出場したパイザー氏「二都物語」という結果。東京バイリンガル勢の躍進が目についた中で、入会1、2年のメンバー主体でコンテストを開催した江戸クラブは一時的な結束力を見せたと思う。
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by inv-pyramid | 2007-05-26 02:55 | 1998年

[東京BL編] 4度目の誘惑

東京バイリンガルクラブに入会したのは、1998年4月15日のことである。最初の見学から3回連続で例会に参加した後、3回ほどパスして4度目の見学に臨んだ。ゲスト見学は3回までというルールについてはこのクラブでは特に言及されていなかったように思うが、例会の最後で4回目の訪問であることを告げると、当時の会長だったパイザー氏はすかさず4度目の見学なら会費を払え、と英語で言い放った(英語パートでの発言だったので)。もちろん私は入会の意志を持っていたのでこれに応じたが、流石に会員の3分の1を外国人が占めるバイリンガルクラブであるが故か、江戸クラブにはない厳しさをも感じた。

さらに驚いたのが、その場でいきなり次の会の英語パートの今夜のトーストマスターに指名されたことである。当時の東京バイリンガルでは入会式は行っていなかった。江戸クラブも同様である。だから入会式が行われないことに関しては特に疑問はなかったが、会費を払ってもいないのに、すかさず司会役に指名するあたりは少々乱暴な気もした。当時の東京バイリンガルの役割の決め方は、教育担当が役の割り当て表を回覧して希望を募るというのが基本だったが、今夜のトーストマスターについては毎回例会の最後に、パイザー会長がコの字型に配された座席を内側から回って、ハンカチ落としの要領で次回の今夜のトーストマスターを指名するという、非常に緊張感の高まる儀式で決めていた。外国人主導のクラブとはこんなものか、というのが当時の私の偽らざる感想だった。

とはいえそんな所に江戸クラブにはない魅力を感じて、2つ目のクラブへの入会が決まった。この日は私が重籍会員=Dual Member としての一歩を踏み出した記念すべき日なのである。
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by inv-pyramid | 2007-05-26 02:06 | 1998年