人はいかにして逆ピラミッドの境地へと達するのか。記憶の中のトーストマスターズの出来事をたどり、現在そして明日への指標を探る、ささやかな独白です(H2O, DTM)。


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[江戸編] 我が心の千駄ヶ谷社教館まつり

2月28日の日曜、予てから準備されていた第10回社教館まつりが千駄ヶ谷社教館で開催された。当日は小春日和とも言える様な暖かさで、地域の文化祭に相応しい1日となった。前にも述べた通り、私は江戸クラブを千駄ヶ谷という地域へアピールすべく、このイベントに参加することを決め、地域の方々に混ざって実行委員会の委員にもなって、毎月1回程度開かれた準備会にも参加していた。その過程の中では、まつりのキャッチフレーズのアイディアを出したり、ポスターを江戸クラブで引き受けたり(池田氏デザインによる)と、気が付けば積極的にのめり込んでいた。会社の帰りに例会とは別に社教館へ寄ることで、それまで感じていた千駄ヶ谷への親しみが更に増した感があった。社教館職員の方々とも冗談を言い合うほど親しくなった。

当日は実行委員ということもあり、社教館側の人間として振舞うこととなった。社教館の半被を着て来客に対応することには少々照れもあったが、滅多に出来ることではないので、関係者の顔で来客に接していた。

江戸クラブは当日の13時から公開ミーティングとして、いつもの学習室中で例会を行うことになっていたが、いつもと違うのは部屋の扉が外されていて、オープン会場になっていることだった。デモ例会として公開するのだからこれは当然の演出だったが、ガラス張りならぬ、遮る物が何もないという状況下での例会には多少の抵抗もあった。既に低迷期の江戸クラブにとって日曜の午後に召集をかけて人を集めるのは難しい面もあったが、休会気味のメンバーや他クラブの応援も借りて何とか8名の参加を得ることができた。
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普段ともう一つ違ったことは後ろの窓から日が射していたことである。日頃夜の例会に慣れている身にとって、明るく開放感のある例会は一味違っていた。司会は野島氏にお願いした。私は半被を着ながらの会長挨拶で、ここでも若干の照れがあった。テーブルトピックははまの山下氏で、デモということもあってゲストの方には全て当ててもらい、TMの雰囲気を味わって頂いた。スピーチは本当なら異なる課題で揃えたかったが、奇しくも同じ基本#5の「声を豊かに」で、パイザーM氏と久しぶりの芦沢氏が行った。ただ同じ課題が並んだことで、擬音を駆使したパイザーM氏と、演説口調が持ち味の芦沢氏の違いが際立つことになった。総合論評は大嶋R、個人論評は小原、野島が担当した。ゲスト感想からは好意的なコメントを頂き、ぜひ連絡を下さいという方もいた。

江戸の面々は例会終了と共に解散したが、私は実行委員であるためまつりの最後まで残らなければならなかった。まつりの最後は地下体育室でのファッションショーで締められた。これは洋裁サークルの活動発表の場で、結構楽しめた。まつり閉会後は実行委員長の村上氏のマンションで打ち上げを行った。村上氏は社教館の顔役的存在で、地元民でもないのに積極的に準備活動に参加していた私に一目置いていたらしく、準備会の後はよく飲みに誘われた。

こうしておよそ半年に渡った私の千駄ヶ谷での地域活動もようやく終わったが、住民でもない私を地域の仲間として受け入れてくれた千駄ヶ谷の方々の暖かさは何時までも忘れられない。TMでの成果を発揮するのは、まさにこういう場でのコミュニケーション力、リーダーシップ力である、ということをしみじみと感じた。
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by inv-pyramid | 2007-09-02 20:15 | 1999年前半