人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[台湾編] 弾丸ツアー最後の晩餐会・12月5日(その5)

合同例会も幕を閉じ、台湾訪問弾丸ツアーもついに最後の晩餐となった。視聴教育中心(センター)の地下に大ホールがあり、ここが懇親会場となった。食事は手際よく幕の内弁当で、我々の参加費は無料とのことであった。丸テーブルに訪問団のメンバーがバラバラに座り、桃園の見知らぬ方々と同席することになった。成功クラブの雰囲気は、日本で言えばICF千葉クラブの雰囲気に近い。メンバーは夫婦や親子という方も多く、家族ぐるみで参加されているので暖かみが感じられた。私のテーブルにはメンバーでない、会員の方のご家族が同席されていて、最初事情がよくわからなかった私は、同席した全員に名刺を配った。今回用にトーストマスターズの名刺をたくさん作って持参していたのである。日本語がわからないようなので、成功クラブの方に私のことを紹介して頂いた。

宴たけなわとなった頃、訪問団メンバー一人一人の自己紹介を要求され、一人ずつ壇上に上がった。ここで驚いたのは三笠クラブのストロガノフ氏が「私はピーターです」と言って日本語で自己紹介されたことである。いつもはにかんだ印象を受ける控えめなストロガノフ氏は、この時まで一言も日本語を話さなかったので、流暢に自己紹介された時は一同唖然としていた。きっとこの時のために準備されていたのだろう。後で日本語上手ですね、と話しかけると少し照れた表情を見せた。

自己紹介の後はさらにカラオケならぬアカペラタイムとなり、大嶋団長の「鉄腕アトム」に始まって各自持ち芸を披露した。私も歌を歌ったが何を歌ったかはもう忘れた。最後は成功クラブ特製の赤い半被を着せられ、みんなで日本の踊りを踊ってお開きとなった。締めとして訪問団全員が壇上に上がり、代表として名古屋クラブ会長の孔井氏が表彰を受けた。
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台北への帰路は鉄道組とタクシー組に分かれた。私は鉄道で帰りたかったのだが、何となく自然な流れで車に誘導され、平和クラブの李氏の横に座って約1時間の道のりについた。この間、李氏は私に色々と日本語で話しかけてくれた。現在の自分の境遇やら、日本へ留学する予定など、後年、そして現在も続いている李氏との交流の中で、この時が最も李氏が心情を吐露された瞬間のような気がした。真実の瞬間であった。
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by inv-pyramid | 2008-06-08 21:08 | 1999年後半