人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


by inv-pyramid

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ

2000年後半
2000年前半
1999年後半
1999年前半
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1994年以前

以前の記事

2012年 09月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 04月
2009年 01月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月

フォロー中のブログ

津田沼トーストマスターズ...
Utsunomiya T...
話し方で四季を彩る 大田...
調布フリーフライトトース...

メモ帳

最新のトラックバック

検索

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

[湘南&田園都市編] 成功例としてのAJSC(その3)

さて、6月19日当日である。この日は生憎の小雨模様であった。会場が藤沢ということで、埼玉在住の私は新宿からロマンスカーに乗って藤沢に赴いた。藤沢市民会館は藤沢駅の南側、東急ハンズ(当時)方面にあり、少し歩くと途中から田園都市の方が道案内に出ていた。なぜ、東急ハンズが出てくるかというと、以前アルバイトでこの辺まで来たことがあったからである。そのため少々懐かしさがあった。
b0108857_1159495.jpg

開場は13:40から。小ホールには既に多くの人が入っていて、総入場者数は400人になったという噂を後で聞いた。所謂典型的な地方の市民会館の小ホールなので、階段式の座席で照明はやや暗め、座席はシアター形式なので、それほど広さは感じない分、人がある程度入るとそれなりに入場者があるように感じた。座席後方にはテレビカメラと思しき大型のカメラが設置されていた。私は写真撮影のため最後尾に陣取っていた。

コンテストの進行は、総合司会とコンテスト委員長を分けるやり方で、コンテストパートのみをコンテスト委員長が仕切り、その他を総合司会者がコントロールしていた。総合司会者は田園都市の望月氏。会場の左端の司会者用演台で開会宣言の後、まずハリスの"Opportunities"と題された基調講演が始まった。前述の著作をベースとした15分程度の短いスピーチであった。続いてコンテスト委員長である湘南の五十嵐氏が紹介され、ここから司会者が交代。張りのある声で会場の雰囲気が微妙に変化した。審査委員長は田園都市の斎藤氏で、ルール説明の後コンテストがスタート。出場者は各エリアから2名ずつのはずだったが、エリア5(西日本地区)が1名のみとなったため、9名で競われた。横浜クラブのバーネット氏を皮切りに、エリアコンテストで関わりのあった福井、ラリー、白石各氏のスピーチが続き、9人目梅本氏のスピーチで締めくくられた。

ここで一つのアクシデントが発生した。エリア4代表として出場したギボンズ氏がスピーチの途中でスピーチ内容を忘れてしまい、自ら棄権を宣言して退場してしまったのだ。ストップモーションが長く続いたので、最初は演技かと思い、聴衆も固唾を飲んで見守っていたが、最悪の結果になってしまった。しかし全員のスピーチ終了後、関係者の協議によりギボンズ氏に再演のチャンスが与えられ、今度は最後までスピーチを終えることができた。現行ルールではこのような温情は与えられないと思うが、この時ばかりは関係者判断に喝采を送りたかった。ちなみにこの時が私がギボンズ氏の姿を拝見した最初の機会であった。
b0108857_2344591.jpg

コンテストスピーチ終了後に休憩となり、ロビーにて運営クラブからの飲み物の提供となったが、この時の配給の仕方がとても細やかで、小瓶のジュース類を並べたテーブルで、ゲストの要望に従って一人一人栓を抜いて渡すというものである。小瓶であるから量的にはかなりの量が用意されたはずだが、湘南、田園都市とも人数の多いクラブのためか、それに見合った人員を投入しての対応が見事であった。
[PR]
by inv-pyramid | 2008-01-03 12:00 | 1999年前半