人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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2006年 08月 14日 ( 5 )

やまのてクラブ前史

話が前後するが、私は江戸クラブに入会してすぐ、やまのてクラブにも参加していた。これは現在中目黒を拠点に活動しているやまのてクラブではなく、そのルーツとも言える旧やまのてクラブのことである。当時は代々木の集会施設で月1回例会を行う日本語のみのクラブだった。

旧やまのてクラブは江戸クラブの浪川氏(現在は東海クラブ)、久田氏を中心に日本語クラブのさらなる発展を願って結成され、1993年1月から活動を開始していた。名前の由来は山手線の沿線各駅に一つずつ日本語クラブがあったら、という理想を反映したもので、最盛期の会員数は12名。惜しくもチャーターには至らなかったが、江戸クラブのメンバーも適宜応援して、約20回ほどの例会を行った。結局最後の方は会員が3名になってしまい、解散という結末を迎えてしまった。

私は江戸クラブとは微妙に雰囲気の異なるこの旧やまのてクラブが好きで、毎回参加していた。そして解散ということになった時、いつかこのクラブを再興したいと思い始めていた。後に他のクラブの設立に参加して、クラブ設立の手順を覚えながら、2001年になってようやくバイリンガルクラブとして現在のやまのてクラブを立ち上げるに至ったのだから、まさに執念である。現在のやまのてクラブについての話は、またいずれ述べたい。なお、旧やまのてクラブの備品の一部は解散時に私が預かり、現在のやまのてクラブに一部を引き継いでいる。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 12:52 | 1994年

能鑑賞

8月の江戸クラブのイベントでは、能鑑賞が行われた。これは江戸会員の中野氏の知り合いが能役者で、その子供が初舞台を踏むということで中野氏にもチケットが配られた関係で、江戸のイベントとして行われたもので、10名ぐらいが参加したと思う。渋谷の観世能楽堂で行われた。私はそれまで能鑑賞などしたこともなく、この日が初体験だった。トーストマスターズから派生したつながりの広さを実感することとなった。

番組は、舞囃子、狂言、能の順で、能の演目は「邯鄲(かんたん)」。総上演時間1時間30分で、日本の古典芸能に触れる機会としては良かったが、鑑賞に慣れていないので意味も分からず、ただその雰囲気に飲まれていた。しかしこういう機会でもなければ私などはまず観に行かないので、貴重な時間ではあった。何しろこの手のイベントは後にも先にもこれきりとなったのだから。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 03:15 | 1994年

NW誌への記事掲載と運命の出会いその2

入会した年だから色々とあったのか、1994年というのがそういうタイミングだったのかよくわからないが、この年はPR活動もこまめに行われていた。インターネットなどまだ一般化されていない時代だから、もっぱら新聞雑誌などのメディアへの記事掲載である。その一つが日経ウーマン誌への記事掲載で、小さい囲み記事ながら、女性向け雑誌ということで、女性からの問い合わせが殺到した。最終的に100名弱の問い合わせがあったのだから、まずまずの成果だったのではないだろうか。

そのNW誌を見て来ましたという女性ゲストの方が、私が初の役割を担った回の次の例会に見学に来ていた。NW誌系ゲスト第1号で小柄で感じのいい方だったが、ゲスト感想で大嶋夫妻の関係に言及するなど鋭い質問もされていた。入会希望とのことだったが、やはり江戸クラブのコアなメンバーがスピーチをしていたので、後で考え直したのか2度と来なかった。この回では新役員就任式も行っていた。

そしてこの次の8月の例会にもまたNW誌系ゲストが2人来て、その内の一人は後に入会した。この回では、テーブルトピックと論評のクラブコンテストが行われたが、その最後にゲストへもテーブルトピックが振られた。「天国と地獄とどちらへ行きたいか」という出題に対して、「地獄」と答えていたのが妙に印象に残ったその人が、後に私の伴侶となるのだが、これも一つの運命の出会いだろう。

この回で私はちょっといい話をした。「トーストマスターズに入ったワケ」という題で、なぜか原稿まで作っている。後の私のスピーチスタイルからは創造もできないが、まだスピーチに対して真摯に取り組んでいたのだろう。やはり入会した年というのは色々とあるものなのだろうか。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 02:51 | 1994年

