人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[東京BL編] 激突!東京vs東京BL

3月3日のひな祭りの日、東京都生涯学習センターにて東京クラブと東京バイリンガルクラブという、当時東京都心で例会を行うTMとして覇権を争っていた(?)2大クラブによる豪華な合同例会が行われた。2強激突とも言える両クラブによる合同例会はいくつもの図式で見ることができた。曰く、親クラブ対子クラブ、古豪対新興、英語対バイリンガル、大手町対有楽町などなど。現在の東京バイリンガルクラブの状況からは想像もつかないが、当時は巨星東京クラブと少なくとも人数的には対等に合同例会ができる勢いがまだ残っていた。この頃が東京バイリンガルの絶頂期の末期であった。

当日は両クラブ合わせて40名弱が参加。東京クラブの参加者には藤山夫妻や我妻氏といった有力者、当時の外国人会員の看板だったホリデイ夫妻やキルパラニ氏、その他最近コンテストで知り合った方々などの顔が見えた。現LGETの白鳥氏(当時は植木氏)とは、年末の東京バイリンガル忘年会以来の再会で、この頃の出会いが後のやまのて設立への伏線にもなっていた。

例会は東京クラブに配慮して英語で行われた。司会はパイザー氏。テーブルトピックスは東京からP藤山氏、東京バイリンガルからターボクス氏という二人の司会による2ラウンドで行われた。スピーチは中川(東京)、福重(東京バイリンガル)、Rホリデイ(東京)の3氏。中川氏は少し前に行われた、Tall Tales Contest の入賞者で、元々は関西の方。関西人らしい愛嬌のあるスピーチが秀逸だった。東京バイリンガルの若手ホープ福重氏は#9をノストラダムスネタで料理。ホリデイ氏はボディランゲージたっぷりで、会場を広く使ったゼスチャーで聴衆を魅了した(ホリデイ氏がベストスピーカー)。

論評はマッキンタイア(東京バイリンガル)、青山(東京)、江坂(東京バイリンガル)の3氏で、江坂氏がベスト論評。総合論評は我妻氏がお手本のような総合論評を披露した。私は聴衆として傍観していただけだったが、この時の興奮は忘れられない。いくつものシーンが脳裏に蘇るほど鮮烈なものがあった。

熱狂冷めやらず、隣接するロイヤルカフェテリアでの2次会は大いに盛り上がり、またやりましょう、という声も聞こえた。最初で最後の2強激突は東京クラブの面々に東京バイリンガルの存在を認めさせたことで成功に終わったと言えた。今の心境は兵どもも夢のあと、といった所か。
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by inv-pyramid | 2007-09-03 22:08 | 1999年前半