人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[さくら編] エリア2&1スピーチコンテスト-向日葵の章-

5月15日土曜日、ついにエリア2及び1の合同スピーチコンテストが開催された。エリア2が東西、エリア1がさくらクラブの運営である。何故、開催順がエリア1、2と若い番号順でないのかというと、それはエリア1が遠方のクラブを含んでいたからに他ならない。JTC時代はまだディビジョンという中区分がなく、全国を5つのエリアに分けていた。エリア1には札幌や仙台などの北海道、東北地区のクラブが含まれていた。よって参加の便を図るため、エリア1コンテストが午後の部になったのである。

会場は代々木のオリンピックセンターのセンター棟セミナー室だったが、元々ここはさくらクラブが押さえていた関係で、会場関係がさくら、プログラム等のソフト面が東西という役割分担であった。とりわけ東西の方が参加者が多かったので、受付などは東西にお任せであった。ただ、このコンテストで一つだけ印象に残ったのは、飾花の豪華さである。これはフラワーアレンジメント講師であるさくら竹谷氏の力作で、梶谷会長のTMらしさを印象付けて欲しいというリクエストに答えてのもので、ひまわりをふんだんにあしらった大きなアレンジは、正直なところ出場者よりも目立っていた。
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さて、午前の部は東西運営によるエリア2コンテストである。来賓挨拶は大嶋ガバナーと当時エリア2ガバナーだった滝本氏で、特に滝本氏は私が会場に着いた時、階段の踊り場で一人挨拶のリハーサルをされていたのが印象に残っている。今では響でご一緒に活動させて頂き、私がTMの母とも仰ぐほどお世話になっている滝本氏と初めて言葉を交わしたのがこの時であった。

コンテスト委員長は東西のピンドリア氏、審査委員長は当時日本唯一のDTMだった森氏で、森氏はエリア2、1両コンテストを通して審査委員長をされていた。出場者は福重(東京バイリンガル)、桑原(ICF千葉)、ラリー(東西)、中村(ウェスト東京)、白石(関東)、武田(ブレックファスト)の6名で、優勝はラリー氏、2位が白石氏であった。当時は上位2名が決勝進出というルールで、この両氏がそのまま全日本コンテストへ駒を進めた。私が特に印象に残ったのは3位の武田氏(写真)で、ゼスチャー、声の抑制が良く効いていた一人芝居的なスピーチは、他のクラブにはこんな凄い人もいるんだな、と思わせるものがあった。個人的には1位かなと思ったが、その一人芝居的な手法が敬遠されたのかも知れなかった。
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by inv-pyramid | 2007-11-11 18:40 | 1999年前半