人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[さくら編] 渡りに舟

年明けてさくらクラブの例会場は有楽町に移っていた。有楽町はさくらクラブの出発点であり、当初は有楽町トーストマスターズと名乗っていたのだから、紆余曲折を経て古巣へと回帰したということだろう。ただ、ここまで短期間で場所を転々とすることはクラブにいい影響を与えるはずもなく、場所が変わったことで離れていった人もいた。場所というのはTMのような会では重要な要素である。高田馬場、表参道、有楽町という変わりようは、都内ではそれほどの距離感はないように思えるが、参加者にとっては通勤ルート上だったり、会社または自宅から近いか遠いかというのは、特に平日の夜の集まりでは大きな問題である。

場所が変わったことで1999年初頭は例会の参加者数も著しく減っていた。さくらクラブは5月にエリアコンテストを運営することになっていたので、この時期に会員が減ることで、運営を懸念する声も出始めた。元々コンテスト運営は、比較的安定していた高田馬場時代に決められたことであり、事情が変われば計画の見直しも必要である。2月10日の例会ではスピーチ枠をキャンセルし、急遽例会の半分の時間を割いてコンテスト運営についてのディスカッションを持つことになった。この時の議題として、この難局(?)の打開策として、東西クラブとの共催案が出ていた。というのは東西クラブもエリアコンテストを運営する予定だったが(さくらはエリア1、東西はエリア2)、会場が見つからないので、さくらが既に押さえていた代々木のオリンピックセンターを時間を分けることで、同じ日に運営できないかという話を持ちかけられていたのである。渡りに舟とはまさにこのことで、両クラブの利害が一致し、エリア1・エリア2合同スピーチコンテストのプランが出来上がった。

まだ役の割り当てなどの問題が残っていたが、3ヵ月後のコンテスト運営を目指して、運営の目処が立ったことがこの頃の収穫であった。
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by inv-pyramid | 2007-09-03 21:08 | 1999年前半