聴能言語士と運命の出会い

私が江戸クラブに入会した1994年というのは、例会以外のイベントが非常に多い年だった。元来好奇心旺盛な私はそのどれもに参加した。トーストマスターズをベースとして、色々な世界を知るきっかけとなったその最初のイベントが、大宮で開催された「日本聴能言語士総会ワークショップ」。聴能言語士(現在は言語療法士)とは、障害があって言語機能が正常に働かない人の言語治療に携わる医療技術者のことで、その総会が大宮で開かれていた。なぜその総会に江戸クラブが参加したのかといえば、当時筑波クラブのメンバーで、新たに浦和に埼玉クラブを立ち上げようとしていた梅本氏がその聴能言語士で、その総会にトーストマスターズのワークショップを組み込むことを企画されたからだった。ワークショップには江戸クラブ、はまクラブの日本語クラブの面々を中心として、ディベートの井上氏などの英語クラブの有力者も参加していた。

このワークショップに参加するまで私は聴能言語士のことなどまるで知らず、大いに勉強になった。また江戸以外の日本語クラブであるはまクラブの面々と会うのも初めてのことで、はまクラブの人たちともこれ以降よく付き合うようになった。そして梅本氏との出会いは、この後のことを考えると正に運命の出会いで、梅本氏とは数年後武蔵の設立で一緒に活動することになるのだが、この時はもちろんそんな展開になるとは思いもよらなかった。

肝心のワークショップだが、トーストマスターズの説明に始まり、モデル例会を行った後、「聴能言語士の仕事にトーストマスターズをどう生かせるか」をテーマとしたグループディスカッションの実習を行った。ここでの私の役割はまたもえーとカウンターだった。トーストマスターズの活動は、言語士のみなさんには好意的に受け止められたが、自分たちとの仕事との関連という点では、似て非なるものという感想を述べられた方が多かった。それは言語士の仕事が患者の話を聴く方に重点が置かれているかららしく、自分が話す方が主体のトーストマスターズとはちょっと違うと思われたからかも知れない。

しかしながら、今でもこうしてあの時のことを鮮明に覚えているということは、私にとってとても有意義なひとときであったに違いない。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 02:05 | 1994年

あせらずに

かくして、私の江戸クラブでの活動がスタートした。1994年7月5日、第125回例会がその記念すべき初日で、奇しくもトーストマスターズの新年度からのスタートとなった。江戸クラブは朴新会長の下で、役員もフレッシュかつ個性的なメンバーで活気があった。

「あせらずに」というのは、私の入会後の初の役割である今夜の言葉で私が準備した言葉である。トーストマスターズには入会したけれども、あせらずにマイペースで行こう、という気持ちを込めたかどうかはもう忘れた。スピーチの上手な人が多いので気後れしないで行こう、と思っていたのかも知れない。当時は今夜の言葉とえーとカウンターがセットになっていた。この頃は、新入会員が担当する最初の役割はえーとカウンター/今夜の言葉と相場が決まっていて、最初のスピーチをするのは入会して2,3回後の例会で行うのが通例だった。

最近は入会初日に初スピーチを行う風潮があり、入会前のゲストにスピーチをさせたり、ゲストに初スピーチをさせることを条件に入会させたりする傾向もあるが、それは本来のやり方ではない。何しろマニュアルが手元にないのだから。マニュアルにも新入会員には然るべき手順を踏んでから初スピーチをして貰うように書いてある。トーストマスターズの例会でのスピーチはマニュアルの課題とその目標に沿って行うのが基本なのだから、マニュアルがない状態でスピーチをするというのは、既にトーストマスターズでのスピーチではない。然るべき手順を踏む、ということは古きよき時代の逸話ではなく、基本の基なのだ。

入会当時はそれが当たり前だと思っていた。最初に入会したクラブでの体験というのは、それが原体験となるのだから、そこからの刷り込みも大いにある。今も昔も江戸クラブ入会当時の体験は、私とってのスタンダードなのである。
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by inv-pyramid | 2006-08-14 01:21 | 1994年