人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2006年 09月 24日 ( 1 )

クラブの生命線

クラブの生命線とは何だろうか。人によってとらえ方が異なると思うが、私はそれは会場だと思う。我々のようなコミュニティクラブでは初めに会場ありきでなければ、たちまち運営が立ち行かなくなる。会場探しの苦労というのは、だからやったことのある人でしかわからない。備品の管理もまた然りである。

江戸クラブは今でこそ千駄ヶ谷社教館を根城としているが、それ以前は会場を転々としていた。ゲストが時々「何で千駄ヶ谷なんですか」と尋ねることもあるが、私は千駄ヶ谷でよかったと思っている。ただ会場は無料でよかったが、備品の管理は厄介だった。今でこそロッカーがあるが、この頃はそんなものはなく、毎回会場係が運んでいた。私が会場係を行う前は、鹿野氏が会場係で、社教館の登録上の代表者である中野氏の会社が千駄ヶ谷にあるため、そこに荷物を置かせて頂き、鹿野氏が毎回取りに行っていた。それは鹿野氏が中野氏の下で仕事をしていた関係もあった。それが私の代になったので、毎回私が運搬することとなった。私は自宅から運搬していた。

当時は演台(レクターン)が自作のものでかなり大きく、必然的に鞄も大きかった。私が運ぶことになってからは、私の鞄で納まるようにすべく、演台を小型の物に作り変えた。これが現在まで続いている自作演台の始まりであった。当時は段ボールではなく板で作っていた。バナー、ギャベルなどと合わせても十分通勤鞄で収まるサイズとなった。

しかし、会場近くに預けるのではなく自力運搬となったため、会場係としては例会を欠席するわけには行かなくなり、これを負担に感じることもあった。これは会場係を経験したことのある人なら、一度は実感することだろう。他クラブでも同様の問題を抱えているところはあり、会場係はクラブの生命線であると同時にアキレス腱でもあった。
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by inv-pyramid | 2006-09-24 08:30 | 1995年