人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[江戸編] コンテスト運営か、クラブ運営か

1998-1999年度の総会には、江戸からは私と次期会長の田中氏、常石氏が出席していた。総会でやることといえば、年次の活動報告と次年度の役員決定、コンテストの振り分け、エリア編成の問題などが相場であるが、中でもこの頃はまだクラブ数が少ないこともあり、各コンテストの運営クラブを決めることが一つのハイライトであった。現在の様な勝ち上がりシステムは、英語のスピーチコンテストのみであったので、総クラブ数の半数が運営クラブに決まれば、残りのクラブはコンテスト運営を担当しなくてもよかった。現在の様にコンテスト運営によるクラブの疲弊はまだそれほど顕著ではなかった。むしろ、コンテストを運営することが一つのステイタスになると考えるクラブの方が多かったように思う。そのため、一つのコンテストに複数のクラブが立候補した場合は、くじ引きで決めたり、共催にしたり、協議してどちらかが降りたりといった感じで、各クラブの思惑も絡んで、時間が長引くこともしばしばであった。

日本語クラブの場合、次年度は武蔵と東海がチャーターすることを念頭に置いて、この両クラブがコンテストを運営することが前提としてあった。江戸は田中次期会長との事前の申し合わせにより、次年度はコンテストの運営は担当せず、停滞期にあるクラブの立て直しに主眼を置くことにしていた。ただコンテストを運営しないことでクラブの立て直しが図れるかどうかは不明であった。前にも述べた通り、積極策を取るか、消極策を取るかの問題である。この翌年度は一転して、コンテスト運営を取って積極策に転じるわけだから、毎年のこととは言え、コンテストを運営するかしないかの選択はクラブの運営に大きく関わる。

次年度はJTCとしての最後の年度であった。日本語クラブのイベント運営は、

 ・テーブルトピックスコンテスト:武蔵
 ・ビデオテープスピーチコンテスト:東京バイリンガル
 ・論評ワークショップ&コンテスト:愛知
 ・ディベートワークショップ&コンテスト:春日井
 ・ユーモアスピーチコンテスト:はま
 ・スピーチコンテスト:名古屋

と振り分けられた。JTCから準ディストリクトへと昇格する年度ということで、この他にもイベントが目白押しとなった。とりわけ年末に台湾訪問ツアーが組まれたことは、その後の日台交流を加速させるものとして特筆すべきもので、両国のメンバーの往来が活発になる年度ともなった。

JTC時代には年間の特別功労者に送られる奥野記念賞(現在の Outstanding Toastmaster of the Year=最も活躍したトーストマスター賞)というものがあり、この年度は稲継氏が受賞された。稲継氏はTMの広報活動としてのホームページの整備、運用に尽力されていて、各クラブのホームページ作成のサポートもされていた。新クラブの立ち上げにも積極的で、次年度にはイースト神戸クラブをチャーターさせている。私にとっては複数クラブ立ち上げの先生とも言える方であった。

次年度のJTCガバナーには東京クラブのキルパラニ氏、教育訓練担当副ガバナーには関東クラブのストロガノフ氏と東海クラブの浪川氏が就任された。日本語のできる方がガバナーに就任されたことが日本語クラブにとっては明るい材料となった。
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by inv-pyramid | 2008-01-13 12:52 | 1999年前半